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86話 獅子堂・白峰視点①

 転移の光が消えた直後、獅子堂剛毅は自分の周囲にいる人間を確認した。


 すぐ近くには白峰冬馬がいる。そのほかに残っているのは十人ほどのA級探索者で、その中には獅子堂の会社に所属する者や、白峰の教え子だった探索者も含まれていた。


「先生、ご無事ですか?」

「ええ、大丈夫ですよ。そちらは?」

「問題ありません。他の連中は⋯⋯いないみたいですね」


 白峰の教え子である男性探索者が周囲を確認する。

 その間にも獅子堂の部下達は散開し、通路の前後を警戒していた。


 元々かなりの人数で行動していたはずだが、今はこの場にいる者しか見当たらない。

 田中や神崎、GEMINI、VIVIDの姿もなく、先ほどまで一緒にいたA級探索者の大半も消えている。


「完全に分断されたみたいやなぁ」


 獅子堂は周囲を見ながら呟いた。


「偶然とは思えませんね。複数の魔法陣が同時に発動していましたし、何者かが意図的にこちらを分断したと考えた方が良さそうです」

「せやろな。ま、考えてもしゃあないわ。とりあえず他の連中と合流せんと」


 獅子堂は大きく肩を回すと、そのまま歩き出そうとした。

 白峰が苦笑する。


「もう少し警戒してもいいと思いますけどね」

「しとるっちゅうねん。これでも警戒しとる顔や」

「そうは見えませんけど」

「ほっとけ」


 周囲のA級探索者達も、二人のやり取りを聞いて僅かに緊張を緩めた。


 日本に五人しかいないS級探索者が二人も残っている。しかも獅子堂と白峰は戦い方こそ正反対だが、どちらも単独でS級モンスターと戦える実力を持っている。

 分断されたこと自体は問題だが、戦力という意味では決して悪い組み合わせではなかった。


 しかし、白峰はすぐに表情を戻した。


「獅子堂さん」

「ああ」


 二人が同時に通路の奥を見る。

 そこには——何かがいる。


 A級探索者達も遅れて気づいたらしく、それぞれが武器を構えた。


「何だ⋯⋯?」


 一人が目を細める。


 通路の先には何も見えない。

 少なくとも、普通に見れば。


「魔素を目に回してください。かなり薄いですが、何かいます」


 白峰に言われ、A級探索者達が目へ魔素を集中させる。

 すると、それまで何もなかったはずの暗闇の中に、ぼんやりと黒い輪郭が浮かび上がった。


 人の形に近い。

 ただし足はなく、黒い霧のような身体が床から僅かに浮いている。

 顔に当たる部分には目も鼻もなく、大きく裂けた口のようなものだけが存在していた。


 周囲の明かりが届いているにもかかわらず、その身体だけが影を集めたように黒い。


「幽霊(レイス)系か」


 獅子堂が構える。


「それも相当強いですね。魔素の濃さから考えて、S級と見ていいでしょう」


 白峰は胸ポケットから小さな杖を取り出し、伸ばした。


 その言葉にA級探索者達の表情が強張る。


 日本国内でS級モンスターが確認されること自体が異常なのに、分断された先で待っていたかのように現れた。


 偶然だと考えるには出来すぎている。


「全員、無理に前へ出ないでください。レイス系なら物理攻撃が通らない可能性があります」

「せやったらワイ、やることないやんけ」

「そうですよ。だから、いきなり殴りに行かないでくださいね」

「分かっとるわ」


 そう答えた直後、影のモンスター——シャドウ・ファントム——の身体が揺らいだ。


 黒い霧のような身体が横へ広がったかと思うと、足元の影が一気に伸びる。


「避けて!」


 白峰の声に全員が散った。


 床を走った影から無数の黒い槍が飛び出し、先ほどまで探索者達が立っていた場所を貫く。回避が遅れた一人の足元にも影が迫ったが、白峰が杖を向けると、床を滑るように大量の水が流れ込んだ。


