96話 清掃おじさん、受け止める
エルダー・ドラゴニュートの死体と三浦さんの遺体を運ぶ探索者達を見送ってから、俺はようやく水野さん達のところへ戻った。
戦っている間は考えないようにしていたが、改めて見ると本当に酷い状態だった。
空さんは全身に細かな傷を負い、水野さんも服のあちこちが破れて血が滲んでいる。橘さんや他のA級探索者達も似たようなもので、無傷の人間なんてほとんどいない。
海さんに至っては両腕と両目を治してもらったとはいえ、失った血までは戻っていない。今は空さんに身体を預けるようにして座り、青白い顔で目を閉じていた。
「海さん、大丈夫ですか?」
俺が声をかけると、海さんはゆっくり目を開けた。
「うん。腕も動くし、ちゃんと見える」
そう言って、再生した両手を確かめるように指を動かす。
「さっきはありがとうございました。あいつを戻してくれなかったら、完全に逃がしてました」
「田中さんが倒してくれたから。私は戻しただけ」
「いや、それが助かったんですよ」
「⋯⋯じゃあ、どういたしまして」
いつも通り淡々とした声だったが、少しだけ口元が緩んだように見えた。
その隣にいる空さんが、俺をじっと見ている。
「田中さん」
「はい?」
「⋯⋯ありがとう」
一瞬、聞き間違えたかと思った。
「何よ、その顔」
「いや、すみません。空さんから素直にお礼を言われると思ってなくて」
「私だってお礼くらい言うわよ!」
怒られた。
ただ、いつもの勢いはない。
空さんは少し視線を逸らしてから、海さんの肩を抱き直した。
「田中さんが来なかったら、私達は全員死んでた。海も助からなかったと思う。本当に⋯⋯ありがとう」
「間に合って良かったです」
俺が答えると、空さんは何か言いたそうにこちらを見た後、小さく「そうね」とだけ返した。
「田中さん」
今度は橘さんだった。
「本当にありがとうございました」
深く頭を下げられる。
「橘さんも無事で良かったです。怪我は大丈夫ですか?」
「私は大丈夫です。それより⋯⋯田中さんが来てくれた時、本当に安心しました」
橘さんはそう言って、柔らかく笑った。
何となく照れくさくなって頭を掻く。
「俺もギリギリでしたけどね。あと少し遅かったらと思うと⋯⋯」
そこまで言って、俺は水野さんを見る。
さっきから一言も喋っていなかった。
「水野さん?」
「⋯⋯うん」
返事はある。
でも、様子がおかしい。
俯いたまま、こちらを見ようとしない。
「どこか酷く痛むんですか?」
「⋯⋯ううん。どこも痛くない」
「じゃあ、どうしました?」
「⋯⋯田中さん」
ようやく顔を上げたその顔は——いっぱいに涙を浮かべていた。
「私、怖かった⋯⋯」
声が震えていた。
「⋯⋯はい」
「あいつ、めちゃくちゃ強くて。私が殴っても全然倒れないし、海さんが何回も助けてくれて、それでもどんどん追い詰められて⋯⋯三浦さんも、いきなり⋯⋯」
途中で声が詰まる。
俺は何も言わずに聞いた。
「海さんの腕がなくなって、目も見えなくなって⋯⋯次は誰がやられるんだろうって思って。私かもしれないし、空さんかもしれないし、由香里さんかもしれないって⋯⋯」
涙が頬を伝った。
それでも水野さんは話し続ける。
「最後にブレスが来た時、もう絶対死ぬって思った。逃げられないし、海さんも交換出来ないし、何も出来なくて⋯⋯」
「水野さん」
「私、ずっと自分は強いって思ってた。A級上位になって、ベヒーモスとも戦って、前よりずっと強くなったって。でも、全然駄目だった⋯⋯!」
水野さんが拳を握る。
「空さんの言う通りだった。
私ならもっと強くなれるのに、他のことやってる場合じゃないって。
その時は、そんなの私の勝手じゃんって思ってたし、今だって間違ってるとは思いたくないよ。
⋯⋯でも、あのブレスが来た時、後悔したの。もっと強くなることだけ考えてたら、海さんを守れたんじゃないかって。みんなを守れたんじゃないかって⋯⋯!」
「⋯⋯」
「それで、もう死ぬって思ったら⋯⋯田中さんの声がして——」
水野さんの顔がまた崩れた。
「『清掃』って⋯⋯いつもの田中さんの声が聞こえて、ブレスが全部なくなって⋯⋯田中さんが、本当に来てくれて⋯⋯!」
俺はどうしたらいいのか分からなくなった。
こういう時に上手いことを言える男なら良かったんだが、残念ながら俺にはそんな経験がない。
ただ、水野さんはずっと泣くのを我慢しているように見えた。
だったら、もう我慢しなくてもいいんじゃないかと思った。
「水野さん」
一歩近づく。
少し迷ってから、俺は水野さんの身体をそっと抱き寄せた。
自分でやっておいて、直後にかなり恥ずかしくなった。
24歳の女性を41歳のおっさんが抱きしめている。
普段だったら絶対出来ない。
というか、していいのか?⋯⋯でも、今離すのも違う気がする。
「大丈夫、大丈夫ですよ、水野さん」
「⋯⋯田中さん」
「怖かったですよね。でも、もう大丈夫です。水野さんも、空さんも、海さんも、橘さんも生きてます」
「だって⋯⋯!だってぇ⋯⋯!」
水野さんが俺の服を強く掴んだ。
そのまま顔を胸に押しつけて泣き始める。
「私、本当に死ぬかと思ったぁ⋯⋯!」
「はい」
