カシスとストロベリーの濃厚レアチーズケーキ【魔】
辺りもすっかり秋めいてきて、あちこちで葉っぱが紅く染まってきたのをみかけた私はなんだかウキウキ気分が止まなかった。久しぶりのお休みはのんびりしようかなと思っていたけど、こんなにも紅くきれいになっているのを見たら、引きこもってなんていられなかった。換気をしていた窓から吹く風はとても冷たかったので、しっかりと着込んでから秋めいた景色を楽しむ準備もしっかりしてからお気に入りの靴を履いて出かけることにした。
家を出てすぐの並木道はすっかり紅葉が進んでいて、みんなが嬉しそうに写真を撮っていた。私も趣味で始めたカメラを持参し、色づいている部分といない部分のコントラストをきれいに撮れるよう何度も挑戦した。何度目かの挑戦をしていると、遠くのベンチで誰かが空を仰いでいるのが見えた。その子はなんだかぼーっとしていて、何か心が虚ろのようにも見えた私はカメラを下ろしその子に近付いた。深海を思わせる深い深い青色のロングヘアーに毛先へ向かうと鮮やかな黄色い毛色という少し不思議な色合いだった。ロングヘアーと同じ深い深い青色のベストはまるで波を打っているかのように開いていた。袖は先へ向かうほどまるでラッパのように広がっていた。白いパンツに少しつま先が尖がっている靴を履いていたその子は私に気が付くと、小さく頭を下げた。確か名前は……サマカだったかな。
「こんにちは」
サマカが小さく挨拶をした。私も小さく挨拶をすると、サマカは再び空を仰いでいた。風が吹く度に揺れる並木がそんなに珍しいのかなと思っていると、サマカは私の顔をまっすぐに見ながらこう言った。
「ここは……海ですか?」
ここは海……? 一体どういうことなのだろうと思った私は尋ねると、サマカは少し間を置いてから口を開いた。
「木々が風に揺れる度に、まるでさざ波のような音が聞こえたのです」
ああなるほど。というか、あの音を波だと思えるサマカのセンス……高すぎる。私は今まで一度もそう思ったことがないことに少しだけ恥ずかしい思いをしていると、サマカはまた私の顔を見ていた。
「ここに主様はいらっしゃらないのですか?」
えっと……ここって陸だからなぁ。サマカの主……あぁ、フェルグのことね。確か、十二星座の皇子でうお座を守護しているんだっけ。すっごい身長が高くて「ザ・お兄さん!」っていう雰囲気がたまらないあの人……は、うん。多分、ここにはいないと思うな。そこで私は一つ疑問が浮かんだ。サマカはなんでここにいるのだろうと。それを私が尋ねると、サマカは真剣に考え始めた。
「……いわれてみれば。わたしはなぜここにいるのでしょう」
記憶がないのかな。それとも無意識にここへ来たのかな? そう思うことにした私は、せっかくだし陸にしかない素敵な景色を見に行かないかと提案すると、サマカは驚いたような顔をした。
「い、いいのですか?」
もちろん。ここで見た景色をフェルグにもお土産話として持って帰ってくれると嬉しいな。私はそういうと、サマカは少し戸惑いながらも「……よろしくお願いします」と小さく頭を下げた。もう、そんなに畏まらないでもいいのになと思いながらも、私はサマカの手を取り近くのカフェへと向かった。
「いらっしゃいませー。ご注文をどうぞー」
暖かい店内で飲み物を選んでいると、サマカは見るもの全てが新鮮に映っているようで辺りをキョロキョロと見まわしていた。きっと深海では見ない不思議な光景なんだろうなぁと思いながら飲み物を選び終えると、サマカは何を飲むかを聞いてみた。
「えっと……その……どれがどのようなものなのか……想像もつかないので、お任せしてもいいですか?」
もちろん。なんとなく、甘いものが好きそうなイメージだから……ホットココアを注文すると、外の景色が一番きれいに見える席へ移動し飲み物が運ばれるのを待った。
「すいません……その、色々珍しいものが多くって」
気にしないで。たくさん見ていってと私がいうと、少しほっとしたのかサマカはやっと笑顔を取り戻した。
「お待たせしましたー。シュガードーナッツとピスタチオのパウンドケーキ、ホットティーとココアをお持ちしましたー」
「おお……なんと甘い香り……」
運ばれてきた飲み物の香りに思わずうっとりするサマカ。甘いものを選んで正解だったかな。ふわふわの湯気を目いっぱい吸い込んで、ぱっと笑顔の花が咲くサマカ。ココアは熱いから気を付けて飲んでねと注意をしてから、私はシュガードーナッツとパウンドケーキを切り分けた。サマカの分は少し多めに切り分け、目の前に置くとまたサマカの顔がぱっと明るくなった。
「え、あなたさまの分が少なくなってしまうのでは……」
心配しなくっていいのと私は笑ってサマカに言うと、なんとももどかしい気持ちが見え隠れしているサマカは渋々といった様子でシュガードーナッツに手を伸ばした。じっくりと観察を終えたあと、ゆっくりとシュガードーナッツをかじると、サマカの目がかっと見開いた。
「こ……こここれは……なんとも甘くてふわふわで……あぁ……極上のお菓子ですね」
あまりの美味しさに涙を流すサマカ。なんだかこっちも嬉しくなっちゃうな。続いてピスタチオのパウンドケーキにも手を伸ばすと、同じく目を見開いて喜びを顔全体で表していた。
「……あぁ、主様にもこの美味しさをお届けしたい……」
