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98話 清掃おじさん、清掃を躊躇う

 海さんを地上へ送り出してから、俺達は改めて伊勢ダンジョンの奥へ向かった。


 残ったS級探索者は空さん、獅子堂さん、白峰さん、神崎さんの四人。そこにVIVIDの四人と、まだ十分に戦えるA級上位の探索者達が加わっている。


 そして何故か、その先頭付近を作業着姿の俺が歩いていた。


「⋯⋯しかし、全然収まってませんね」


 俺が言うと、隣を歩いていた白峰さんが頷く。


「ええ。エルダー・ドラゴニュートを倒した影響は、少なくとも今のところ何も感じません」


 SS級モンスターを倒した。

 普通なら、それだけで今回の一件が解決したような気分になってもおかしくない。


 でも、伊勢ダンジョンを満たしている異常な魔素は消えるどころか、奥へ進むほど濃くなっていた。


 やはりエルダー・ドラゴニュートが言っていたことは本当だったのだろう。


 あいつが異常を起こしたわけではない。

 既に存在していた『道』を通って、こちら側へ来ただけ。

 そして、その『道』とやらは、今もどこかと繋がったままになっている。


「田中さん、何か分かりますか?」


 神崎さんに聞かれ、俺は少し考える。


「北海道の時と似てます。あの時も奥へ進むほど、どこかから魔素が流れ込んできてる感じが強くなったんですけど⋯⋯今回はそれがもっと酷いというか」

「量が違う?」

「それもあります。でも、何て言えばいいんでしょうね⋯⋯」


 上手く説明出来ない。


 北海道で見つけた亀裂は、そこから魔素が漏れ出していた。


 今も基本的には同じ感覚がある。

 ただ、伊勢のこれは、もっとはっきりしている。


 どこか別の場所から、こちらへ大量の魔素が流れ込んできている。その流れを、奥へ進むほど強く感じる。


「まあ、行けば分かるか」

「田中さん、最近それで何とかしすぎじゃない?」


 後ろから水野さんに言われた。


「仕方ないじゃないですか。俺、専門家じゃないですし」

「それはそうなんだけどさ」


 水野さんが苦笑する。


「専門家じゃない人が一番よく分かってるのも変な話だよね」

「俺もそう思います」


 俺はただの清掃員なんだけどな。

 そんなことを話しながら進んでいると、前方から複数の足音が聞こえてきた。


「来ます」


 神崎さんが剣へ手をかける。

 直後、通路の奥からモンスターの群れが姿を現した。


 大型のオーガに、全身を硬い甲殻で覆った四足のモンスター。さらにその後ろからも次々と現れ、あっという間に十体を超える。


「A級が三、B級が⋯⋯いっぱい!」


 水野さんが途中で数えるのを諦めた。


「随分流れ込んできてますね」


 白峰さんが胸元から杖を取り出す。


「おっちゃん、今回は俺にも残しといてや」

「俺に言われても困りますよ」


 獅子堂さんが笑いながら前へ出る。


 俺も一応構えた。

 ただ、結論から言えば、俺が戦う必要はほとんどなかった。


 最初に獅子堂さんが飛び込んでA級のオーガを殴り飛ばし、空さんがガントレットから射出した金属片を爆破して後続をまとめて吹き飛ばす。


