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90話 SS級①

 九つあったヒュドラの頭がすべて地面へ落ち、巨体が完全に動かなくなってからも、天城空はしばらく警戒を解かなかった。

 再生する様子がないことを確認し、ようやく小さく息を吐く。


「⋯⋯終わったわね」

「うん。今度こそ全部止まってる」


 海もヒュドラの死体を見ながら答えた。

 周囲にいた探索者達から、遅れて歓声が上がる。


 相手はS級モンスターだった。それも九つの頭をほぼ同時に破壊しなければ再生するという、初見では極めて厄介な性質を持つヒュドラである。

 犠牲者を一人も出さずに倒せたのは、GEMINIやVIVIDだけの力ではない。この場にいるA級探索者達が、それぞれ自分に出来る役割を果たした結果だった。


「よっしゃあ!S級撃破ー!」

「勝ったぞー!」


 張り詰めていた緊張から解放され、探索者達が互いの無事を確認しながら喜び合う。

 水野夏希も大きく息を吐くと、その場にしゃがみ込んだ。


「あー、怖かったぁ⋯⋯毒まで使ってくるとか聞いてないし」

「なっちゃん、お疲れー。最後めっちゃ格好良かったじゃん」

「美月さんもね!玲奈さんと由香里さんもありがと!」


 夏希が振り返ると、少し離れた場所にいた黒川玲奈が小さく笑った。


「夏希が無茶するのはいつものことでしょ。それより、怪我はない?」

「大丈夫!毒も浴びてないよ!」

「なら良かった」


 橘由香里も安堵したように胸元へ手を当てる。


「皆さん無事で本当に良かったです。途中はどうなることかと思いましたけど⋯⋯」

「ほんとそれ。S級ってあんなのばっかりなの?」


 夏希がヒュドラの巨体を見上げる。

 A級のモンスターとも数回戦ってきたが、S級はやはり別格だった。

 単純な強さだけではなく、一つ判断を誤れば一気に死者が出てもおかしくない能力を持っている。


 それでも、倒した。

 しかも今回は田中の力を借りていない。

 夏希はそれが少し嬉しかった。


「水野、お疲れー」


 声をかけられて振り返る。


「あ、三浦さん!」


 三浦拓海が仲間達と一緒に歩いてきた。

 長い戦闘を終えたばかりで服も汚れ、ところどころに傷もある。それでも大きな怪我はなく、坂口達も全員無事だった。


「いやあ、さすがだな。最後の連携、俺らじゃ真似出来ねえわ」

「いやいや、三浦さん達が途中で頭抑えてくれたからでしょ!マジで助かりました!」

「それでもS級撃破だぞ。帰ったらしばらくこの話で動画撮れるな」

「もう動画のこと考えてるんですか?」

「仕事だからな」


 三浦が笑う。


「嫁にもいい土産話が出来たよ。田中さんに会えなかったのだけは残念だけどな」

「奥さん、田中さんのファンなんでしたっけ?」

「そうそう。俺より田中さんの方が好きなんじゃねえかってくらい——」


 三浦の言葉が途中で止まった。


 夏希には、何が起きたのか分からなかった。


 さっきまで目の前にいた三浦の身体が、突然傾いた。

 何かが飛んできたわけでもない。


 攻撃されたようにも見えなかった。

 ただ、首から上がなくなっていた。


「⋯⋯え?」


 夏希の口から声が漏れる。


 首を失った三浦の身体が、その場に崩れ落ちる。

 大量の血が床へ広がった。


「三浦⋯⋯?」


 坂口が呆然と呟く。

 その場にいた全員が動けなかった。


 つい数秒前まで笑っていた男が、もう動かない。


 そして、少し離れた場所から女の声が聞こえた。


「やるじゃないか、人間」


 空が振り返った。

 そこに、一人の女が立っていた。


 いや、人間ではない。

 頭部からは大きく湾曲した二本の角が伸び、背中には巨大な竜の翼が生えている。腰の後ろから伸びる長い尻尾が床を這い、白い肌の一部は硬そうな鱗に覆われていた。


 長い髪の間から覗く顔立ちは、異様なほど整っている。

 人間であれば、絶世の美女と呼ばれていただろう。


 その右手には、三浦の頭があった。

 女は長い髪を掴み、興味のない物でも持つようにぶら下げている。


「三浦さん⋯⋯?」


 夏希の声が震える。

 女はその視線に気づくと、手に持っていた頭を見た。


「ああ、これか。近くにいたから殺しただけだ」


 何でもないことのように言う。

 そのまま手を離すと、三浦の頭が床へ落ちた。


「お前⋯⋯っ!」


 坂口が武器を握り締める。


「待って!」


 空の声が飛んだ。

 その声には、これまでにない緊張が滲んでいた。


「誰も動かないで!」

「でも三浦が!」

「分かってる!だから動くなって言ってるの!」


 空は女から一度も目を離していない。


 強い。

 そんな言葉では足りない。


 目の前に立っているだけなのに、肌を刺すような圧力を感じる。ヒュドラと対峙した時でさえ、ここまでの感覚はなかった。


 海も既に戦闘態勢に入っていた。


「姉さん。これ⋯⋯」

「ええ」


 二人には分かっていた。


 S級ではない。

 明らかに、遥かに、その上にいる。


「『鑑定』を!」


 A級探索者の一人が叫ぶ。

 鑑定用の道具を持っていた探索者が震える手で女へ向けた。


 数秒後、その顔から血の気が引く。


「エ、エルダー・ドラゴニュート⋯⋯」

「ランクは!?」


 問いかけられた探索者が、信じられないものを見るように鑑定結果を見つめる。


