自家製ブルーベリーフラッペ【魔】
荒々しく吹き荒れるどこかの雪山。春夏秋冬関わらず視界は白に阻まれ、自分の手すらも確認できない程。普通の人間であれば数分も立っていることなど敵わない厳しい環境の中、一人の人間の男性が厚着に厚着を重ね、どこかへと向かっていった。その足取りに迷いはなく、むしろ行き慣れているようであった。やがて男性は巨大な氷壁の前で立ち止まり、何かを詠唱するとその氷壁は音もなく消え去り男性は暗い洞窟のような穴へと入っていった。中はまるでクリスタルのような純度の高い氷柱があちこちに生えていて、耳を澄ませばその氷柱から小さな音楽が聞こえてきそうな様子だった。
のっしのっしと歩く男性は一見何もない場所で立ち止まると、何重にも重ねて被ったフードを取り顔を上げた。額には大粒の汗がいくつもついており、男性は静かに袖で汗を拭うとふうと小さく息を吐き両手を広げた。しばらくして目の前が薄くぼやけてくると、男性は再び足を動かした。雪靴がすっぽりと埋まってしまう雪道を歩くこと数十分、やがて見えてきたのは白で覆いつくされた小さな里だった。里の中も相変わらず吹雪いているのだが、里の住人はそんなことを一切気にしておらず、各々暮らしていた。
「久しいな……」
男性がぽつりと呟くと、その声に反応した住人が顔を向けるとその住人の顔がぱっと明るくなり速足で男性に近づいてきた。
「これはこれは旦那様。お久しゅうございます」
「本当だな。先日、手紙が来たのだが……」
「ええ、ええ。こちらへどうぞ」
住人はとても嬉しそうな笑みを浮かべながら、里の真ん中にある大きな屋敷へと男性を案内した。玄関で雪を払い、一枚一枚衣服を剥いでいき身動きができるくらいまでになったところで雪靴を脱ぎ、座敷へと上がった。既に廊下では住人たちが頭を下げて男性を迎え入れていた。この光景、男性はあまり好きではないのだが……ここの住人たちは聞く耳を持とうとしないのでもう諦めていた。
(それにしても……)
ここは雪女の里である。どちらかと言えば魔の世界に属している。そしてこの男性は雪女と契りを交わした人間界でも珍しい存在であった。通常なら警戒心の強い雪女は自分たちの世界に入ろうとするものなら、容赦なく永遠に溶けない氷の彫像を作るはずなのだが、この男性が不注意で入ってしまったとき、雪女たちはそれをしなかった。それはなぜか。それは未だに謎ではあるが、男性は道に迷ってしまったことを素直に説明をすると、雪女たちは少し戸惑った様子をしながら考えこむと、里の長に判断を委ねた。しばらくして、里の長が男性の目の前に現れた。雪いやそれ以上に白い腰まである長い髪に白い着物、少し儚さを漂わせる眼差しに男性は頬がぽかぽかと温かくなる感覚を覚えた。男性は口にはしなかったが、心の中で里の長を何度も「美しい」と連呼していた。やがて里の長が静かに口を開くと、その言葉に耳を疑った。
「今日は一日、体を休めていきなさい。もし、このまま戻ろうとすれば吹雪に見舞われその儚い灯はすぐに消えるでしょう」
冗談に聞こえなかった男性は、里の長の言葉を素直に聞き入れ一晩世話になることになった。最初こそ印象が冷たそうな雪女たちだったが、里の長の許しを得られたのか皆がどこか嬉しそうに微笑んでいた。中には人間界の話を聞いてみたいという雪女もいた。男性は自室で荷物を置いてからなら構わないと答えると、雪女たちは心から喜んでいた。
(よほど珍しいのだな。人間がここへ来るということは)
男性はそう思いながら案内された部屋で荷物を置き、先ほど約束をした雪女の元へ向かうとそこでは既に数人の雪女たちがどんな話が聞けるのが待ちきれないのか、そわそわしていた。
「あ、あのう。大した話ではないのでご了承を……」
と前置きをしてから、雪女からの質問に次から次へと答えていく男性。一つの質問に男性が答える度に「きゃー!」と喜び、また別の質問に答える度に「そうなのー?」と興味を抱く者が続出した。
もうどれだか話したわからなくなりかけた時だった。里の長が部屋へ入ってきた。
「おや、随分と楽しそうですね」
「あ、長様。長様も一緒にどうですか? 人間界というのはとても面白くって興味深いですよ」
「ほう。それはいいですね。しかし、あまりこの方を困らせてはいけません」
「……あ」
気が付けば男性はずっと喋りっぱなしだった。それも猛吹雪の中を迷いながらという体力的にも精神的にも疲労困憊だというのに、男性はそんな顔を一切せずに雪女たちに話をし続けていた。
「これは申し訳ございません。里の者が無礼を……」
「あ、いえいえ。そんなに人間界に興味を持ってくれるだなんて、ぼくもとっても嬉しくてつい話し込んじゃいました」
「なんとお優しい方。では皆さん、お暇のお時間です。この方にお食事の用意をお願いします」
「かしこまりました!」
そういうや否や、雪女たちは一礼をした後、まるで風のように去っていくと男性と里の長二人だけになった。なんとなく気まずい雰囲気の中、最初に沈黙を破ったのは、里の長だった。
「あなたのようなお優しい方、今まで見たことがありません」
「そ、そうなのですか??」
「ええ。あの子たちもあなたのお話に夢中でした」
「あ……あははは。ぼくの話で楽しいって思ってくれたら……その……嬉しいな」
