94話 清掃おじさん、逃がさない
エルダー・ドラゴニュートが翼を広げた瞬間、凄まじい勢いで魔素が膨れ上がった。
赤黒い光が右手へ集まり、長槍を形作っていく。
俺はそれを見ながら、拳を握った。
「田中さん!」
後ろから水野さんの声が聞こえる。
振り返らなくても、何を言おうとしているのかは何となく分かった。
「大丈夫です。水野さん達は休んでてください」
「でも、そいつ⋯⋯!」
「大丈夫ですよ」
もう一度だけそう言って、俺はエルダー・ドラゴニュートへ向かって歩く。
正直、SS級がどれくらい強いのかは分からない。世界でもほとんど確認されていないらしいし、当然俺も戦ったことはなかった。
それでも、負ける気はしなかった。
海さんの両腕を切り落とし、目まで傷つけた。水野さん達をあんな状態になるまで追い詰め、三浦さんを殺した。
何より、あと少し俺が遅ければ全員殺されていた。
それを考えると、恐怖より先に腹が立つ。
「随分と余裕だな、人間」
エルダー・ドラゴニュートが槍を構える。
「我が何者か理解しているのか?」
「SS級なんだろ」
「それを知ってなお、その態度か?」
「ランクなんかどうでもいいよ」
俺は足を止めた。
「お前がやったことの方が大事だ」
エルダー・ドラゴニュートの顔が歪む。
「不愉快な人間だ」
その姿が消えた。
速い。
そう思った時には、槍の切っ先が俺の喉元まで迫っていた。
身体を横へずらして避ける。
すぐに槍が引き戻され、今度は横薙ぎに振られたので上体を反らしたが、避けた先へ尻尾が飛んできた。
「っ!」
腕で受ける。
重い衝撃が走ったものの、ベヒーモスや四重の獅子堂さんほどではない。
俺が尻尾を掴もうとすると、エルダー・ドラゴニュートはすぐに引き戻し、槍を突き出してくる。
やっぱり上手い。
俺みたいに身体能力に任せて殴ったり蹴ったりしているのとは違う。
槍だけではなく、爪や蹴り、尻尾まで使い、俺がどう避けるのかを見ながら次の攻撃へ繋げている。
槍を避けて殴ろうとすれば、その拳を翼で受け流される。
もう一度踏み込むと、今度は槍の石突が顎を狙ってきた。
首を傾けて避け、そのまま腹へ拳を返す。
エルダー・ドラゴニュートは腕で受けた。
鈍い音が響く。
「ぐっ⋯⋯!」
エルダー・ドラゴニュートの身体が後ろへ飛んだ。
壁へ激突する寸前に翼を広げ、空中で体勢を立て直す。
俺は自分の拳を見る。
硬い。インセクト・ロードほどではないが、竜の鱗らしい部分は相当な硬さだった。
ただ、殴れる。
それなら問題ない。
「貴様⋯⋯!」
エルダー・ドラゴニュートが驚いたように俺を見ていた。
「何だよ」
「何故その身体で、これほどの力を持っている?」
「知らん」
「ふざけるな!」
赤黒い魔法陣が一斉に展開された。
炎や雷、黒い槍のようなものが俺へ向かって飛んでくる。
「『清掃』」
それを全部——消した。
「なっ⋯⋯!?」
俺はそのまま走る。
エルダー・ドラゴニュートがすぐに新しい魔法陣を作ったが、それも『清掃』で消す。さらに槍へ大量の魔素を流し込み、赤黒い光を纏わせたので、それもついでに消した。
ただの槍になったところを掴む。
「何っ!?」
引っ張った。
エルダー・ドラゴニュートの身体がこちらへ引き寄せられる。
その顔へ拳を叩き込んだ。
「がっ!」
今度は完全に入った。
エルダー・ドラゴニュートが床を何度も転がる。
すぐに立ち上がったが、口元から血が流れていた。
「貴様のそれは何だ!?何故我の魔法が消える!?」
「清掃だよ」
「清掃⋯⋯?」
「説明しても分からんだろ」
「舐めるな!」
怒鳴ると同時に、エルダー・ドラゴニュートがまた踏み込んできた。
今度はさっきより速い。
槍が何度も突き出され、俺は避けながら距離を詰めようとするが、簡単には近づけない。槍を避ければ爪が来て、爪を避ければ尻尾が来る。俺が強引に踏み込もうとすれば翼まで使って距離を調整してくる。
面倒だ。
戦う技術だけなら、間違いなく向こうの方が上だった。
それでも、攻撃が一発でも当たれば話は変わる。
俺は槍の穂先を腕で受けた。
「田中さん!」
後ろから声が上がる。
皮膚が切れ、血が出た。でも、それだけだ。
「なっ⋯⋯」
エルダー・ドラゴニュートが目を見開く。
俺は槍の柄を掴み、そのまま引き寄せた。
「捕まえた」
空いている方の拳で腹を殴る。
鱗が僅かに砕け、エルダー・ドラゴニュートの身体が折れた。
槍から手が離れる。
俺はそのまま胸ぐらを掴もうとしたが、翼が大きく動き、凄まじい風圧が顔へ叩きつけられた。
一瞬視界を塞がれた隙に距離を取られる。
「⋯⋯っ、何なのだ、貴様は⋯⋯!」
エルダー・ドラゴニュートの余裕が、明らかになくなっていた。
俺は腕の傷を見る。
——浅い。すぐに戦えなくなるようなものではない。
対して、向こうの口元からはまだ血が流れている。
「もう終わりか?」
「調子に乗るな、人間!」
エルダー・ドラゴニュートが翼を広げ、今度は俺の頭上まで一気に飛び上がった。
またこれか。飛べるやつは厄介だ。
インセクト・ロードと戦った時にも散々困らされた。
