88話 清掃おじさん、甲虫王と戦う①
転移させられてから、どれくらい経っただろう。
神崎さんの『領域』で周囲を探ってもらいながら、俺達は他の攻略隊との合流を目指して通路を進んでいた。
俺と神崎さん以外にいるのは十数人のA級探索者で、幸いにも転移による怪我人はいない。ただ、ここが伊勢ダンジョンの何階なのか、それどころか元いた場所からどの方向へ飛ばされたのかさえ分からなかった。
「神崎さん、まだ誰もいませんか?」
「はい。俺の『領域』に反応はありません。少なくとも、この辺りには俺達以外の人間はいないですね」
「そうですか⋯⋯」
GEMINIや獅子堂さん、白峰さんがいる以上、他の人達について必要以上に心配しても仕方がない。VIVIDや三浦さん達もいるし、俺が心配するより遥かに強い人ばかりだ。
それでも水野さん達が無事かどうかは気になる。
そもそも、あの魔法陣を誰が発動したのかも分かっていない。
伊勢ダンジョンの異常と関係しているのか、それとも別の何かがいるのか。考えたところで答えは出ないので、今は合流を優先するしかなかった。
「田中さん」
前を歩いていた神崎さんが立ち止まった。
「何かいます」
神崎さんが腰の剣へ手をかけると、周囲のA級探索者達もすぐに武器を構えた。
「モンスターですか?」
「おそらく。ただ⋯⋯人型ですね」
神崎さんの視線を追って通路の奥を見る。
しばらく待っていると、暗闇の向こうから硬いものが床を踏む音が聞こえてきた。
やがて姿を現したものを見て、俺は思わず目を見開いた。
「⋯⋯カブトムシ?」
最初に浮かんだ感想がそれだった。
身長は二メートルを軽く超えている。二本の脚で立ち、二本の腕を持っているところだけを見れば人間に近いが、全身は黒光りする外殻に覆われていた。
頭部には大きな角があり、肩や胸、腕を覆う外殻は鎧のように重なっている。背中にも分厚い甲殻があり、手足は人間より一回り太い。
見た目だけなら、巨大な人型カブトムシだ。
ただ、俺が子供の頃に捕まえていたカブトムシとは比べ物にならないくらい格好いい。
何というか、特撮に出てくる怪人みたいだ。
「田中さん、あれはS級です」
神崎さんの声で現実に戻された。
「S級ですか?」
「はい。この魔素量なら間違いないと思います」
格好いいとか言っている場合ではなかった。
周囲のA級探索者達にも緊張が走る。
「俺が前に出ます。皆さんは一度下がってください」
神崎さんが剣を抜いた。
「神崎さん、俺も行きます」
「田中さんは戦うために来たわけではありませんよ」
「それはそうなんですけど、相手がS級なら神崎さん一人ってのも大変でしょうし」
神崎さんは少し迷ったようだったが、すぐに頷いた。
「分かりました。ただ、無理はしないでください」
「それは神崎さんもですよ」
俺も前へ出る。
「モンスター名、インセクト・ロード!やはりS級です!」
『鑑定』スキルが付与された道具で調べた探索者が叫ぶ。インセクト・ロード⋯⋯昆虫、いや、甲虫の王ってところか。
インセクト・ロードは、こちらを見ながらゆっくり歩いていた。
俺達を見つけても急いで襲ってくる様子はない。
それが余計に不気味だった。
ある程度まで距離が縮まったところで、神崎さんが動いた。
一気に踏み込み、インセクト・ロードの首元へ剣を振るう。
以前戦った時にも思ったが、神崎さんの剣は余計な動きがほとんどない。『領域』で相手の位置や動きを把握しながら、最短距離で攻撃を通している。
剣が首元へ命中し、甲高い音が通路に響く。
「硬っ⋯⋯!」
声を上げたのは俺だった。
神崎さんの剣は外殻に当たっている。
なのに、斬れていない。僅かな傷さえ見えなかった。
