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92話 SS級③

 黒川玲奈達は、伊勢ダンジョンの通路をひたすら走り続けていた。


「まだですか!?」

「もう少しです!さっきより反応が近い!」


 先頭を走るA級探索者が答える。


 魔素を視認出来る彼の案内だけが頼りだった。複雑に入り組んだダンジョンの壁や床を隔ててもなお見失わないほど巨大な魔素の反応を追い、玲奈達は何度も通路を曲がりながら走っている。


 既に全員の息が上がっていた。

 ヒュドラとの戦闘を終えた直後から、ほとんど休んでいない。それでも足を止める者はいなかった。


「美月、大丈夫?」

「大丈夫じゃないけど走るしかないでしょ。なっちゃん達が待ってるんだから」


 いつもの軽い調子はない。


 小宮川美月も必死だった。


 あれから何分経ったのか。SS級という言葉が何度も頭を過ぎるたびに、最悪の想像を振り払うように足へ力を込める。


「見えました!この先です!」


 先頭の男が叫んだ。

 その言葉を聞いた瞬間、美月が前へ出る。


「美月?」

「もう待てない!」


 美月の身体が僅かに浮いた。

 自分自身を『念力』で掴み、進行方向へ向かって力をかける。


「ちょっと、美月!」

「先行く!」


 床を蹴ると同時に、念力を一気に解放した。

 美月の身体が凄まじい勢いで通路を飛んでいく。


「きゃあああああっ!」


 自分でやっておきながら悲鳴が出た。


 普段の『念力』は物体を動かしたり、敵へ攻撃したりするために使うもので、自分自身をこんな速度で飛ばしたことなどない。


 止まり方まで考えていなかった。


「ちょっ、待って!これ無理!止まんないぃぃぃ!」


 通路の先に人影が見えた。


 複数いる。

 その中に、見覚えのある作業着姿の男を見つけた。


「田中さぁぁぁん!」

「えっ?」


 田中和彦が振り返る。


 自分へ向かって猛スピードで飛んでくる美月を見て、さすがに驚いたようだった。


「小宮川さん!?」


 田中はすぐに前へ出た。


 飛んできた美月を正面から受け止め、その勢いを殺すように数歩後ろへ下がる。


「うおっ⋯⋯!危なっ!」


 それでも転ぶことなく、田中は美月を両腕で抱えるように受け止めた。


「大丈夫ですか、小宮川さん?」

「田中さん⋯⋯!」


 美月は顔を上げた。

 田中の顔を見た瞬間、それまで必死に抑えていたものが一気に溢れた。


 目から涙が零れる。


「田中さん!なっちゃんとゆかりんを、皆を助けて!」

「⋯⋯何があったんですか?」


 只事ではない様子に、田中の表情が変わる。


「SS級⋯⋯!SS級のモンスターが出たの!三浦さんも殺されて、それで、なっちゃん達が残って⋯⋯!」

「SS級⋯⋯?」

「エルダー・ドラゴニュートって⋯⋯女みたいな竜のモンスターで、海さんが美月達を逃がして⋯⋯!」


 そこまで話したところで、玲奈達も追いついた。


「田中さん!」

「黒川さん!」


 玲奈は息を整える暇もなく続ける。


「お願いします。夏希達のところへ来てください。GEMINIも残っていますが、相手はこれまでのS級とは明らかに違います。このままでは⋯⋯」

「場所は分かりますか?」

「はい!」


 玲奈達を案内してきたA級探索者が答えた。


「俺が案内出来ます!」

「分かりました。すぐ行きましょう」


 田中は美月をゆっくり床へ下ろした。

 美月は涙を拭いながら、何度も頷く。


「お願い⋯⋯早く⋯⋯!」


 田中は何も言わず、男が示した方向へ走り出した。


◆


 海を殺す。

