★お子様厳禁? ちょっぴり高貴な葡萄洋酒【竜】
「んあ? なんだ? 今日はやけに外が騒がしいな」
神の国─高天原にて、日課である昼寝を決め込んでいた滅壊の凶蛇─ヤマタノオロチは下界に住む人間たちの声に目が覚めた。何事かと思い、外の様子を伺うと夜だというのに昼間のように町は明るく光っていた。そして、いつも以上に子供たちの喜んでいる声が起きたばかりのヤマタノオロチの耳に突き刺さってくる。
「んだよ。気持ちよく寝てたのによ……って、もう夜か」
ぼさぼさと銀色の髪を払いながら呟くヤマタノオロチ。鍛え上げられた灰色の肌に夕日のような羽織をだらしなく纏い、腰元には三種の神器である草薙の剣が小さく息づいていた。まるで「獲物をおくれ」と言っているかのように小さくそして確実に脈打っていた。
「……あぁ、腹減った……何か食いもんは……はぁ、そういえば昨日、全部食っちまったっけか……」
食料が入っていた壺の中を覗き込むも、昨日暴食したことを思い出し何もないことを再認識させられたヤマタノオロチは、深く頭を落とした。
「……どうしたもんかね。酒も一滴もねぇし……」
きゅるると鳴る腹をさすりながらどうしたものかと考えるヤマタノオロチは、ふと思った。なぜ、こんな時間に人間たちは賑やかにしているのかと。祭事はまだ先だったはずなのにと頭をかしげていると、ヤマタノオロチは頭を強く振り「そんなことはどうでもいい」とばかりにすっくと立ちあがり人間たちの住む世界へと急降下していった。
「……なぁんだこりゃ」
いつも見ている町とは全く違う様子にヤマタノオロチは思わず口を開いたままその場に立ち尽くしていた。いつもなら静かな田園風景がずらりと並んでいるのだが、今日に限ってはどうだろう。家の前には南瓜の置物が堂々と置かれ、しまいにはその南瓜からは蝋燭の光が揺れていた。そして町の人はどこからその衣を引っ張り出してきたんだと言わんばかりの衣を身に纏っていた。子供に関しては猫のような被り物をしていたり、とんがった帽子を被っていたりと様々だったが、中でもヤマタノオロチの目を引いたのは子供たちの手に握られていた小さな手提げだった。その手提げにはお菓子がたっぷりと入れられていて、子供たちは大人たちに何やら合言葉をいうとお菓子を受け取っていた。そして受け取った子供は嬉しそうにその場でぴょんぴょんと跳ね、お菓子をあげた大人に手を振って別れた。
「一体何の催しだこりゃ?」
目の前で異様な催しが行われているということは理解したヤマタノオロチは、とりあえずその辺にいる町の人に何事かと尋ねると、これは「はろうぃん」というお祭りだということを教えてもらった。
「はろ……うぃん? なんだそれは」
町の人もみんなやってるからという理由で詳しくは知らないとだけ言うと、そそくさとどこかへ行ってしまった。一人取り残されたヤマタノオロチは何も言えず、冷たい空気だけが目の前をひゅうと通り過ぎて行った。
「……仕方ねぇ。適当に何か漁るか」
ぼりぼりと頭をかきながら辺りを見回すと、この町では一回も見たことのない黒色の大きな布を見つけた。表は黒で裏地が赤くなっており、ヤマタノオロチは直感的にそれを身に着けた。
「……邪魔だな。この羽織」
ヤマタノオロチは自分が着てきた羽織とその黒と赤の布を交換した。上半身をそのまま出す形となってしまっているが……まぁそれも今日に限ってはいいだろうと判断し町の中へと潜っていった。もし、帰るころに自身が身に着けていた衣がなくなっていたとしても、あの衣は人間にとっては大きすぎるし誰も盗らないだろうという理由もあった。
「ほう。人間どもも中々やるじゃねぇか」
すっかり町の様子が気に入ったヤマタノオロチは、その辺で配られていた日本酒を片手にご機嫌だった。ほどよく酔いが回ったヤマタノオロチはふふらと歩いていると、目の前から小さな子供がとてとてと駆け寄ってきた。
