95話 清掃おじさん、怒りの鉄拳
エルダー・ドラゴニュートが翼を広げた。
逃げるつもりなのは分かっている。
だから、飛び上がるより先に距離を詰めた。
「っ!」
向こうも俺が追ってくることは予想していたらしく、振り返りざまに尻尾を振るってくる。頭を下げて避けると、今度は爪が顔を狙ってきた。
やっぱり上手い。
追い詰められていても動きに迷いがなく、逃げるために必要な攻撃だけを選んでいる。俺が爪を避けた瞬間には翼を大きく羽ばたかせ、その勢いで一気に距離を取ろうとしていた。
でも、もう関係ない。
「『清掃』」
俺とエルダー・ドラゴニュートの間にある空間を消す。
飛び上がったはずの身体が、再び目の前へ戻ってきた。
「また⋯⋯っ!」
驚いた顔をしたところへ拳を叩き込む。
今度は顔ではなく、右肩を狙った。
鈍い音がして、腕が不自然な方向へ曲がる。
「ぐああっ!」
悲鳴が上がった。
そのまま逃がさず左腕も掴み、力を込める。
「や、やめ——」
「お前も——両腕を無くす痛みを知れ」
骨が折れる感触が手に伝わった。
「ぎゃあああああっ!?」
左腕からも力が抜ける。
エルダー・ドラゴニュートは両腕を垂らしたまま後ろへ下がろうとしたが、まだ翼が残っている。俺から逃れるために再び飛ぼうとしたので、今度は翼の根元を掴んだ。
「待て!貴様、何を——」
「もう飛ばせない」
力任せに折る。
硬い。それでも、俺がさらに力を込めると根元から嫌な音が響き、片方の翼が力なく垂れ下がった。
「ぎゃああああっ!」
もう片方も同じように折る。
エルダー・ドラゴニュートが暴れ、尻尾を俺の身体へ何度も叩きつけてくるが、構わなかった。
腕も使えない。翼も使えない。
それでも蹴ろうとしてきたので、今度は右脚を蹴った。
膝が逆方向へ曲がる。
身体が崩れたところで左脚も踏みつけ、同じように折った。
エルダー・ドラゴニュートが床へ倒れ込む。
さっきまであれだけ余裕のある顔をしていたのに、今は苦痛で顔を歪めていた。
俺はその前にしゃがむ。
「これでもう逃げられないだろ」
「き、貴様⋯⋯!」
まだ睨んでくる。
頭には二本の大きな角が残っていた。
これが何かに使えるのかは分からない。
ただ、海さんの腕や目を傷つけた奴に立派な角が残っているのも、何となく腹が立った。
片方を掴む。
「何をするつもりだ⋯⋯?」
「これも邪魔だな」
「待っ——」
折った。
続けてもう一本も折る。
「ぐっ⋯⋯ああああっ!」
折れた角をその辺へ放り投げる。
これで四肢も、翼も、角も使えなくなった。
まだ尻尾は動いているが、この状態なら大したことは出来ないだろう。
俺は一度息を吐いた。
本当なら、このまま殺したかった。
でも、こいつは喋る。
しかも、かなり高い知能がある。
ここで殺してしまうより、先に聞いておくべきことがある。
「お前に聞きたいことがある」
「⋯⋯我に、答えろと?」
「答えないなら、このまま殺す」
エルダー・ドラゴニュートが黙った。
さっきまでなら鼻で笑っていたのかもしれないが、今は俺が本気だと分かっているらしい。
「俺達をバラバラに飛ばしたのは、お前か?」
僅かな沈黙の後、答えが返ってきた。
「⋯⋯そうだ」
「やっぱりお前か」
「これだけの人間が一度に入ってきたのでな。まとまって動かれるより、分けた方が始末しやすいと考えた」
あの魔法陣は、こいつが使ったものだったらしい。
偶然転移させられたわけでも、伊勢ダンジョンの異常によって起きた現象でもなかった。
最初から俺達を分断するための魔法だった。
「じゃあ、今このダンジョンで起きている異常もお前がやったのか?」
「異常⋯⋯?」