インセクト・ロードが腕を振るうと、神崎さんはすぐに後方へ跳んだ。その直後、太い腕が通過し、風圧だけで俺の服が大きく揺れる。
神崎さんは着地すると、剣の状態を確認した。
「欠けてはないですね。しかし、人型サイズの割に硬い⋯⋯」
その言葉を聞いた後方の探索者が、すぐに魔法を放った。
「援護します!『炎魔法』——ファイア・ボール!」
「『風魔法』——ウィンド・スラッシュ!」
「『土魔法』——ロック・ランス!」
炎の塊がインセクト・ロードへ飛ぶ。
続いて風の刃と、岩で出来た槍のようなものも放たれた。
複数の魔法がほぼ同時に直撃する。
爆発とともに煙が広がり、俺は少し期待した。
だが、煙の中から現れたインセクト・ロードは何事もなかったように立っていた。
「効いていない⋯⋯?」
魔法を使った探索者が呟く。
俺にもそう見えた。
炎に焼かれた様子もなければ、風の刃で外殻が傷ついた様子もない。
「俺の雷を喰らえ!『風魔法』——ライトニング!」
今度は別の探索者が雷を放った。
雷撃が黒い外殻へ直撃した瞬間、その表面を覆うように薄い光が走る。
直後、雷が消えた。
「⋯⋯無効化してる?」
「そのようですね」
神崎さんも見ていたらしい。
「外殻そのものに、魔法を無効化する性質があると考えた方が良さそうです。皆さん、魔法による直接攻撃は一旦やめてください。無駄に魔素を消耗する必要はありません」
後方から返事が聞こえる。
硬い。しかも魔法まで効かない。
それだけでも十分面倒なのに、インセクト・ロードが姿勢を低くした。
「田中さん、来ます!」
神崎さんに言われた瞬間、インセクト・ロードの姿が消えた。
「え?」
次に見えた時には、俺の目の前にいた。
反射的に腕を上げる。
直後、腹部へ凄まじい衝撃が走った。
「ぐっ⋯⋯!」
身体が浮いた。
そのまま後ろへ吹き飛ばされ、何度か床を転がる。
「田中さん!」
「大丈夫です!」
かなり痛い。
腹を押さえながら起き上がると、神崎さんがインセクト・ロードと斬り結んでいた。
いや、斬り結んでいるという表現でいいのか分からない。
神崎さんの剣を、インセクト・ロードは腕で受けている。
刃物を腕で受けるというより、剣の方が硬い棒に弾かれているように見えた。
インセクト・ロードが拳を振るう。
神崎さんは半歩ずれて避けると、そのまま脇の下へ剣を突き込んだ。
外殻と外殻の継ぎ目だ。
——今度は僅かに刃が入った。
インセクト・ロードが大きく腕を振り、神崎さんがすぐに距離を取る。
「継ぎ目なら通ります!」
「分かりました!」
俺も走り、正面から拳を叩き込む。
ベヒーモスほどでは無いが、相当に硬い。
殴った俺の手の方が痛いくらいだ。
それでもインセクト・ロードの身体は僅かに後ろへ動いた。
「田中さん、力では押せています!」
「でも全然壊れませんね、これ!」
俺が返事をした時には、インセクト・ロードの拳が迫っていた。
身体を横へずらして避け、そのまま脇腹を蹴る。
今度は少し大きく体勢を崩した。
そこへ神崎さんが入り込み、膝の裏にある外殻の継ぎ目へ剣を突き刺す。
刃が入った。——しかし、浅い。
インセクト・ロードは片脚を振り上げて神崎さんを追い払い、そのまま俺へ向かって身体を回転させる。
太い腕が横から迫る。それを両腕で受けた。
「うおっ!」
また身体が浮いた。
今度はどうにか着地したものの、腕が痺れている。
ベヒーモスとは違う。
あれは巨大な身体と圧倒的な力で押し潰してくるタイプだった。
目の前のこいつは、人間に近い体格の中にとんでもない力と速度を詰め込んでいる。
しかも、動きが単純ではない。
俺が殴れば避けるし、神崎さんが継ぎ目を狙えば腕や脚の角度を変えて守る。
戦い方を理解している。
「田中さん、右から来ます!」
