バターをきかせたスタークッキー【魔】
名前すら知らない魔術師に創られた黒く大きな手。その爪は引き裂くためにあるのかと言わんばかりに鋭く、その大きな手は誰かを握りつぶすのではないかと言わんばかりに大きかった。名もなき魔術師はその無骨なまでに大きな手に『栄光の手』と名付けた。こんなにも不釣り合いな名前はないと名付けられたばかりの栄光の手は思った。そんな風に思っていていた矢先、栄光の手は自分にほんの僅かな意識があることに気が付いた。口はないため、ただ思うことだけならできるといったところか。また変なものを創造したものだと呆れながら主人の前に佇む栄光の手は、ただ、何をするわけでもなく空中をふよふよと浮いていた。
「お前には少し変わった方法で悪意をなくしてもらいたい。そう思ってお前を創った」
変わった方法とは、定番でいえば対象者の命や寿命を得て魔力を補給するのだが、この栄光の手は違った。なんと罪人の悪意を吸い取りそれを魔力として使用するということだ。罪人の悪意……なんともまた限定的だと栄光の手は思った。だが、創造主の顔はどこか満足気だった。
「今のこの世の中、悪で満たされている。そこでお前には悪意を吸い尽くし、その魔力でいい世の中にしてもらいたい」
魔力を得てもどうやっていい世の中にしていくのか想像もつかない栄光の手は軽く拳を握りるようにして考えた。しかし、どうも考えが浮かばない栄光の手は手をぶらんとさせ、降参だと言いたげにひらひらと振った。すると創造主はげらげらと腹を抱えて笑った。
「それを今からわしと一緒に考えるんじゃないか。さ、共によい世界へする旅へ行こう」
創造主はそう言い、栄光の手に手を差し出した。しばらくして考えた栄光の手は創造主の手を潰さないよう優しく取り、共に歩んだ。
世直しの旅に出てしばらく、栄光の手の魔力は限界を迎えていた。というのも、それほどまでに世の中は悪意に染まっていたということを実感している栄光の手は、抱えきれるか不安な気持ちをどうしたものかと考えていた。あっちでは強奪、こっちでは暴力など感覚を感じ取った栄光の手は手あたり次第に悪意を吸い取っていくと、気配は消え代わりに許しを請う声へとなった。
「うんうん。お前を創って正解だった。世の中、平和が一番さ」
長旅のせいで創造主の顎には豊かな髭が伸びており、それを創造主は嬉しそうに撫でながら言った。そして栄光の手に集まった悪意という魔力を放出させるときがきた。
「さて、この汚れた町をきれいにしないとな。栄光の手や、指をくるくる回してくれるか」
言われるがまま指をくるくると回すと、指の周りに白い煙のようなものが巻き付いていた。これが栄光の手に蓄えられた悪意が魔力へと変換された姿であると同時に、世の中を平和にするための力でもあった。
「うむ。だいぶ強い魔力になっているな。よし、では、その指を空へ掲げてみてくれるか」
またいわれるがまま、栄光の手は白い煙のようなものが巻き付いた指を空へ向けると、煙は指を伝い空へと走っていった。次々と指から放出される白い煙は空へと昇っていく光景はまるで追いかけっこをしている子供のようだった。やがて白い煙が高い高い雲へと到達すると、そこから雲が割かれたように割れ隙間から明るい陽射しが降り注いだ。その陽射しは町を浄化するかのような神々しい光に包まれると、あれだけゴミで汚れていた町があっという間にきれいに整えられていた。
「これは……わしの思っていた以上だな。栄光の手……やはり、お前はこの世に必要な存在だ」
うんうんと何度も頷きながら、創造主は栄光の手を撫でた。ちょっとくすぐったいと思いながらも、悪い気がしなかった栄光の手はされるがままされていた。
あれから数年の月日が経った。あちこちに笑顔が溢れ、きれいな町並みを誰にも認知されず浮遊している栄光の手は、嬉しい反面悲しい気持ちになっていた。創造主がこの世を去ったのだ。
創造主といれば寂しくなかった。
創造主といれば退屈しなかった。
創造主といればだいたい魔力にありつけた。
創造主といれば……。
創造主といれば……。
平和にできないときは、創造主がわざと悪意を出し、それを栄光の手が吸い取るということができたのだが、創造主がこの世を去ってしまった今はそれを実行することができない。平和になれば創造主は嬉しかったのだろうか。平和になればみんな笑顔を保てるのか。だけど、もしそうだとしたら悪意はなくなり自分の存在も保てなくなってしまう。そうなったら……なぜ、創造主は自分を創造したのだろう。ほんの少し、創造主を思うとなんとも言えない感情が栄光の手をちくりと刺した。自分はこのまま魔力を得ることができずに消えてしまうのかと笑顔溢れる町を眺めていると、薄いエメラルドグリーン色の髪にふわりとしたフリルのスカート、右肩からかけられた革製のかばんにはノートやメモがぎちぎちに詰められていた。そんな少女がこちらをじっと見つめている先を栄光の手は確認してみるも、そこには何もなく更に疑問が深くなった。しばらくして少女がこちらに駆け寄ってくると、栄光の手の前でぴたりと立ち止まりにこっと笑った。
まさか、こちらを認知しているのか。
栄光の手は魔法創造物であるが故、魔力を保持していない人物には目にすることはできない。だが、今目の前にいる少女は完全に栄光の手を認知しているのである。そして、その少女はにこっと笑いながら自身の小さな手を栄光の手に差し出した。栄光の手はまるで何も描かれていないキャンバスのような少女に興味を抱いた。
普段なら見向きもしないのだが、なぜだろう。この少女はそうもいかないそんな気がしていた。いくつかある理由の中、ひとつ挙げるならそれは少女が差し出した手だった。その手の差し出し方がかつて自分に対して差し伸べてくれた創造主と同じだったからだ。
これは……運命なのだろうか。
栄光の手は少女の手をとると、少女はまた一段と明るく笑った。それから少女はファンテルピーと名乗ると、るんるん気分で元気よく歩き出した。その後ろ姿を見た栄光の手は、先に旅立った創造主に一言言ってから少し離れた所から手を振っている小さな小さな新しい主の背中を追った。
きっと新しい発見があると信じて。