「海さんの腕なくなるし!三浦さん死んじゃうし!あいつ何やっても効かないし!」
「はい」
「怖かったぁ⋯⋯!」
「大丈夫ですよ」
背中をゆっくり撫でる。
水野さんは声を上げて泣いた。
普段の明るくて元気な姿からは想像出来ないくらい、子供みたいに泣いている。
よほど怖かったんだと思う。
俺は何度も「大丈夫ですよ」と繰り返しながら、落ち着くまで背中を撫で続けた。
しばらくして、水野さんの泣き声が少しずつ小さくなる。
「⋯⋯田中さん」
「はい」
「もうちょっと⋯⋯このままでいい?」
「え?ああ、はい。大丈夫ですよ」
「⋯⋯ありがと」
胸元から小さな声が聞こえた。
俺はそれ以上何も言わなかった。
今は安心するまでこうしていればいい。
そう思っていたのだが、ふと顔を上げると、空さんと目が合った。
「⋯⋯」
「⋯⋯」
何故かじっと見られている。
その隣では海さんもこちらを見ていた。
橘さんまで見ている。
何だろう。
俺、何かまずいことしただろうか。
急に不安になったが、胸元では水野さんがまだ俺の服を掴んでいるので動くわけにもいかない。
「⋯⋯田中さんって、そういう感じなのね」
空さんがぼそっと言った。
「何がですか?」
「別に」
何なんだ。
橘さんは何故か少し困ったように笑っているし、海さんは無表情のまま俺と水野さんを交互に見ている。
よく分からない。
水野さんはそんな周囲の様子にも気づいていないのか、俺の胸に顔を埋めたままだった。
◆
水野夏希にとって、死を覚悟した瞬間に聞こえた「清掃」という声と、その直後に自分達の前へ立った男の背中は、もう以前と同じ意味では見られなくなっていた。
怖くて仕方なかった。
もう駄目だと思った。
その絶望を全部消して、自分達を助けに来てくれた。
胸に顔を埋めながら聞く田中の心臓の音に安心してしまう自分を、夏希はもう誤魔化せなかった。
田中和彦が好きだ。
それを自覚するには、十分すぎるほどの出来事だった。
◆
水野さんがようやく落ち着いた後、俺達は三浦さんが倒れていた場所へ集まった。
遺体は既に運び出されている。
それでも、床には戦いの痕跡が残っていた。
俺は三浦さんと話した時間を思い出す。
ほんの少しだった。
それでも、明るくて話しやすい人だったことは覚えている。
俺のことを奥さんが知っていると教えてくれた。
水野さんとも親しそうだった。
まさか、その直後に死ぬなんて思わなかった。
「三浦さん、本当に良い人だったんだよ」
隣に立つ水野さんが言った。
「探索者になってから何回も会ってて、コラボもして⋯⋯今日だって、普通にまた会えると思ってた」
「⋯⋯そうですよね」
「奥さんと、子供もいるんだよ」
「聞きました」
水野さんが唇を噛む。
「帰ったら、何て言えばいいんだろ⋯⋯」
俺には答えられなかった。
探索者という仕事に危険があることは、みんな分かっている。
でも、分かっているから平気になるわけではない。
今日まで普通に話していた人が、明日もいる保証なんてない。
それを改めて突きつけられた気がした。
俺達はしばらく、その場で黙って三浦さんを悼んだ。
まだやることは残っている。
異常魔素の原因も調べなければならない。
それでも今だけは、すぐに動き出す気にはなれなかった。
「なっちゃぁぁぁん!ゆかりぃぃぃん!」
遠くから声が聞こえた。
「え?」
水野さんが顔を上げる。
通路の向こうから二人の女性が走ってきた。
黒川さんと小宮川さんだった。
「玲奈さん!美月さん!」
「夏希!」
黒川さんが真っ先に水野さんへ駆け寄る。
その身体を見て、顔を歪めた。
「良かった⋯⋯本当に⋯⋯!」
「玲奈さん⋯⋯」
「なっちゃん!」
遅れて小宮川さんも飛びついた。
「もう!もうほんっとに心配したんだから!死んだら絶対許さないって思ってたんだからぁ!」
「美月さん、それ死んだ後に怒られても困るんだけど⋯⋯」
「うるさい!」
泣きながら怒られている。
「由香里!」
「玲奈さん⋯⋯!」
黒川さんが橘さんの手を引いた。
全員傷だらけで、泣いていて、とてもいつものVIVIDには見えなかった。
「みんな無事で良かった⋯⋯」
橘さんの言葉をきっかけに、四人が抱き合う。
小宮川さんは完全に泣いているし、水野さんもまた泣き始めた。黒川さんまで目元を拭っていて、橘さんも笑いながら涙を流している。
俺は少し離れたところから、その様子を眺めた。
色々あった。
死んだ人もいる。
海さんも一時はどうなることかと思った。
それでも、VIVIDの四人は全員生きている。
GEMINIも二人とも生きている。
間に合った。
それだけは、本当に良かったと思う。
ただ、これで終わりではない。
エルダー・ドラゴニュートは言っていた。
自分が来た時には、既に『道』が繋がっていたと。
俺達が伊勢に来た理由である、異常な魔素。
その原因はまだ何一つ解決していない。
俺はVIVIDの四人から視線を外し、ダンジョンのさらに奥を見る。
SS級を倒しても、まだ仕事は残っている。
だったら、最後までやるしかない。
俺は清掃員なんだから。
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