 水流に押し出された探索者の身体が影の範囲から外れ、その直後に黒い槍が床から突き出す。


「ありがとうございます!」

「気を抜かないでください。まだ来ます」


 白峰がそう告げた時には、既に次の影が壁を伝って伸びていた。


 床だけではない。

 壁や天井、探索者自身が作る影まで形を変え、次々と黒い刃へ変わっていく。


 A級探索者達は互いの死角を補いながら攻撃を避けていくが、敵の位置を目で追うだけでも魔素を使わなければならず、そのうえ足元や背後から影が襲ってくる。


 獅子堂は迫ってきた黒い槍を横へかわし、そのままシャドウ・ファントムへ向かって踏み込んだ。


「面倒くさい奴やな!」


 一瞬で距離を詰め、拳を叩き込む。

 ——しかし、手応えがない。


 獅子堂の拳は黒い身体を突き抜け、そのまま反対側へ抜けた。


「やっぱ効かんのかい」


 すぐに身体を引こうとしたが、シャドウ・ファントムの腕が獅子堂の胸元を通り抜ける。


「っ!」


 外傷はない。

 それなのに、身体の内側を直接撫でられたような不快感とともに、獅子堂の動きが一瞬鈍った。


 その隙を狙って足元の影が盛り上がる。


「獅子堂さん!」


 白峰が杖を振るった。

 細く圧縮された水が高速で飛び、シャドウ・ファントムの胴体を横から切り裂く。


 今度は明確に反応があった。

 黒い身体が大きく歪み、切断された部分から霧のような魔素が散っていく。


 獅子堂もその隙に後方へ下がった。


「効いとるやんか!」

「やはり魔法なら通りますね」

「ほな任せたわ!俺とは相性最悪や!」

「簡単に言いますね」


 白峰は苦笑しながらも、既に次の魔法を発動していた。


 杖の先に集まった水が数十発の弾丸となり、シャドウ・ファントムへ向かって一斉に放たれる。

 実体を持たない相手でも、魔素によって生み出された魔法なら干渉出来る。

 

 水弾が次々と身体を貫くたびに黒い霧が散り、シャドウ・ファントムの輪郭が僅かに薄くなっていった。


 さらに白峰は床を水で覆うと、相手の真下から複数の水柱を噴き上げる。

 シャドウ・ファントムの身体が宙へ押し上げられた。


 そこへ水が追従し、何本もの細い帯となって身体へ巻きつく。


「そのまま消えてくれると楽なんですが」


 白峰が杖を握る手に力を込めた。


 巻きついた水が一気に圧縮される。

 黒い身体が内側へ押し潰され、形を保てなくなったシャドウ・ファントムが霧のように弾けた。


「やったか?」


 A級探索者の一人が呟く。

 白峰は答えず、周囲へ視線を巡らせた。


 倒した感触がない。


「まだです」


 その直後、少し離れた床から黒い霧が噴き出した。


 影の中からシャドウ・ファントムが浮かび上がる。

 

 身体の一部は先ほどより薄くなっているものの、消滅には程遠い。


「影ん中に逃げたんか」

「そのようですね。攻撃が通ること自体は分かりましたけど、これでは決定打を当てるのが難しいですね」


 白峰が再び水を放つ。

 今度は逃げ道を塞ぐように左右から複数の水流が迫ったが、シャドウ・ファントムは身体を沈めるだけで床の影へ溶け込み、別の場所から再び姿を現した。


 獅子堂が舌打ちする。

 殴ろうとしても拳が通り抜ける。

 白峰の魔法なら傷つけられるが、致命的な攻撃を受ける前に影へ逃げる。


 これまで獅子堂が戦ってきた相手とは、あまりにも勝手が違った。


「こういう奴がいっちゃん嫌いやねん!」

「でしょうね」

「何や、その納得した顔は」

「獅子堂さんとは相性が悪そうだと思っただけですよ」

「ワイと相性ええ奴なんか大体殴ったら死ぬからな」

「それを相性がいいと言っていいのかは疑問ですけどね」


 話している間にも、シャドウ・ファントムは攻撃を続けている。


 今度は通路全体の影が動いた。

 探索者達の足元から黒い腕が何本も伸び、足首を掴もうとする。


 A級探索者達が武器で振り払おうとしても、刃は影をすり抜ける。魔法系の能力を持つ者が攻撃すれば消せるものの、次から次へと別の影が伸びてくるため、対応だけで手一杯になっていた。