「とぼけるなよ。異常な量の魔素が発生してる。お前がそれを発生させたんじゃないのか?」
エルダー・ドラゴニュートはしばらく俺を見た後、首を僅かに振った。
「知らぬ」
「嘘つくなよ」
「嘘ではない!我がここへ来た時には、既に道は繋がっていた!」
「道⋯⋯?」
「我がいた場所と、この場所を繋ぐ道だ。それが生じていたから通ったに過ぎぬ。何故現れたのかなど知らん」
俺は眉を寄せた。
こいつが原因ではない。
もちろん、全部を信用するわけにはいかない。
ただ、今の話が本当なら、少なくとも一つ気になることが増えた。
「お前がいた場所って、どこだ?」
「⋯⋯深淵だ」
「深淵?妙な言い回しはやめろよ。何階だ?」
「階?」
エルダー・ドラゴニュートが怪訝そうな顔をする。
「人間の決めた区切りなど知らぬ。我らはそのような数え方をしない」
「他にもお前みたいなのがいるのか?」
今度は答えない。
「いるのかって聞いてるんだけど」
「⋯⋯」
黙ったままだ。
俺は拳を握る。
エルダー・ドラゴニュートの表情が強張った。
「いる!だが、どれほどいるかまでは我も知らぬ!!」
嫌な話だ。
SS級がこいつだけとは限らない。
それどころか、もっと強い奴がいる可能性だってある。
「田中さん」
後ろから神崎さんの声がした。
振り返ると、遅れて合流した神崎さんが水野さん達の状態を確認しながらこちらを見ていた。
「そいつが原因ではないとすると、やはり異常魔素の発生源を直接調べる必要がありそうですね」
「そうですよね⋯⋯」
白峰さん達とも合流しないといけない。
エルダー・ドラゴニュートの話も、探協の人達に詳しく聞いてもらった方がいいだろう。
こいつをどうするか。
そう考えながら、ほんの少しだけ視線を外した。
その時だった。
「——転移」
「え?」
聞き慣れない言葉に振り返る。
エルダー・ドラゴニュートの身体の下に、赤黒い魔法陣が浮かんでいた。
「お前⋯⋯!」
「さらばだ、人間!」
咄嗟に『清掃』を使う。
だが、一瞬遅かった。
魔法陣ごとエルダー・ドラゴニュートの姿が消える。
「⋯⋯は?」
何もいない。
四肢も翼も折った。
それでも魔法は使えたらしい。
「逃げやがった⋯⋯!」
完全に油断した。
空間を移動する魔法まで使えるなんて考えていなかった。
俺は慌てて周囲を見る。
「神崎さん!」
「『領域』にはいません。かなり離れた場所へ転移したようです」
「くそ⋯⋯っ!」
どこへ行った。
今から追えるのか。
そう考えた瞬間、後ろから小さな声が聞こえた。
「⋯⋯見える」
振り返る。
海さんが目を開けていた。
「海!?」
空さんが妹のそばへしゃがむ。
「起きたの!?大丈夫!?」
「⋯⋯うん。でも、身体に力入らない」
「当たり前でしょ!血が足りないって言われたのよ! 寝てなさい!」
「でも⋯⋯あいつ、逃げた」
海さんは空さんではなく、隣にいる橘さんを見ていた。
橘さんが海さんの手を握っている。
「由香里さん。まだ『共有』繋がってる?」
「え?はい。繋がっていますけど⋯⋯」
「なら——見える、かも」
海さんがもう一度言った。
何のことか分からなかった。
空さんも同じだったらしい。
「海、何が見えるの?」
「由香里さんが『共有』してる人の視界」
橘さんの表情が変わる。
ヒュドラとの戦いで、海さんと橘さんの『共有』を組み合わせていたらしい。橘さんが触れた人間の視覚を海さんへ共有することで、海さん本人からは見えない場所でも『交換』の対象として認識出来る。
そして今。
エルダー・ドラゴニュートが転移した先に、橘さんと『共有』で繋がっている探索者がいた。
「⋯⋯見つけた」