「なんだ? 人間の童が何用か」
「とりっくおあとりーと!」
「……あ?」
どうやら子供はヤマタノオロチがお菓子をくれる人だと勘違いをしているらしく、可愛らしい手提げ袋をヤマタノオロチの前に差し出した。訳が分からないヤマタノオロチの頭の上には数多くの疑問符が浮かんでいるが、子供はそんなことはお構いなしに満面の笑顔を浮かべたままじっとお菓子をくれるのを待っていた。
「……どうしたものか。オレは菓子なんぞ持ってないぞ」
「とりっくおあとりーと」
「あのな。オレは菓子を持っていないんだ。他の奴から貰うといい」
「とりっくおあとりーと……とりっうおあおいー……うぐっ……ひっぐ……」
それでも子供は必死にヤマタノオロチからお菓子を貰おうとせがむも、段々と雲行きは怪しくなり子供は今にも泣きだしそうになっていた。それに困ったヤマタノオロチは何か策はないかと辺りを見回すとちょうど手提げ鞄いっぱいにお菓子を詰め込んだ大人を発見し、目にもとまらぬ早さで大人に近付きいくつかお菓子を鷲掴み、泣き出しそうな子供の鞄へ突っ込んだ。
「おら。これで我慢しな」
「っぐ……ひっぐ……あ、ありがとう」
最悪の事態を回避したことに安堵したヤマタノオロチは、嬉しそうに手を振ってどこかへ走る子供の後ろ姿を最後まで見送っていた。完全に子供が見えなくなったところでひとまず先ほどお菓子を奪った大人に対し簡単に事情を説明すると、その大人は「あぁ、構いませんよ」と特に気にした様子がなかった。ここまで幸運が続くものなのかと若干気が抜けたヤマタノオロチに大人が「そういえば……」と口を動かした。
「あなたはとんがった帽子をつけられないんですか?」
「あ? とんがった帽子?」
「ほら、あそこで遊んでいる女の子のようなものです」
大人が指さした方向には、黒いとんがり帽子を被った女の子が楽しそうに遊んでいる子がいた。それをみたヤマタノオロチはまるで苦虫を噛み潰したような顔をし「冗談だろ」といい、その場を後にした。
はろうぃんという催しも間もなく終わりが近付こうとしていた頃と、ヤマタノオロチがこの催しが下らないと思うのがほぼ同時に、町の奥から男たちの威勢のいい声が聞こえた。
「むさくるしい男はいらねぇ。人間……いや、いまなら酒だな」
やや鬱陶しそうに男たちの声を手で払うような仕草をしたヤマタノオロチの鼻に、嗅ぎ慣れない香りが入ってきた。日本酒と同じような香りはするが、それとはまた違う何かに興味を抱いたヤマタノオロチが男たちが運んできた大きな酒樽の前に立つと、男たちは次々と紫色の液体を大人たちへ配っていた。
「今年初めて作った葡萄酒だ。兄ちゃんも飲んでいってくれな」
「お、おう」
威勢のいい声と共に手渡された紫色の液体。鼻の近くまで持っていくと日本酒とは違った甘さを感じたヤマタノオロチはゆっくり口に含んだ。
「……んん」
日本酒にはない甘さと奥深さに思わず唸るヤマタノオロチ。しばらく口の中で葡萄酒を転がしてから飲み込むと、あとから果実の芳醇さが喉を駆け抜けていった。今までに味わったことのない酒にヤマタノオロチは男たちにおかわりを要求。盃いっぱいに注がれた葡萄酒を片手に町を後にするヤマタノオロチの顔はどこか満たされたようなそんな気がした。
自室へと戻ったヤマタノオロチは黒と赤の大きな布を取り、自分の衣を纏い直してから盃を傾けた。溢れる大地の恵みに思わずうっとりとするヤマタノオロチは、ゆっくりと夜が明けるのを眺めながら口を開いた。
「はろうぃん……はっ、くだらねぇ。でもまぁ、この葡萄酒は悪くねぇ。今度からこれを備えてもらおうじゃねぇか。もし、それができなれば……喰っちまうぞ? なんてな」
一人ご機嫌なヤマタノオロチは、巡り合えた新たな楽しみに心を弾ませていた。