 そこから漏れたモンスターへ神崎さんが向かい、急所だけを正確に斬っていく。


 別方向から飛んできた魔法は、白峰さんが水の壁で受け止め、その水をそのまま複数の細い刃へ変えて撃ち返した。


「玲奈さん、そっち!」

「分かってるわ」


 黒川さんの瞳が金色へ変わり、突進してきたモンスターの身体がその場で止まる。


「なっちゃん、今!」

「はいっ!」


 水野さんが一気に距離を詰め、透明な剣で切り伏せる。


 小宮川さんの『念力』が別の一体を壁へ押しつけ、橘さんは周囲の状況を共有しながら味方へ情報を回している。


 A級上位の探索者達も当然強い。


 それぞれが自分の役割を理解しているから、突然現れたモンスターの群れを前にしても混乱する人間がいなかった。


 俺は少し離れたところで、倒されたモンスターの死体と残留魔素を『清掃』していく。


「⋯⋯このメンバー、冷静に考えたらとんでもないな」


 思わず呟いた。


 日本にいるS級探索者の大半に、VIVID、それから全国から集められたA級上位。

 SS級だったエルダー・ドラゴニュートは別として、A級やB級のモンスターが何体出てきたところで、今のメンバーを止められるとは思えない。


「田中さんもそのとんでもないメンバーに入ってるからね?」


 水野さんが聞いていたらしい。


「俺は掃除してるだけですよ」

「SS級倒した人がそれ言う?」

「倒したのはさっきだけですよ。今は掃除してるでしょう」

「そういう問題じゃないと思うけど⋯⋯」


 何故か呆れられた。


 その後も何度かモンスターと遭遇したが、状況はほとんど変わらなかった。


 奥へ進むほどA級の割合は増えていったものの、こちらもいちいち足を止めるほど苦戦しない。前衛が倒し、後ろを通る俺が死体や残留魔素を片づけるという流れで進んでいった。


 ただ、俺が感じているものだけは、どんどん強くなっていく。


「⋯⋯近いですね」


 自然と足が止まった。


「分かるんですか?」


 白峰さんが聞く。


「はい。この先です」


 前方には、大きく開けた通路が続いている。


 俺達は慎重に進んだ。

 そこから先では、モンスターの姿もほとんど見なくなった。


 代わりに魔素が濃くなる。

 空気そのものが重く感じるほどの量だった。


 やがて通路が途切れた。


「⋯⋯何よ、これ」


 空さんの声が聞こえた。


 誰もすぐには先へ進まなかった。

 俺も、目の前にあるものをどう表現すればいいのか分からなかった。


 広い空間だった。


 伊勢ダンジョンの最深部。

 その奥が、おかしくなっている。


 北海道までに見てきたものとは全く違う。

 壁に亀裂が入っているわけではない。

 床が割れているわけでもない。


 空間そのものが歪んでいた。


 巨大な空洞の奥、数十メートルはあるだろう範囲が、水面を揺らしたように不自然に歪んでいる。


 そして、その向こう側が見える。


「⋯⋯ダンジョン?」


 水野さんが呟いた。


「いや、ここじゃない」


 俺は無意識に答えていた。

 