海さんが呟く。
「海、いつの間に——」
「目を切られた時、魔素を込めてやった。⋯⋯まあ、ずっとそれどころじゃなくて、交換を発動条件できなかったけど」
「そんな無茶をして!馬鹿海!」
「姉さん、説教は後で聞くから。⋯⋯田中さん」
海さんが俺を見る。
「戻すね」
「はい」
海さんが俺の目の前の瓦礫に手を触れる。その直後だった。
俺の目の前に置かれていた瓦礫が消えた。
代わりに——。
「なっ!?」
エルダー・ドラゴニュートが現れた。
一瞬、俺も驚いた。
でも、向こうはそれ以上だった。
「な、何故⋯⋯!?我は確かに転移を——!」
状況を理解出来ていない。
四肢を折られ、翼も角も失った状態で床へ転がりながら、俺と海さんを交互に見ている。
俺はゆっくり拳を握った。
「⋯⋯お前さ」
エルダー・ドラゴニュートの顔が引きつった。
俺はかなり怒っていた。
せっかく殺さずに話を聞こうとしたのに。
その隙に逃げた。
「人が考えてる間に逃げるなよ」
「ま、待て!」
初めて、はっきりと怯えた声が聞こえた。
「我は答えた!貴様の問いにも答えただろう!もう敵対するつもりはない!だから——」
「知るか」
「待ってくれ!命だけは——」
「もう、待たない」
拳を振り下ろした。
鈍い音が響く。床が大きく砕けた。
それきり、エルダー・ドラゴニュートの声は聞こえなくなった。
「⋯⋯」
俺はしばらく動かなかった。
少しして拳を上げる。
頭部は完全に潰れている。
死んだ。間違いなく。
「田中さん⋯⋯」
水野さんの声が聞こえた。
俺は一度息を吐き、ようやく立ち上がった。
「すみません。ちょっと頭にきて」
「ちょ、ちょっと⋯⋯?」
空さんが呟いた気がしたが、聞かなかったことにする。
倒れたエルダー・ドラゴニュートを見る。
いつもなら、そのまま『清掃』して終わりだ。
でも、これはさすがに消してはいけない。
日本で初めて確認されたSS級モンスターの死体だ。魔法を使い、人間の言葉を話し、こちらと意思疎通まで出来るモンスターとなれば、調べたいことはいくらでもあるだろう。
「残留魔素だけ消しておくか」
死体そのものではなく、周囲へ漏れ出している魔素だけを意識する。
「『清掃』」
エルダー・ドラゴニュートから溢れていた残留魔素が消えていく。
これなら、運ぶ人達への影響も減るはずだ。
俺は近くにいたA級探索者達を見る。
「すみません。何人かで、この死体を地上まで運んでもらえますか?かなり貴重なものだと思うので、出来るだけ早く探協の人に渡してください」
「分かりました」
「お願いします」
数人がすぐに動き出した。
俺はもう一つの死体——三浦さんの死体を見る。
さっきまでエルダー・ドラゴニュートに集中していたせいで、まともに見る余裕がなかった。
伊勢ダンジョンに入る前に話した時のことを思い出す。
奥さんと、子供がいる。
その二人は、三浦さんが帰ってくるのを待っているはずだ。
「⋯⋯三浦さんも、お願いします」
俺が言うと、別の探索者が静かに頷いた。
「はい」
「ちゃんと⋯⋯一緒に連れて帰ってあげてください」
探索者達が三浦さんの身体のところへ向かう。
俺はその姿を見送った。
SS級は倒した。でも、何も終わっていない。
こいつは伊勢ダンジョンの異常を起こした張本人ではなかった。
むしろ、その異常によって出来たらしい『道』を通ってきただけだという。
だったら、その道が何なのか。
どうして突然出来たのか。
その先に何があるのか。
調べなければならないことは、まだ残っていた。
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