85話 GEMINI&VIVID視点③
作戦が決まると、探索者達が一斉に動いた。
ヒュドラを倒す必要はない。
GEMINIが準備を終えるまで、ここに釘付けにすればいい。
三浦達が正面へ回り込み、三つの頭を引きつける。他のA級探索者達も左右へ広がり、攻撃を加えて注意を分散させた。
九つの頭が怒ったように暴れ回り、毒液が周囲へ撒き散らされる。
まともに受ければA級でも危険な攻撃だったが、先ほどまでとは違って全員が毒を警戒している。盾を持つ探索者が飛沫を防ぎ、遠距離攻撃が出来る者は距離を保ったまま牽制し、避けきれない人間は海が『交換』で逃がしていく。
それでも完全には防げない。
毒液が肩にかかった探索者が苦痛に顔を歪め、別の一人は毒を含んだ空気を吸い込んだのか、激しく咳き込みながら後退する。
治療役が休む暇もない。
戦いが長引くほど不利になるのは明らかだった。
「なっちゃん!」
美月が『念力』で一本の首を横へ引いた。
「ありがと!」
夏希が走り込み、首の側面へ蹴りを叩き込む。
頭部を破壊する必要はない。ヒュドラが空達へ向かわないよう注意を引きつけ、その場へ留めておけばいい。
蹴られた頭が夏希へ向き直り、牙を剥き出しにして襲いかかる。
夏希は『透過』を使って牙をすり抜け、そのまま首の下を走り抜けた。
「こっちだよ!」
振り向いた頭が再び夏希を追う。
狙い通りだ。
その一方で、空と海は戦場から僅かに離れた場所へ移動していた。
空が触れているのは、ダンジョンの壁から大きく剥がれ落ちた二つの岩塊だった。
どちらも人間より遥かに大きい。
普段の空なら、こんな大きさの物体全体を爆弾へ変えることはほとんどない。必要以上に威力が上がり、周囲の味方まで巻き込むからだ。
しかし今回は、その威力が必要だった。
「海」
「うん」
「私が合図したら、こいつを左右へ送って。爆発するまで少しだけ時間を作るから、その間に全員を出来るだけ遠くへ逃がして」
「姉さんは?」
「最後に私も飛ばして」
「分かった」
空が両手をそれぞれの岩へ触れると、岩へ魔素が流れ込んでいく。
岩塊全体が空の能力によって爆弾へと変わり始めた。
その間にも、ヒュドラは探索者達を追い詰めていた。
三浦が毒液を避けた直後、別の頭が側面から迫る。坂口が槍を突き出して軌道を逸らしたものの、その背後から三つ目の頭が大きく口を開いた。
「リーダー!」
三浦が振り返る。
間に合わない。
そう思った瞬間、三浦の身体が消えた。
少し離れた位置にあった鉄球と入れ替わり、巨大な牙が何もない空間で閉じる。
「助かった!」
海は返事をしなかった。
戦場全体を見ながら次々と『交換』を使っているため、会話をしている余裕すらなくなっている。
額には汗が浮かび、呼吸も少しずつ乱れていた。
それでも誰一人死なせていない。
攻撃を受けそうになれば移動させ、毒液の中へ取り残されれば救出し、負傷者は治療役の近くへ送る。
S級探索者である海だからこそ出来る無茶だった。
「出来た!」
空の声が響く。
全員の動きが変わった。
「退け!」
三浦が叫ぶ。
探索者達が一斉にヒュドラから距離を取り始める。
突然逃げ始めた人間を追うように、九つの頭が大きく伸びた。
それこそが狙いだった。
ヒュドラの首が前方へ集まり、九つの頭が比較的近い位置へ並ぶ。
「海!」
「行くよ。『交換』」
二つの巨大な岩塊が消えた。
代わりにヒュドラの左右に射出して刺さっていた魔素込の針が現れ、次の瞬間には爆弾へ変えられた岩塊が九つの頭を挟むように出現する。
空が叫んだ。
「全員飛ばして!」
海の『交換』が連続して発動した。
ヒュドラの近くに残っていた探索者達が次々と消え、あらかじめ鉄球を配置していた後方へ移される。
夏希の身体も一瞬で後方へ移動した。
玲奈、美月、由香里、三浦達もいる。
最後に空が消え、海の隣へ現れた。
直後。
二つの巨大爆弾が、ほぼ同時に炸裂した。
凄まじい衝撃が通路を揺らし、爆発の中心から炎と瓦礫が一気に広がる。離れた場所へ退避していた探索者達のところまで熱風が押し寄せ、夏希は腕で顔を覆いながら踏ん張った。
爆発そのものは一瞬だったが、舞い上がった土煙によってヒュドラの姿が見えなくなる。
「どうだ⋯⋯?」
誰かが呟いた。
返事をする者はいない。
空も海も、煙の向こうを睨んでいる。
やがて土煙が少しずつ薄れていった。
巨大な胴体が見える。
首も見えた。
しかし、その先にあったはずの頭はない。
「やった⋯⋯?」
夏希が目を凝らす。
左右に広がっていた八本の首は、全て途中から吹き飛んでいた。
再生が始まる様子もない。
同時に破壊出来た。
「よっしゃ!」
三浦が声を上げる。
他の探索者達からも歓声が漏れかけた。
だが——。
「待って」