「うふふ。そんなご謙遜を。それと、ひとつお願いがあります」
「は、はい。ぼくでできることなら……」
「それは……」
里の長は男性に耳打ちをすると、男性は顔を赤らめた。どうしようかとしばらく考えてから、里の長に向き直り小さく頷いた。
あれから数年後、里の長からの手紙が届きこうして里に戻ってきた男性。通された部屋には元気に泣く赤ん坊が抱えられていた。
「まぁ、あなた……ご覧になって。元気な……元気な男の子です」
「まぁ! 男の子! あらぁあ!」
どうやら雪女の里では男性が生まれてくるというのは奇跡に近いだとか。そんな奇跡に立ち会えた乳母や産婆たちはみんな顔が緩みっぱなしだった。
「さぁ、あなたも抱いてくださいませ」
「あ、ああ。よい……しょ」
「……きゃっきゃ! あー うー」
「まぁ! この子、笑ったわ! あなたの顔をみて笑ったわ!」
「ほ、本当だ」
「ああ……あなた。私は今、とても幸福です」
「ぼ、ぼくもだよ……」
初めて抱きかかえる我が子に、男性は次第に実感が沸き上がり目から大粒の涙を流した。これからも大事に育てていこうと心に誓いながら、男性は我が子の額に何度も口づけをした。
数年後。すっかり大きくなった少年は里の長と男性から「雪夜」と名付けられた。顔立ちは里の長のように、少し儚いものの男性だけれども美しかった。里に暮らす雪女たちが心を込めて織った白地に雪や紫色の花が描かれた着物を身に着け、今日もただ白い空を仰いでいた。雪夜はここが嫌いではない。ここでの暮らしもまあ悪いものではないのだが、少し気になる点があった。
それは、雪女たちがあれやこれやと甘やかしてくるところだった。何かあればすかさず飛んでくる雪女たちに「特に困っていないよ。大丈夫」と何度言ったことかと少々困惑していると、雪夜はふと考えた。
「このままではあまりよくないのでは……」
甘やかされてばかりの生活は自分にもよくないと思い、雪夜は里の皆には内緒で里を出た。特に何も持たずただ当てもなく里を出てしまった雪夜は、どうしようかと呟いた。
「どうせなら、こことは真逆なところにいってみたいな。それに……」
雪夜は手を広げ雪の結晶を止まらせると、小さくふうと吹き空へと舞い上がらせた。
「もっと、もっと色々な……色を見てみたいな。ここには白しかなくって、どこか……寂しい」
雪夜はそう言いながらふらふらと歩き始めた。
「……ーい。大丈夫かい……おーい」
気が付くとそこは見慣れない場所だった。それも空は白くなく、見たことのない色だった。まるで気持ちが晴れるような爽やかな色だった。そして、雪夜の耳に入ってくるなんだか心地の良い音。ずっと聞いていたいと思える優しい音に、雪夜は微睡から少しずつ目が覚めていった。そして目の前に現れた男性の姿に、思わず小さな悲鳴が漏れた。
「わぁ!」
「ああ、ごめんごめん。驚かすつもりはなかったんだ」
「……ここは……」
ゆっくり頭を起こすとそこは白色だけの世界ではなく、様々な色で彩られた景色が広がっていた。見たことのない色に、雪夜は興奮しながらもまずは助けてくれた男性にお礼をした。
「特に怪我をしている箇所もなかったから安心したよ。わたしはしょうは。妖怪って言えばわかりやすいかな」
肩まである赤い髪に、肩を出した黒い衣服に見たことのない模様が描かれた黒い履物、腰には護身用なのか短刀が収まっていた。
「ぼくは……雪夜」
「へぇ。珍しいね。どうしてこんな遠くまで?」
「……あまり覚えていないんだ」
「……なにか訳がありそうだね。よかったらわたしの家に来るといい。ここからすぐ近くだから」
「あ……えっと……」
「気にしなくていいよ。それに、まだ本調子じゃない君をこのまま放っておくことなんてできないよ」
しょうはと名乗った少年は雪夜に手を差し伸べると、雪夜はその手を取りゆっくり立ち上がった。そしてしょうはの家に向かう間、二人は確実に意気投合していった。
「なるほど。色々な世界を見て回りたいと……」
「ぼくの里、嫌いじゃないんだけど……なんというか、どこか寂しいというか」
「ふんふん。なんとなくわかるな。その気持ち」
「だから、思い付きで飛び出してきたけど……まさか倒れてしまうなんて。助けていただき本当にありがとうございます」
「いやいや。大したことはしていないよ。それにさっきも言ったろ? 本調子じゃない君を放ってはおけないってね」
「……はい」
しょうはが用意してくれたお茶をすすりながら、雪夜は窓の外を見た。見ているとなんだかぽかぽかしてくるような色をした丸いものが、いつまでも聞いていられる音を出している先へと消えていってしまうのを見て思わず魅入っていた。
「……きれい」
そして無意識に出たその言葉に、しょうはくすっと笑った。
「なんだろう。君とはもっと仲良くなれそうな気がするよ。よかったら、しばらく家にいていいよ」
「えっ?? そそ、そんな。ご迷惑をおかけしちゃいます」
「そんなことないって。わたしが迷惑だって思わなければ、それは迷惑ではないからね」
「あ……」
「そういうことで、しばらくの間よろしくね」
「……はい。よろしくお願いします」
こうして雪夜としょうはは改めて握手をした。あの時は感じられなかったが、今の雪夜の手はぽかぽかと心地の良い温かさに包まれていた。




