鶴の落雁【魔】
看取り。それは、この世に未練を残した者を見送ること。そして、その亡き者の気持ちに寄り添うこと。わたしはそういった関係の仕事を受け持っているのだけど、最近は看取り以外にも除霊をして欲しいや、最後の言葉を聞きたいといった依頼も多く届いている。わたしは一件一件確実にこなしていき、ようやく依頼もひと段落したところで、また新しい依頼がわたしのデスクに届いた。
依頼者はこの近くに住んでいる男性からだった。調査書によると、ここから少し離れた家屋の中に少女の霊がいるので祓ってほしいというものだった。こういうのは慣れているから日が暮れないうちに……とも思ったけど、わたしは調査書の最初に書かれていた言葉を思い出し、日を改めることにした。焦って失敗したらそれこそ大変なことになる場合もあるし、今日は少し早いけど事務所に鍵をかけて自宅へ帰ることにした。
翌日。わたしは早速昨日の調査書に再び目を通した。依頼者は余程焦っていたのか、所々文字が抜けていたり誤字があったりと少し読むのに時間はかかったけど、ある程度は把握することができた。すべてを読み終え、わたしはコーヒーメーカーのスイッチを入れながら再度内容を咀嚼した。まず、この事務所から少し離れた家屋の中に少女の霊が住んでいる。そして、その少女の霊は入ってくる人間に対し、「あそぼ」と声をかけてくるらしい。その少女の霊は折り紙を折るのが得意といい、入ってきた人間の好きなものを何でも折り紙で折ってくれるのだという。例えば、馬でも兜でも斧でも。そう、なんでも。入ってきた人間が冗談で「じゃあ、銃を折ってくれ」というとその少女は「わかった」と言いながら折り紙を折り始める。しばらくして、少女は満面の笑みを浮かべながら「できたよ」といいながら、折り紙でできた銃を向けると引き金を引いた。
パァン
乾いた音が家屋の中に響くと、少女は満足そうに口を持ち上げると「もっと、あそぼ」といい入ってきた人に声をかけると一目散に逃げだしたという。折り紙で本物の銃みたいに弾がでるものなのだろうかと疑問に思ったが、報告書にはそう書いてあった。俄かに信じがたいが……ここはきちんと捜査をしたほうがいいかもしれないと思ったわたしは出来あがったばかりのコーヒーを一口だけ含み、カバンと上着をひっつかんで事務所を出た。
報告書に添付されていた地図を頼りに進んでいくと、今にも崩れ落ちそうな家屋があった。窓は破損し、無駄に通気性だけはよさそうだった。日中だというのに部屋の中を窺うのが難しいと思ったわたしはカバンからペンライトを取り出し、そっと玄関らしき場所から中へ入ろうと試みた。何かが引っかかっているのか、うまく開けることができないでいると途端にすっと玄関はスムーズに開いた。おかしいなと首を傾げていると、家屋の奥のほうから生ぬるい風が吹いていた。少し不快感を感じるその生ぬるさに、わたしは息を飲みながら慎重に中へと入った。中は泥と埃で汚れていて、ペンライトで灯すと白いものがふわふわと宙を舞っていた。わたしはまたカバンを開きハンカチを取り出し口元を抑えながら中へ入った。階段があったと思われる場所は既に朽ち果て、上階へと進むことは出来なかった。廊下の板も湿気で腐りかけの場所があり、時々見かけられる穴からは雑草がすくすくと育っていた。そんな異常な家屋を更に進んでいくと、シミで汚れた襖があった。わたしは恐る恐る襖を開けると、そこは小さな居間があった。元は若々しい緑色をしていたと思われる畳も、今は湿気を含み黒く変色していた。押し入れの中に収納されている布団も、据えた臭いが強くあまり長く居られるようなものではなかった。わたしは何か手掛かりが見つかればと思い、意を決し中に入ると畳がゆっくりとたわんだ。危うく転びそうになるのを免れたわたしは暴れる心臓をなだめながら、調査を再開した。臭いで気分が悪くなるかもしれない……けど、わたしは何かないかと押し入れの中を首を突っ込むと、その背後から何か気配のようなものを感じた。ハッとして振り返るも、そこには誰も立っていない。おかしいと思いながら再度首を突っ込もうとしたとき、さっきよりもはっきりとした人の気配にわたしはすぐに振り返った。