海の声で止まった。
煙の奥。
ヒュドラの胴体の中央から伸びる一本の首が、ゆっくりと持ち上がる。
その先には、無傷ではないものの、まだ形を残した頭部があった。
「一個⋯⋯残ってる」
海が呟く。
中央の頭だけが生きていた。
「嘘でしょ!?」
空が目を見開く。
巨大爆弾二つの爆発を至近距離で受けながら、中央の頭だけは破壊しきれていない。
しかも左右の八本の首では、既に再生が始まろうとしていた。
「あと何秒!?」
「七秒くらい」
海が即座に答える。
七秒。
それまでに中央の頭を破壊出来なければ、また九つに戻る。
空が動こうとした。
しかし、先ほどの巨大爆弾を二つ同時に作った直後だ。海も連続した『交換』で大量の魔素を消費している。
中央の頭が口を開く。
牙の間から紫色の毒液が溢れた。
「姉さん、間に合わない⋯⋯!」
「くっ⋯⋯!」
その時には、既に四人が走り出していた。
「美月!」
「分かってる!」
玲奈の声に美月が両手を前へ向ける。
『念力』が中央の頭を捉え、毒液を吐こうとしていた顎が僅かに上へ逸れた。
その隙に玲奈が真正面からヒュドラを見据える。
瞳が金色に変わった。
「『固定』!」
大きく動こうとしていた頭部が止まる。
完全には抑えきれない。
S級モンスターの力に対し、玲奈と美月の二人がかりでも数秒が限界だった。
「夏希ちゃん!」
由香里が叫ぶ。
夏希は既に中央の頭へ向かって走っていた。
残り六秒。
ヒュドラの前方には、先ほど吐き出された毒液が広がっている。このまま進めば踏み込んだ瞬間に毒を受ける。
夏希は止まらなかった。
「『透過』!」
身体が透ける。
毒液の広がる床へ足を踏み出しても、夏希の身体には触れない。
そのまま最短距離を走る。
残り五秒。
玲奈の『固定』に抵抗するヒュドラの頭が少しずつ動き始め、美月も歯を食いしばりながら『念力』を使い続けている。
「なっちゃん、早く!」
「分かってる!」
残り四秒。
夏希が地面を蹴り、跳び上がる。
中央の頭が目の前まで迫った。
巨大な牙も、硬い鱗も関係ない。
夏希は拳を振り抜く。拳はヒュドラの鱗に触れた瞬間から透過され——鱗の内部で拳の先だけが実体を取り戻す。
東京での修行で手に入れた新しい技。透過スキルの応用、相手の防御を通り抜け、脆い内部を直接殴る技だ。
超緻密なスキル制御が必要で、成功率は1割を切る。だが——天才、水野夏希はこの土壇場で失敗しない。
「ぶっ飛べぇぇぇっ!」
ヒュドラの頭部、その内側。
外側の硬い鱗に守られていない場所へ、夏希の拳が叩き込まれた。
凄まじい衝撃が内部から頭部全体へ広がる。
中央の頭が大きく膨らみ、次の瞬間、内側から弾け飛んだ。
夏希はすぐに『透過』を使い、飛び散る肉片をすり抜けながら床へ着地する。
残り二秒。
全員が八本の首を見る。
再生しかけていた肉が動きを止めた。
膨らんでいた断面が崩れ、力を失った首が次々と床へ落ちていく。
最後に中央の首が倒れ、九つの頭を失った巨大な胴体もゆっくりと傾いた。
重い音を立てて、ヒュドラが床へ沈む。
しばらく誰も動かなかった。
再生しない。
九つの頭は戻ってこない。
「⋯⋯倒した?」
夏希が呟く。
海がヒュドラを見たまま答える。
「多分」
「多分って!」
「だって九個も頭ある蛇、初めて見たし」
「それは私も初めてだけど!」
緊張が切れたのか、周囲から笑いが漏れた。
三浦が大きく息を吐きながら、その場に腰を下ろす。
「いやぁ⋯⋯S級ってこんな強いのかよ。俺、A級でいいわ」
「好きでS級になったわけじゃないんだけど」
空が不満そうに返しながら、額の汗を拭った。
「でも、最後はVIVIDに持っていかれたわね」
「へへっ、どうよ!」
夏希が得意げに胸を張ると、玲奈が苦笑する。
「夏希一人の手柄じゃないでしょ」
「分かってるって!」
美月と由香里も戻ってくる。
毒を受けた探索者達の治療は必要だが、幸いにも死者はいない。
S級モンスターを相手にした戦闘として考えれば、十分すぎる結果だった。
ただ、夏希は倒れたヒュドラを見ながら、先ほどの戦いを思い返していた。
空と海がいなければ、どうなっていただろう。
特に海の『交換』がなければ、何人死んでいたか分からない。
これがS級。
今まで自分達が戦ってきた相手とは、明らかに違う。
それでも、勝った。
自分達だけではない。
ここにいる全員で勝った。
「よし!」
夏希は頬を叩いた。
「田中さん達、探しに行こう!」
その言葉に、周囲の探索者達が頷いた。
誰も知らなかった。
今倒したヒュドラよりも遥かに危険な存在が、既に同じダンジョンの中を歩いていることを。
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