 エルダー・ドラゴニュートがそう宣言してから、戦い方は明確に変わった。


 空や夏希が攻撃を仕掛けても、無理に倒そうとはしない。必要最低限の動きで受け流し、隙が生まれるたびに海だけを狙う。


「海から離れなさい!」


 空が金属片を爆破する。

 至近距離で爆発が起きたにもかかわらず、エルダー・ドラゴニュートは翼で身体を守りながら強引に突っ切った。


 その先にいるのは海だ。


「させない!」


 夏希が横から飛び込み、拳を振るう。

 エルダー・ドラゴニュートは魔法で作り出した槍の柄で受け止めるが——。


「『透過』!」


 柄を透過で無視し、エルダー・ドラゴニュートを殴ろうとする。しかし、瞬時に尻尾が夏希を吹き飛ばした。


「夏希ちゃん!」

「余所見してる場合かぁ?死ぬぞ!」

「海さん!」


 エルダー・ドラゴニュートの槍が突き出される直前、海の姿が消える。

 代わりに鉄球が現れ、槍に貫かれた。


 海は離れた場所へ移動している。

 また『交換』で逃げた。


「⋯⋯ふん。鬱陶しい」


 エルダー・ドラゴニュートが呟く。

 海は答えず、ガントレットから新たな針を射出しようとした。


 その瞬間だった。

 エルダー・ドラゴニュートが手を向けると、赤黒い魔法陣から細い光が放たれた。


 狙いは海ではない。

 床を転がっていた鉄球だった。


「⋯⋯!」


 一つが砕ける。

 続けて二つ、三つ。

 海が各所へ配置していたマーカーが、次々と破壊されていく。


「やってくれる⋯⋯!」


 海のガントレットから追加の針が射出される。

 しかし、エルダー・ドラゴニュートはもう用途を理解していた。


 空が爆破で妨害し、夏希が正面から殴りかかっても、攻撃を捌きながら鉄球や針だけは確実に破壊していく。


「こいつ⋯⋯!」


 空はようやく相手の狙いを理解した。

 海を追っているように見せながら、逃げ道そのものを減らしている。


 さらにエルダー・ドラゴニュートが大きく翼を振った。

 空と夏希が風圧に押される。ほんの一瞬、海との間が開いた。


「海ー!!」


 エルダー・ドラゴニュートが踏み込む。


 海はすぐに『交換』を使おうとした。

 だが——視界にあった鉄球は全て無くなっていた。


「不味い、避けられ——」


 エルダー・ドラゴニュートは、その右腕へ槍を振り下ろした。

 ガントレットごと右腕が飛ぶ。


「海っ!」


 空の叫びが響いた。

 切断された右腕が床を転がる。


 海の表情が初めて大きく歪んだ。


「っ⋯⋯!」


 それでも左手を動かそうとする。

 残ったガントレットから魔素針を出すためだった。


 だが、その動きも読まれていた。

 エルダー・ドラゴニュートの爪が振り抜かれ、今度は左腕がガントレットごと切断された。


 海の身体が崩れる。


「〜〜〜〜〜っ!」

「海さん!」


 夏希が飛び込み、倒れる海を抱えた。

 空が二人の前へ出て、触れた瓦礫を次々と爆破する。


「このっ⋯⋯!」


 連続する爆発がエルダー・ドラゴニュートを押し戻した。


「海さん!」


 由香里が海のもとへ走る。

 両腕から、とめどなく血が流れていた。


「止血します!夏希ちゃん、押さえて!」

「海さん、しっかりして!海さん!」

「⋯⋯平気」

「平気なわけないでしょ!」


 夏希が叫ぶ。

 

 海は顔を上げた。

 その視線の先では、残っていた鉄球が一つずつ破壊されていた。


 最後の一つが砕ける。

 交換先がなくなった。


「姉さん⋯⋯マーカー、全部なくなった」

「喋らなくていい!」


 空は妹を庇いながらエルダー・ドラゴニュートを睨む。

 