サマカの純粋なフェルグを思う気持ちがひしひしと伝わってくるよ。しばらくサマカの喜ぶ顔を眺めていると、サマカは不思議そうな顔で私の顔を見た。
「わたしの顔に何かついていますか?」
ううん。何もついていないよ。まぁ、強いて言うなら幸せが張り付いているよというと、サマカは恥ずかしそうに私から顔を逸らした。しばらく真っ赤になった顔を隠したサマカは呼吸を整え今度はホットココアに手を伸ばした。コクのあるミルクをたっぷり使ったここのココアは私のお気に入りでもあるんだけど、サマカは気に入ってくれるかな。
「……甘い……けど、あと引く美味しさです。ここあ? っていうのですね。覚えておきます」
熱心にココアを飲みながら何度も頷くサマカ。本当にフェルグのことが大好きなんだねというと、サマカははっとした顔をし、ほんのちょっぴり寂しそうに目を伏せた。
「わたしは……主様に拾われたのです。深海の底で力が尽きたわたしを見つけて下さった主様は、なんと主様の魔力をわたしに分け与えてくださったのです。それからというもの、わたしは主様のためならなんでもすると誓いました。もし、あそこで主様に見つけていただかなかったら……わたしは今頃ここには存在しなかったかもしれません。なので、わたしは主様に恩返しをしたいのです」
そっか。そんなことがあったんだ。私はサマカの過去の話を聞いて、ここまでフェルグに熱心な理由がわかった。そして、そんなサマカのお手伝いができないか考えた結果、私は席を立った。大丈夫、すぐに戻るから待っててねと言うと、サマカは少し寂しそうな顔をしつつもこくんと頷いた。
お待たせしちゃってごめんね。私は紙袋を抱えて席に戻ると、サマカは驚いた様子で私と紙袋を交互に見た。
「こ、これは一体……?」
えへへぇ。じゃーん。私は紙袋の中を開いて見せると、サマカは小さく悲鳴をあげた。
「これって……」
そうだよ。フェルグにも食べてもらいたいっていう気持ち、私にも伝わったよ。だから、これをフェルグにも届けてほしいな。それと、陸で見たサマカの思い出話もいっぱいいっぱいしてほしいな。すると、サマカは何度もこくこくと頷くと私の手をぎゅっと握った。
「ありがとうございます……ありがとうございます。この御恩は忘れません。必ず、必ず……主様にお届けいたします」
もう……そんなオーバーな。でも、これで二人が笑顔になれるのなら、私も嬉しいからね。私はそっとサマカの手を握り返すと、残ったドーナッツとケーキを食べた。
「もう日没ですか……」
カフェを出るころ、外はすっかり夕焼け色だった。風も一段と冷たくなってきていて、思わず背中がぶるりと震えた。
「わたしはそろそろ主様のもとへ戻らないと……」
そっか。ねぇ、サマカ。地上ってどうだった? 私はサマカに聞いてみた。私が見ている世界がサマカにどう映っているか聞いてみたかったんだ。するとサマカは少し考えてから顔を上げ、にこっと笑った。
「色鮮やかな世界ですね。特に今日見た景色は……心に強く残りました。そして、様々な音で溢れていました。今、ここに吹いている風はまるで海の中を悠々と泳ぐ魚のように自由で聞いていて飽きません。二つとして同じ音がないようなそんな感覚がとても楽しかったです。それと……もし、可能なら。あなた様とお別れする前に、またあの海の音が聞きたいです」
最初にサマカと出会った場所のことを言っているのだと思った私は、うんと頷きサマカの手を取り元居た場所へと向かった。その時、サマカは私の手をぎゅっと握り返してくれた。
「……この音はいつでも聞けるものなのですか?」
冷たい風に吹かれた木々はざわざわと音を立てる。その音はサマカにとってまるでさざ波だと言った。そう言われれば確かにさざ波のような音に聞こえる。音を楽しんでからわたしはこの季節だけだよと伝えると、サマカはほんの少しだけ寂しそうな顔になった。
「この季節だけ……そうなのですね。いつでも聞けるのではないのですね」
逆に今の季節に楽しめる音楽だと思えば特別感があるかもと伝えると、ちょっとだけ顔を輝かせながら頷いた。
「そうですね。完全にないってわけではないのですよね」
希望の灯ったサマカの顔が再び空を仰いでいると、さっきよりも少し強い風が吹いた。
ざー ざー ざー
耳を澄ませてみた。うん。サマカ、私の耳に届いてるよ。とってもきれいな波打ち際で聞いてるような、さざ波の音が。
「そのまま、目を閉じたまま聞いてください。今日、あなた様とご一緒できたことをとても嬉しく思います。それに、こんな素敵なお土産までいただいて……なんと申し上げれば良いか。この御恩は必ずお返ししますので、お時間をください。その時はきっと……主様もご一緒に……」
サマカ? わたしは目を開いた。さっきまで隣にいたはずのサマカはいつの間にかいなくなっていた。嘘……手にはまだサマカの温もりが残ってるのに……。あれ……なんだろ。私はサマカの温もりとはまた別の何かを感じて手を開いてみると、そこには小さな名刺のようなものがあった。
─またいつかお会いしましょう。それまで、ほんの僅かなお別れです。
流れるような丁寧な字で書かれたそれを、私は自分の胸の前でぎゅっと抱きしめた。
ざー ざー ざー
サマカ。私もあなたと、またこのさざ波を聞きたいよ。また……会おうね。