空を飛べない俺にとって、上から一方的に攻撃されるのは非常に面倒だ。
エルダー・ドラゴニュートもそれを理解したのか、上空から次々と魔法陣を展開していく。
俺はそれを全部『清掃』で消した。
「何故だ!何故消せる!」
知らん。
俺だって十九年間掃除していただけで、どうしてこんなことになったのか全部理解しているわけではない。
ただ、魔法を消せることはもう分かっている。
そして、飛んでいる相手への対処も一つだけ心当たりがあった。
インセクト・ロード戦で使った、あれだ。
あの時は偶然に近かった。
獅子堂さんとの模擬戦で一度だけ起きた現象を思い出し、何度か失敗した末にどうにか再現した。
俺と相手の間にある空間。
そこに『清掃』を使う。
エルダー・ドラゴニュートがさらに高度を上げる。
「⋯⋯逃がすか」
俺は手を伸ばした。
インセクト・ロードの時の感覚を思い出す。
相手を掃除するわけではない。
間にある距離を縮めるわけでもない。
——俺とあいつの間に存在している空間そのものを、邪魔なものとして認識する。
「『清掃』」
視界が僅かに歪んだ。
上空にいたエルダー・ドラゴニュートの姿が一瞬だけ消え、次の瞬間、俺の目の前に現れた。
「なっ!?」
驚いている顔へ、そのまま拳を叩き込む。
「ぐあっ!」
エルダー・ドラゴニュートが床へ叩きつけられた。
俺は自分の手を見る。
出来た。
インセクト・ロードの時より、ずっと自然に。
あの時は感覚を探りながら無理やり発動させたが、今回は何を消したいのかが明確に分かった。
空間を消したんだ。
今まで俺は、汚れや残留魔素、モンスターの死体、魔法や毒といったものを『清掃』してきた。
でも、こいつは違う。
空間そのものにも『清掃』は使える。⋯⋯もう清掃でもなんでもない気がするが⋯⋯。
獅子堂さんとの戦いで偶然起きて、インセクト・ロードとの戦いで一度だけ意識して成功した。今のでようやく、それが偶然ではなかったと確信出来た。
空間を清掃して消滅させると、その空間を埋めるように空間が縮む。擬似的な瞬間移動だ。
「⋯⋯これ、結構色んなこと出来るんじゃないか?」
今考えることではない。
ただ、『清掃』は俺が思っていたよりずっと広い範囲に作用するのかもしれない。——この空間清掃は、有り得ないほど魔素を消費してしまうのが欠点か。
「貴様⋯⋯何をした!」
エルダー・ドラゴニュートが立ち上がる。
「お前をこっちに戻した」
「馬鹿な!転移魔法の発動は感じなかったぞ!」
「魔法じゃないからな」
俺にも具体的な説明はできない。
エルダー・ドラゴニュートが翼を広げ、再び飛び上がった。
俺はすぐに同じ感覚を作る。
「『清掃』」
「なっ——」
また目の前へ戻ってくる。
今度は腹を殴った。
エルダー・ドラゴニュートの身体が壁へ叩きつけられ、周囲に亀裂が走る。
「ぐっ⋯⋯!」
すぐに追う。
相手は壁を蹴って逃れ、俺の側頭部へ蹴りを放ってきた。
腕で受けて、反対の手で脚を掴む。
エルダー・ドラゴニュートは身体を捻り、俺の手を振りほどきながら爪を振るった。頬が切れたが、その代わりに俺の拳も肩へ入る。
鱗が砕けた。
エルダー・ドラゴニュートが苦痛に顔を歪める。
「馬鹿な!?人間如きに、この我が押し負けるだと!?」
怒りに任せて振るわれた拳を避け、その脇腹へ蹴りを入れる。
身体が浮いた。
そのまま追いかけて、着地する前にもう一発殴る。
技術では負けている。
それでも、速度も力も俺の方が上だった。
魔法を使えば『清掃』で消える。
距離を取れば追いつく。
空へ逃げれば、空間ごと『清掃』して目の前へ戻す。
エルダー・ドラゴニュートの方が遥かに戦い慣れているのに、その技術を活かすための選択肢を一つずつ潰せる。
「くそっ!」
エルダー・ドラゴニュートが俺から離れながら、複数の魔法陣を同時に展開した。
「『清掃』」
魔法は消す。
直後に、エルダー・ドラゴニュートは怒りながら飛び上がる。
「『清掃』」
しかし引き戻す。
そして、拳を振るう。
エルダー・ドラゴニュートは辛うじて避けたが、続けて放った蹴りまでは避けられず、脇腹に直撃した。
「がっ⋯⋯!」
床を転がった相手が、すぐに起き上がる。
目が合った。
そこで初めて、エルダー・ドラゴニュートの表情に別のものが混じった。
怒りでも驚きでもない。
恐怖だった。
視線が俺ではなく、その後ろへ向く。
さらに通路の奥を見る。
何かを探している。
俺はそれを見て、すぐに分かった。
「⋯⋯逃げる気か?」
エルダー・ドラゴニュートの表情が僅かに動いた。
やっぱりそうか。
さっきまで散々好き勝手にやっていたくせに、自分が不利になったら逃げるつもりらしい。
三浦さんを殺して。
海さんの両腕を切り落として、目まで傷つけて。
水野さん達を殺しかけて。
それで逃げるのか。
また腹の底から怒りが湧いてきた。
エルダー・ドラゴニュートが大きく翼を広げる。
俺はその姿を見ながら、拳を握った。
「逃がすわけないだろ」
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