「こんにちは。おねえさん。あたし、シオリ。ねぇ、いっしょにあそぼ?」
病的なまでに白い顔、今の時代では見かけない和羽織。新緑を思わせる長い髪には大きな赤い花の髪飾りをつけていた。手には色鮮やかな千羽鶴をぶら下げ、わたしをじっと見つめていた。この女の子こそ、調査書にあった人物だと思ったわたしは、気を抜かずシオリと名乗った少女と向き合った。再び荒ぶる心臓を無理やり落ち着かせ、わたしはシオリにいくつか質問をすると、シオリはゆっくりと首を縦に動かした。これで情報が確実だとわかると、わたしは嫌な臭いが混じるのを我慢しながら深呼吸をした。そして、シオリにゆっくり近付いた。今はシオリを刺激しないよう、できる限りシオリから情報を取れればと思い考えを巡らせていると、シオリはくすくす笑いながらわたしに声をかけた。
「おねえさん。そんなにこわいかおしないで? はい、どうぞ」
いつの間に折っていたのか、シオリは鶴を完成させわたしの目の前に差し出した。今にも飛び立とうとしているなぁと思っていると、その鶴は自ら翼を広げ狭い空を悠然と泳いだ。
「すごいでしょ? これ、あたしのちからなんだ」
シオリが空を泳いでいる鶴を見ながら嬉しそうに言った。確かに……調査書に書かれていることだとわかっていても、実際それを目にするとびっくりするものね。わたしは他にも折れるの?と尋ねると、シオリは「うん」と頷き辺りを見回した。すると、さっきまで笑顔だったシオリの顔が徐々に曇り始めた。
「ない……ない……あたしのおりがみ……どこ……? ねぇ……どこなの」
その表情は本当に無くて焦っているようなそんな顔だった。それと同時に、わたしはシオリにとって折り紙はとても大事なものではないかと思った。その元となるのは……わたしはシオリの折り紙を探すふりをしながら、こっそりシオリの肩に手を置いた。すると脳内にノイズまじりの映像が浮かんだ。
ねぇ ねぇ もっと もっとあたしにやさしくしてよ
モノクロの世界で幼い姿のシオリはそう叫んでいた。一体なにがあったのだろう。わたしは意識を集中させ、ここより少し前になにが起きたのかを遡った。まるでビデオテープで再生のまま巻き戻しをしているかのように映像が動いていくと、わたしの意識に反して映像が止まりそこから強制的に再生された。
そこにはまだ幼い姿のシオリと、母親らしき人物がいた。シオリは黙々と折り紙を折っているのに対し、母親はそんなシオリを冷たい眼差しを送っていた。
「あんた、いつまで折り紙してるんだい。さっさと片付けなさい」
「まだ。もうちょっと。もうちょっとおりたい」
「ったく。いい加減にしな」
「ああ。あたしのおりがみ。かえして。かえして!」
言うことを聞かないシオリに怒った母親は、まだ折られていないきれいな折り紙を乱暴に掴むとそれをくしゃくしゃと丸めて屑籠の中へと放った。
「あああ……あたしの……おりがみが……ああ……」
「そんなことより、さっさと買い物行ってきな」
「……あたしの……おりがみ……おばあちゃんからもらった……だいじなだいじなおりがみが……」
「そんなことはどうでもいいんだよ。ほら、さっさと行ってきな」
目に涙を浮かべながら買い物に行くシオリ。余程悲しかったのか、家から出てもしばらくその場に蹲り、嗚咽を漏らしていた。そしてその嗚咽はオレンジ色の空から漆黒の空へと運ばれていった。
やさしいってなぁに
あまえるってなぁに
おかあさんってなぁに
だいじなものってなぁに
シオリは自問自答するも、その答えを見つけることができなかった。何度も何度も明くる日も考えてみても、結局黒いもやがかかったようにすっきりとせず、ただの溜息へと変わった。学校へ行くもうまく話すことができないシオリは、教室で折り紙を折ってばかりいた。最初こそみんなに称賛されたのだが、細く美しい指から折られる数々の折り紙に、次第にクラスメイトからは「なんであんなにきれいに折ることができるのだろう」という疑問が浮かんだ。誰もが気になるが誰もが口を開いて聞こうとしなかった。そのことでシオリはますます誰とも話さなくなった。シオリの心の拠り所は、祖母からもらった色鮮やかな折り紙だけだった。