 向こう側にも岩のようなものが見える。

 でも、伊勢ダンジョンとは明らかに違った。


 色も、形も、雰囲気も。

 何より、そこから流れ込んでくる魔素の量が異常だった。


「これが⋯⋯エルダー・ドラゴニュートの言っていた『道』でしょうか」


 神崎さんが歪みを見つめる。


「おそらく」


 白峰さんが答えた。


「少なくとも、通常の伊勢ダンジョンの構造ではありませんね」


 俺は何も言わず、その巨大な歪みを見ていた。


 分かる。

 今までより、はっきりと分かる。


 『向こう側』から魔素が流れてきている。


 北海道で感じたものと同じだ。

 ただし、あの時とは量が違いすぎる。

 北海道の亀裂から染み出していたものが細い小川だとすれば、目の前のこれは大氾濫した筑後川みたいなものだった。⋯⋯例えがローカルすぎるか⋯⋯。


 そして、もう一つ分かる。


「⋯⋯多分、消せるとは思います」

「え?」


 水野さんがこちらを見る。

 俺は歪みから目を離さない。


「これ、『清掃』出来ると思います」


 理由は説明出来ない。

 ただ、俺には目の前の異常が『清掃』の対象として感じられていた。


 北海道の亀裂を消した時と同じように意識すれば、おそらく消せる。


 ここから流れ込んでいる魔素も。

 この歪んだ空間も。

 向こう側と繋がっている何かも。


 俺は右手を上げかけた。

 ——でも、止めた。


「⋯⋯田中さん?」


 水野さんが不思議そうに俺を見る。


「いや」


 手を下ろす。


 消せる。——だが、消していいのか。

 北海道でも、俺は同じように亀裂を『清掃』した。あの時は、それで異常が収まった。


 札幌を出た時点では、何も問題はなかった。

 それなのに、その直後に探協本部から連絡が来て、伊勢で過去最大規模の異常魔素が確認された。


「⋯⋯白峰さん」

「はい」

「これ、今までみたいに清掃していいと思います?」


 白峰さんはすぐには答えなかった。

 目の前の歪みを見ながら、少し考えている。


「田中さんも気になっていますか」

「はい。北海道を掃除した直後ですよね。ここがおかしくなったの」

「僕もそこが引っかかっています」


 白峰さんが杖を下ろした。


「偶然と考えるには、タイミングが良すぎます」


 空さん達もこちらを見る。


「どういうこと?」

「まだ何とも言えません。ただ、確認しておいた方がいいでしょう」


 白峰さんは通信機を取り出した。


 地下深くまで直接通信が通るわけではないので、中継用の機器を経由して地上の対策本部へ連絡を入れる。


「こちら白峰です。伊勢ダンジョン最深部と思われる地点へ到達しました。異常魔素の流入源を確認しています」


 少し間を置いて、返事が届く。


 白峰さんは目の前の状況を簡潔に説明した後、別のことを尋ねた。


「確認したいことがあります。福岡を含め、全国八ヶ所で確認されていた異常魔素について、それぞれ消失が確認された時刻を出せますか。それと、伊勢で最初に異常値が観測された時刻もお願いします」


 返事を待つ間、誰も動かなかった。


 俺も目の前の歪みを見続ける。


 大量の魔素は今も流れ込んでいる。

 今すぐ『清掃』した方がいいようにも思える。

 このまま放っておけば、またエルダー・ドラゴニュートみたいな奴が向こうから来るかもしれない。


 でももし、北海道を『清掃』したことと、この異常が繋がっているなら。

 ここを何も考えずに消すのは怖い。


『確認出来ました』


 通信機から声が返ってきた。

 白峰さんが時刻を聞き、手元の端末へ記録していく。


「⋯⋯なるほど」

「どうですか?」


 俺が聞く。

 白峰さんは端末を見ながら答えた。


「福岡の異常が消失した際、他の七ヶ所でも一時的に異常値が消えています。その後、七ヶ所で再び観測され、田中さんが順番に『清掃』した。そして最後に残っていた北海道の異常が消失した後⋯⋯」


 白峰さんが画面をこちらへ向ける。


「伊勢の異常値が観測され始めています」


 俺は画面を見る。

 正確に同時というわけではない。


 それでも、北海道の異常が消えてから大きく時間は空いていなかった。


「これ⋯⋯」


 水野さんも画面を覗き込む。


「田中さんが全国の異常を全部消したから、伊勢でこんなのが出来たってこと?」

「可能性の話です」


 白峰さんがすぐに付け加える。


「まだ因果関係が証明されたわけではありません。ただ、少なくとも検討する必要はあるでしょうね」


 俺はもう一度、巨大な歪みを見る。


 全国八ヶ所を全部回って、『清掃』してきた。

 その最後が北海道だった。そして、その直後に伊勢で異変が起きた。


「⋯⋯もし本当にそうなら」


 俺は呟く。


「ここを掃除したら、次はどうなるんですかね」


 誰も答えなかった。


 ここを『清掃』すれば伊勢は助かる。

 少なくとも、俺にはそう思える。


 でも、その結果として別の場所にもっと大きな異常が出るのなら、同じことの繰り返しだ。


 今度は伊勢より酷くなる可能性だってある。


「田中さん」


 神崎さんが俺を見る。


「今は使わない方がいいでしょう」

「⋯⋯ですよね」


 清掃員としては、目の前に明らかに掃除出来るものがあるのに放置するのは気持ち悪い。

 でも、さすがに今回は勝手にやるわけにはいかない。


「困ったな⋯⋯」


 俺が呟くと、白峰さんが巨大な歪みへ視線を向けた。

 しばらく何も言わずに観察していたが、やがて胸元から杖を取り出す。


「田中さん」

「はい?」

「少し調べさせてもらってもいいですか」


 白峰さんは杖を伸ばしながら、一歩前へ出た。

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