 怒りで頭がおかしくなりそうだった。

 それでも、突っ込むわけにはいかない。


 海を守らなければならない。


「ずいぶんと大切にされているな」


 エルダー・ドラゴニュートが笑った。


「黙れ」

「では、もう一つ奪ってみるか。発動条件は——」


 空が反応するより早かった。

 エルダー・ドラゴニュートの姿が視界から消える。


 次の瞬間には、夏希のすぐ横にいた。


「なっ——」

「目、だろう?」


 夏希が海を抱えたまま身体を捻る。

 エルダー・ドラゴニュートの指先が海の顔を横切った。


 夏希は海を抱えたまま転がり、必死に距離を取る。


「海さん!?」


 海の閉じた両目から——血が流れていた。


「⋯⋯見えない」


 その一言を聞いた瞬間、空の顔から血の気が引いた。


「海⋯⋯?」

「姉さん⋯⋯見えない」


 海の声が震えている。

 両腕を失っただけではない。


 視界まで奪われた。


 仮に交換出来る対象が残っていたとしても、見えないために位置の交換ができない。


「ふざっ⋯⋯けんな⋯⋯!」


 空の声が震えた。

 怒りだけではない。恐怖が混じっていた。


「夏希!海をお願い!」

「はい!」


 空が前へ出る。

 エルダー・ドラゴニュートへ向かってガントレットを構え、残っている金属片を一気に射出した。


「よくも海を⋯⋯!」


 爆発が連続する。

 エルダー・ドラゴニュートは翼で防ぎながら後退したが、空は止めない。


 夏希も海を由香里へ預けると、すぐに空へ加勢した。


「由香里さん、海さんをお願い!」

「分かった!」


 由香里は海の両腕を止血しながら、必死に声をかけ続ける。


「海さん、聞こえますか?大丈夫ですから。もう動かなくていいです」

「⋯⋯みんなは?」

「戦っています!」

「姉さん⋯⋯」

「大丈夫、夏希ちゃんもいますから」


 海は何も言わなくなった。

 痛みと出血で意識を保つだけでも限界に近い。


 一方、空と夏希はエルダー・ドラゴニュートへ攻撃を続けていた。


 空が爆破で動きを制限し、夏希が『透過』を使って防御を抜く。残ったA級探索者達も二人を援護し、海のところへ近づけさせないよう必死に攻撃を重ねている。


 エルダー・ドラゴニュートは、それを受けながら笑っていた。


「随分と必死だな」

「当たり前でしょ!」


 空が叫ぶ。


「妹にこれだけやられて、黙ってられるわけないでしょうが!」


 爆発が起きる。

 その直後に夏希が飛び込み、腹部へ拳を叩き込む。


 エルダー・ドラゴニュートが後退する。


「空さん、もっと!」

「分かってる!」


 二人とも海しか見えていなかった。

 正確には、海を守るためにエルダー・ドラゴニュートだけを見ていた。


 だから気づくのが遅れた。

 エルダー・ドラゴニュートが、いつの間にか攻撃をやめている。


 そして、僅かに距離を取っていた。


「⋯⋯夏希」


 空が異変に気づく。

 エルダー・ドラゴニュートが大きく息を吸っていた。


 その口元に、赤い光が集まっている。


「っ!」


 夏希の背筋が凍った。


 最初に見たブレスとは違う。

 あの時より遥かに多くの魔素が集まっている。


 エルダー・ドラゴニュートは、最初からこれを狙っていた。


 海を執拗に狙い、交換のための装備を壊し、両腕を奪い、視界まで潰した。空と夏希を海の防衛に集中させ、残ったA級探索者達も同じ場所へ集めさせる。


 全員を、一度に焼き尽くせる位置へ。


「全員逃げて!」


 空が叫んだ。


 だが、遅い。

 交換先が無くなり、海の『交換』は使えない。


 由香里は重傷の海を抱えている。


 負傷したA級探索者もいる。

 全員が射程から逃げる時間などなかった。


「空さん⋯⋯!」


 夏希が叫ぶ。


「分かってるわよ!」


 空は前へ出た。

 爆破で相殺出来るのか。


 分からない。

 それでもやるしかない。


 エルダー・ドラゴニュートの口が開いた。


 次の瞬間、視界が赤く染まった。

 凄まじい熱と光が通路を埋め尽くし、逃げ場など残さず押し寄せる。


 夏希は、死ぬと思った。

 身体が動かなかった。


 あれに触れたら終わる。

 自分の『透過』でどうにか出来る規模ではない。


 空の爆破でも止められない。

 海は両腕を失い、目も見えない。

 由香里も、そのほかの探索者達も逃げられない。


 何も出来ない。

 結局、自分は何も出来なかった。


 A級上位になった。

 ベヒーモスと戦って強くなった。

 田中と一緒にいれば、自分も以前よりずっと強くなれたような気がしていた。


 それでも、本当にどうしようもない相手が現れたら、仲間一人守れない。


 空に言われたことを思い出した。

 才能があるのに、その使い方を間違えている。

 もっと強くなれるのに、他のことに時間を使っている。


 あの時は腹が立った。

 自分には自分の生き方があると思ったし、今でもそれが間違いだったとは思いたくない。


 でも⋯⋯こんなことになるのなら。

 もっと強さだけを求めていればよかった。

 撮影も、遊びも、仕事も全部後回しにして、少しでも強くなることだけを考えていれば、今ここで何か出来たのかもしれない。


 海を守れたかもしれない。

 みんなを守れたかもしれない。


 怖い。死にたくない。

 みんなにも死んでほしくない。


「田中さん————助けて」


 灼熱の光が目の前まで迫った。

 

 夏希が目を閉じる。

 ——その瞬間。


「『清掃』」


 聞き慣れた、おじさんの声がした。

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@MokaSufure

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