ある日。シオリが自室で折り紙をしていると、また母親の怒鳴り声が聞こえた。ずんずんと歩いてくる音が近付いてきているも、シオリは変わらず大好きな折り紙を折っていた。やがて襖が乱暴に開かれ、現れた母親がぎろりとシオリを睨み、折り紙を鷲掴みにしまたくしゃくしゃと丸めた。
「この前捨てたばかりなのに、どこに隠し持ってたんだい。いい加減、折り紙はやめな」
「ああ……おりがみ……あたしからおりがみ、とらないで」
「ああ。頭にくるね。口開けば折り紙折り紙って。こんなもの、こうしてくれる」
母親は台所からハサミを持ってくると、シオリの目の前でそれを切り刻んだ。じょきじょきと音をたてながら切られていく色鮮やかな折り紙。祖母からもらった大事な大事な折り紙が目の前で切り刻まれていく。
「あ……ああ」
シオリは目に涙を浮かべ、小さく抵抗するもそれも母親には届くことはなかった。母親は押し入れや引き出しを開けて折り紙が見つかればハサミでじょきじょきと切っていった。
「あ……ああ」
悲しみがシオリの胸にじわりと広がると、目から溢れる涙を両手で顔を覆った。それでも隙間から流れる涙はシオリの足元にぽとりぽとりと落ちた。
「なに泣いてんだい。ほら、他にも折り紙隠し持ってたらさっさと出しな、遊べないようにしてやる」
この一言が、シオリの感情の引き金を引いてしまった。ばっと顔を上げ、母親を睨みつけながらシオリは今までにないくらい、大きな大きな魂の叫びを放った。
ねぇ ねぇ もっと もっとあたしにやさしくしてよ
そして目の前が白く照らされると、そこには一枚の折り紙があった。母親が見つけることができなかったたった一枚の折り紙。シオリが大好きな祖母から貰った大事な折り紙はまるで誰かが折っているかのようにひとりでに折り目がついていく。やがてその一枚の折り紙から一人の少女が出来上がった。それが、シオリである。今までここに来た人たちを折り紙で折り、具現化させたのはシオリの中にある魔力でせいだった。その魔力の根源は「誰かと遊びたい」という純粋なシオリの思いからだった。その思いが稀にみる折り紙の達人を生み出したのかもしれない。
意識が戻ると、わたしはいつの間にか涙していた。悲しくもないのになんでだろう。涙は止まるどころか段々と溢れてきてハンカチで抑えてもじわりじわりと湿らせていった。
「おねえ……さん。もしかして……あたしのかこ、みたの?」
シオリが弱々しく聞いてきた。わたしは涙を拭いながら首を縦に動かすと、シオリは「そっか」とどこか安心したかのような声を漏らした。そして、わたしはシオリに抱き着いた。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。気付けなくてごめんなさい。
泣きじゃくるわたしに、シオリは首を横にゆっくり動かしながらわたしの頭に手を置いた。
「ありがとう。くるしかったこと、だれかにわかってもらえた……それが、おねえさんで……よかった」
シオリはわたしに背を向けて歩くと、ちらりとわたしを見ながら「ありがとう」と小さく笑って光の粒になった。シオリがいなくなった居間はほんの少し寂しかったけど、これでシオリがまたどこかで折り紙を折っているのかと思うと……。家屋から出ようと立ち上がると、わたしの足元に何かがあるのに気が付いた。それは、シオリが折ってくれたあの鶴だった。さっきはシオリの力で空を泳いでいたのだが、その力が失われ今は静かにわたしにもたれかかっていた。わたしは鶴を拾い上げ、明るいところで鶴を注意深く見てみると、今にも飛び立ちそうなほどに活き活きとしていた。
家屋から出たわたしは、鶴を大事にしまい事務所へ向かった。依頼者に報告しなければいけないことがたくさんだ。それと同時に、これ以上、あの家屋には近付かないようにお願いもしておかなくては。シオリがのびのびと折り紙を楽しめるためにも……。




