霧散三笠【魔】
お世辞にも裕福とは呼べない小さな村には、変な噂があった。ここから少し離れたところに大きな岩があるのだが、その岩の近くに男性の霊が現れるというのだ。ある者は見て、またある者は会話をしてとそれなりに接することは可能だという。しかし、これを不思議に思った一人が僧侶に話をしたところ、これは悪霊だということが判明した。それもかなり強大な力を持った。迂闊に触れれば取り込まれてしまうこともあるとのことなので、決して近づかないようにと触書が発行された。
この村に引っ越してきて間もない一人の少年がその噂を耳にし、裏山にごみを捨てに行く名目でその岩場へと向かった。ほどなくしてその岩場が見えてくると、途端に少年の背筋は何か冷たいもので触られたかのようにぶるりと震えた。悪寒の次は何とも言えない圧迫感だった。誰かに見られているというのも感じながら、見えない壁で押し潰されているかのような圧迫感が少年を襲った。しかし、どうしても噂が気になった少年は一歩また一歩と岩場に近付くと、ぼんやりと人影が浮かんでいるのが見えた。秋の風に揺られている稲穂のような髪色に色白い肌、見たことのない法衣を身に着けた若い男性が杖を突きながら腰を下ろしていた。
「? どうかしたかい?」
少年気が付いた男性は声を発した。弱々しくもどこか力強いその声に少年はたじろいだ。まさか本当にいるなんて思っていなかった少年の心臓はばくばくと高速で脈打ち、呼吸を乱していた。呼吸が乱れた理由として、その男性の姿は後ろにある大きな岩が透けて見えていたからだった。
「君、物好きだね。こんなところにわざわざ来るなんて」
男性がくすくすと笑いながら少年に話しかけていた。少年は大きく深呼吸をし落着きを取り戻すと、勇気を振り絞り名前を尋ねた。
「ぼくの名前はハナダ。こう見えて除霊師なんだ」
ハナダと名乗った男性はどこか憂いを含んだ眼差しで少年を見つめると、ふっと口元を緩め「ちょっとだけ、昔話に付き合ってくれるかい?」と少年に尋ねた。少年はこくこくと頷くと、ハナダはどんよりとした空を見上げながら口を開いた。
今から数年前の話。かつてこの地にも悪霊があちこち蔓延っているときがあった。それをハナダは一つ一つ除霊を行い鎮魂化させてきた。しかし、その数は減るどころか日に日に増えていき、ハナダもこれはおかしいと思い、錫杖を地に突き刺した。するとすぐ近くで怨霊の塊があることがわかると、ハナダは除霊の準備を手早く済ませ怨霊の塊があるであろう場所に向かった。
「これは……」
そこにあったのは、ハナダが想像していた以上に膨れ上がった怨霊の塊だった。悲しみ、苦しみ、哀れみ、恨み、妬みが凝縮された風船のような塊は、嘆きの言葉を吐き続けていた。ハナダは気が付かれないよう岩陰に身を潜め、不気味に浮遊する怨霊の様子を確認した。
「クルシイ……クルシイ」
「ユルセナイ……ユルセナイィイ」
「ナンデコンナメニアワナイトイケナイノ……」
重なる怨鎖に耳を貸す気はさらさらないが、これは一刻も早く除霊をしなくてはこの地に住む人々に影響が出てしまう。ハナダは静かに立ち上がり錫杖を構えると、勢いよく地に突き刺した。そして除霊の詠唱を口にすると、それに気が付いた怨霊の塊は祓われてたまるかとばかりに詠唱の邪魔をしてきた。
「サセルカァアア」
勢いよく突っ込んできた塊を寸でのところで避けると、ハナダはすぐさま詠唱の続きを行った。まもなく詠唱が結ばれると、怨霊の塊は奇声を発しながらハナダに突っ込んでくると、見えない鎖のようなもので繋ぎ留められた。
「グ……グギギギ……」
「イタイヨ……イタァアアイイイ!!」
拘束することに成功はしたものの、ここからすぐにこれを祓わないといけないのだが、これには少し時間がかかってしまう。なので、ハナダは秘伝の札を懐から出し、塊に向かって投げつけると塊は耳をつんざくような雑音を発した。耳をやられそうになりながらも、ハナダは詠唱を始めた。それは、自分の生命の力を使ってこの強大な怨霊を祓うためのものだった。
「ヤメロ……ヤメロォオォオ!!!!」
「マダ……アイツニフクシュウシテイナイノニ……キエルナンテイヤダァアア!!」
「オネガイダカラ、モウスコシココニイサセテ……」
「聞けぬ願いだ」
冷たく言い放つと同時に詠唱を結ぶと、怨霊の塊は不快な音を発しながら萎んでいった。それと同時にハナダの体もさらさらと散っていくのが見えた。
「これでよかったんだ……けれど……」
何も言わなければこのまま消えるはずだったのだが、たった一つの未練を口にしてしまったがためにハナダはこの地に縛られる地縛霊と化してしまった。それも、さきほど除霊した怨霊よりもさらに強力な力を宿した怨霊となって。
「あぁ……あの子は今、元気にしているだろうか。もし、このわたしを祓うことができるのは……きっと……あの子しかいないな……」
それは愛弟子であるスオウと名乗った少年だった。彼岸花のような赤い髪色が特徴な、わんぱくだけどとても真面目な彼にあまり教えることができなかったけれど、持ち前の霊力でそれを補い力をつけていることはわかっている。その力を使えば、きっと……わたしの願いを聞いてくれるだろう。
話し終えたハナダはふと視線を移した。そこには涙しながら話を聞いている少年がいた。泣くほどだったかなと思いながらも、ハナダはまた薄く笑い少年に「このことは内緒にしておいてね。わたしと君の秘密だ」と悪戯っぽく笑いながら人差し指を口元に指した。少年は頷くと、袖で涙を拭い大きく頭を下げて村へと帰っていった。その後ろ姿を愛弟子と重ねてしまったせいか、ハナダの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。