「SS⋯⋯級⋯⋯」


 空の表情が強張った。


 SS級。

 世界でも確認例がたったの二例しかない、人類にとって最上位の脅威。

 そして日本国内でSS級モンスターが確認された記録は、一度もない。


「SS級⋯⋯?」


 夏希が呟く。


 エルダー・ドラゴニュートは、その反応を面白そうに眺めていた。


「そう呼ばれているのか。人間は随分と細かく分類するものだな」


 言葉が通じている。


 ヒュドラとは違う。

 ただ喋れるだけではない。こちらの言葉を理解し、反応を観察し、明確な意思を持って会話している。


 空が一歩前へ出た。


「⋯⋯あんた、何者?」

「今聞いたのだろう?」


 エルダー・ドラゴニュートが笑う。


「我はエルダー・ドラゴニュート。それ以上をお前達に教える必要があるのか?」

「三浦さんを殺した理由を聞いてるのよ」

「理由?」


 女は本当に分からないという顔をした。


「そこにいた。それだけだ」


 空の手が僅かに震えた。

 怒りで爆破を使いそうになった瞬間、隣にいた海がその腕を掴む。


「姉さん、待って」

「⋯⋯分かってるわよ」


 空も理解している。

 怒りのまま攻撃していい相手ではない。


 相手の能力が何一つ分からないうえ、ヒュドラとの戦闘を終えたばかりで消耗している人間も多い。


 何より、SS級という鑑定結果が正しいなら、この人数で戦うこと自体が危険だった。


 海が周囲を見た。


 誰を残す。誰を逃がす。

 考えるのに一秒も必要なかった。


「玲奈さん、美月さん。ごめん」

「え?」


 玲奈が海を見た瞬間、その姿が消えた。

 同時に美月も消える。


「ちょっ——」


 他にも数人のA級探索者が次々と姿を消し、代わりに少し離れた場所に置かれていた小石や装備品が現れた。


 海の『交換』。

 戦闘が始まる前に、格上との正面戦闘に向かない者を後方へ送っている。


 玲奈の『固定』は強力だが、相手との魔素量に大きな差があれば通用する保証はない。美月も同様に、念力でSS級を抑え込めるとは考えにくかった。


 残したのは空と自分、夏希、由香里。そして戦闘能力や支援能力を考え、SS級相手でも最低限役割を持てるA級探索者達だった。


 突然離れた場所へ交換された玲奈が、すぐに状況を理解する。


「海さん!」

「今すぐ応援を呼んできて!」


 海が叫んだ。


「ここは私達で止める。早く!」

「でも——」

「玲奈さん!」


 普段ほとんど声を荒らげない海の叫びに、玲奈が言葉を止める。


 美月も唇を噛んだ。

 ここに残ったところで役に立てるとは限らない。それなら、援軍を連れてくる方が遥かに重要だった。


「⋯⋯分かった」


 玲奈が答える。


「必ず、助けを呼んでくるから」

「うん」


 問題は、誰を呼ぶかだった。

 

 分断された攻略隊がどこにいるのか分からない。

 その時、後方へ送られたA級探索者の一人が声を上げた。


「待ってください!俺なら探せます!」


 全員の視線が集まる。


「俺のスキル『看破』は魔素を視認出来ます。壁越しでも距離が離れすぎてなければ、ある程度は追えます!」

「他の人達が見えるの?」

「何人か反応があります。ただ⋯⋯」


 男が通路の奥へ顔を向ける。


「一人だけ、明らかにおかしい反応がある」

「おかしい?」

「魔素が多すぎます。他の探索者とは比較にならない。かなり離れてるのに、ここからでも分かるくらいです」


 美月がすぐに反応した。


「それ、田中さんじゃない?」


 男も同じ結論に至ったらしい。


「おそらく」

「案内して!」


 美月が即座に言った。


「一番速い道でお願い!」

「分かりました!」


 玲奈達が走り出す。

 美月も一度だけ振り返った。


 夏希と由香里がいる。GEMINIもいる。普通なら、S級相手でもどうにかなり得る戦力。

 それでも、相手はSS級だ。


「なっちゃん⋯⋯由香里⋯⋯」


 不安を押し殺し、美月は前を向いた。


 今、自分達がするべきことは一つしかない。

 田中和彦を、ここへ連れてくる。それだけだった。

 

 一方、残った空達の前では、エルダー・ドラゴニュートが楽しそうに笑っていた。


「なるほど。逃げたか」

「逃がしたのよ」


 空が答える。


「同じことであろう?」

「全然違うわ」


 空がガントレットを装備した拳を構える。

 海も周囲に仕込んでいたマーカーの位置を確認し、夏希は一歩前へ出た。由香里と残ったA級探索者達も、それぞれ武器や能力を使える状態にしている。


 エルダー・ドラゴニュートは、その様子を眺めながら翼をゆっくりと広げた。


「では⋯⋯楽しませてくれよ?」


 圧倒的な魔素が膨れ上がる。

 ヒュドラを前にした時とは比べ物にならない重圧に、誰もが本能的な恐怖を覚えた。


 それでも空は退かなかった。


「海」

「うん」

「水野夏希」

「⋯⋯はい」


 夏希も透明な剣を握る。


 玲奈達が援軍を連れて戻るまで。

 目の前の化け物を、ここから先へ行かせるわけにはいかない。


「死なないことを最優先にするわよ」


 空はエルダー・ドラゴニュートを睨みつけたまま、静かに告げた。


「私達だけで倒そうなんて考えない。全員で生き残るわよ」

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