 白峰が広範囲へ水を流し、魔素を込めた水膜で床を覆う。

 影から伸びていた腕が水に触れた途端に形を崩し、探索者達がようやく動けるようになった。


「先生、このままでは魔素の消耗が⋯⋯!」

「分かっています。長引かせたくはありませんね」


 白峰はそう答えながら、シャドウ・ファントムを見据えた。


 戦えてはいる。

 むしろ相性だけを考えれば、白峰はかなり有利だった。攻撃は通るうえ、影からの攻撃も水魔法を使えば防ぐことが出来る。


 それでも倒しきれない。


 決定打になり得る威力の魔法を使おうとすれば、シャドウ・ファントムは攻撃を察知して影へ逃げる。逆に逃げる暇を与えない程度の攻撃では傷つけられても仕留めるには至らない。


 一方の獅子堂は、攻撃力ならこの場で誰よりも高いにもかかわらず、その力を与えることができない。


 シャドウ・ファントムが再び姿を現す。


 今度は獅子堂のすぐ近くだった。


「またワイか!」


 反射的に拳を振るうが、やはり通り抜ける。

 黒い腕が獅子堂の身体を通過し、その直後に周囲の影が両足へ絡みついた。


 獅子堂は力任せに足を動かそうとするが、実体のない影を筋力で引きちぎることは出来ない。


「クソが⋯⋯!」


 そこへ白峰の水が走り、獅子堂を拘束していた影を消し飛ばす。


「助かったわ」

「今日は随分素直ですね」

「殴れへんもんはしゃあないやろ!」


 獅子堂は苛立ちながら拳を握った。


 これまでなら、どれほど硬い相手でも問題なかった。


 防御力が高いなら、それ以上の力で殴ればいい。巨大なら吹き飛ばせばいいし、速いなら動きを読んで捕まえればいい。


 だが、今度の敵にはそもそも拳が触れない。

 力が足りないのではなく、使うことすら出来ない。


 獅子堂は自分の拳を見た。

 普段、攻撃する時には当然のように魔素を込めている。身体能力を強化し、拳へ集中させ、殴る瞬間に最大限の力を叩き込む。


 それでもシャドウ・ファントムには触れなかった。


「⋯⋯何がちゃうねん」


 小さく呟く。


 白峰の水は当たる。

 自分の拳は当たらない。


 違いは魔素の量ではない。獅子堂が込めている魔素が、白峰より少ないはずがない。


 ならば、使い方が違う。

 白峰が生み出した水には、最初から最後まで魔素が宿っている。


 対して獅子堂は、自分の身体を強化するために魔素を使い、殴る瞬間に拳へ力を集中させているだけだった。


 獅子堂は再びシャドウ・ファントムを見る。

 白峰が放った水の刃を避け、床の影へ沈んでいく。


「⋯⋯なるほどな」


 獅子堂が口元を僅かに上げた。


「獅子堂さん?」

「ちょい試したいこと出来たわ」

「⋯⋯嫌な予感しかしませんね」

「失礼な奴やな。ワイかてちゃんと考えとんねんぞ」


 白峰が何か言おうとしたところで、周囲の影が再び大きく揺らいだ。


 先ほどまでとは比べ物にならないほど大量の黒い腕が、床だけでなく壁や天井からも現れる。

 同時にシャドウ・ファントムの身体が大きく広がり、通路全体を覆うように黒い霧が膨れ上がっていった。


 白峰はすぐに杖を構え、A級探索者達も互いの背中を守るように集まる。

 その中で獅子堂だけは、自分の両手を見ながら魔素の流れを変えていた。


 拳へ込めるのではない。

 身体を強化するだけでもない。

 白峰の水がそうであるように、自分の身体そのものを魔素で覆う。


 まだ上手くいかない。

 魔素は腕へ集まりすぎたり、身体の内側へ戻ったりして安定しない。


 それでも獅子堂は何度も調整しながら、薄く広く、自分の皮膚の外側へ魔素を押し出していく。


「獅子堂さん、何をしてるんですか?」


 白峰が迫る影を水で消しながら尋ねる。

 獅子堂は両拳を握り、薄く魔素が滲み始めた腕を見て笑った。


「決まっとるやろ」


 今まで通りでは殴れない。

 それなら、殴れるようにすればいい。


「次はあいつ、ぶん殴ったる」

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