神崎さんの『領域』は、インセクト・ロードが俺の視界から外れても動きを捉えている。
声を聞いて振り返るより先に身体を沈めると、頭上を拳が通過した。その腕を掴む。
「捕まえました!」
「そのままお願いします!」
インセクト・ロードが腕を引こうとする。
凄い力だ。
少しでも気を抜けば持っていかれそうになるが、俺も両手で腕を掴んで離さない。魔素をなるべく肉体に回し、全身の筋肉でインセクト・ロードを掴む。
神崎さんが懐へ潜り込み、胸と腹部の境目にある僅かな隙間へ剣を突き込んだ。
今度は深い。
黒い体液のようなものが流れ出す。うえ、なんか気持ち悪⋯⋯。
インセクト・ロードが初めて明確に反応した。
身体を大きく捻り、俺ごと腕を振り回す。
「うわっ!」
足が床から離れた。
そのまま壁へ叩きつけようとされたので、俺は掴んでいた腕を離し、どうにか床へ転がる。
神崎さんも距離を取った。
「今のは効きましたね」
「でも、あそこまで近づかないと駄目なんですね」
「外殻を突破するよりは現実的です」
「ですよね」
俺は起き上がりながらインセクト・ロードを見る。
胸元から黒い体液が流れている。
確かに傷はついた。
ただし、致命傷には程遠い。
しかも同じ場所を狙われると理解したのか、インセクト・ロードは胸元を庇うように構えを変えていた。
頭がいい。⋯⋯これも厄介だ。
「田中さん。俺が隙を作ります」
「いや、神崎さん。逆にしましょう」
「逆ですか?」
「俺が前でこいつを押さえます。神崎さんの方が、外殻の隙間を狙うのは上手いでしょう」
俺がやるより、その方がいい。
俺には剣術なんてないし、相手の関節の僅かな隙間を正確に狙える技術もない。
神崎さんは少し考えてから頷いた。
「分かりました。お願いします」
「はい」
俺は再びインセクト・ロードへ向かった。
向こうも俺を見ている。
今度は同時に踏み込んだ。
インセクト・ロードの拳を避けながら、俺も拳を返す。相手は腕で受け、そのまま蹴りを放ってきたので、俺は身体を捻って直撃を避けた。
完全には避けきれず、脇腹を掠める。
痛いが、動ける。
俺はそのまま肩からぶつかった。
インセクト・ロードの身体が後ろへ下がる。
そこへ神崎さんが入る。
俺が正面から押し込むたびに、神崎さんは死角から外殻の継ぎ目を狙った。首、脇、膝、腹部と、一度の攻撃で深手を負わせることは出来なくても、少しずつ傷が増えていく。
インセクト・ロードも神崎さんを優先して狙おうとするが、俺が邪魔をする。
神崎さんへ拳を振れば俺が腕を掴み、俺を殴れば神崎さんの剣が飛んでくる。
何度かまともに攻撃を受けたものの、俺達の方が少しずつ押していた。
「いけそうですね!」
「はい。このまま削れます!」
神崎さんの剣が再び脇腹の隙間へ入る。
インセクト・ロードが大きく後退した。
追おうとした時——背中の甲殻が開いた。
「え?」
分厚い外殻の下から、薄い翅が広がる。
「まさか⋯⋯」
嫌な予感がした。
次の瞬間、翅が高速で震え始めた。
インセクト・ロードの巨体が、床から浮かび上がる。
「飛ぶのかよ⋯⋯!」
俺が見上げる中、インセクト・ロードはそのまま天井近くまで上昇した。
カブトムシなのだから、飛べてもおかしくない。おかしくないのだが⋯⋯。
神崎さんも剣を構えたまま上を見る。
「⋯⋯飛んだ——みたいですね」
「困りましたね⋯⋯」
「⋯⋯ええ、困りました」
俺達二人とも、空中戦の術を持っていない。
しかも相手は、魔法が効かない。
天井付近を飛ぶインセクト・ロードが、こちらを見下ろしている。
さっきまで少しずつこちらが有利になっていたはずなのに、急に面倒なことになった。
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