75話 清掃おじさん、寝かしつけする
結局、ゲーム大会が終わったのは日付が変わる少し前だった。
いや、終わったという表現が正しいのかは分からない。
「⋯⋯寝てる」
ベッドでは、水野さんが枕を抱えて眠っていた。
ついさっきまで「次で最後!」を何度も繰り返していたのだが、急に静かになったと思ったらそのまま寝てしまった。
その近くでは空さんが壁にもたれて目を閉じて寝ている。
最後まで水野さんと勝敗について揉めていたのに、力尽きる時は一瞬だった。
そして海さんはというと。
「⋯⋯海さん」
「んー」
「寝るならちゃんとベッドで寝た方がいいですよ」
「起きてる」
「目、開いてないですよ」
「起きてる⋯⋯」
ほぼ寝ている⋯⋯。
床に座ったままベッドへ上半身を預けたまま目を閉じている。
俺はテーブルの上に散らばった空き缶や菓子の袋を適当にまとめた。
こういうのを見ると片付けたくなるのは職業病だろうか。
まあ、最低限だけだ。
あとは本人達にやらせよう。
「じゃあ俺、戻りますからね」
返事はない。三人とも寝ているようだ。
「⋯⋯何だったんだ、今日」
俺は苦笑しながら部屋を出た。
黒川さんと喫煙所で二人きりになり、小宮川さんを自分の部屋へ入れ、今度は水野さんと天城姉妹のゲーム大会に巻き込まれた。
明日は移動もあるし、今度こそ寝よう。
そう思いながら廊下を歩いていると、ポケットの中でスマートフォンが震えた。
「ん?」
画面を見る。橘さんからの通知だった。
《田中さん、まだ起きてますか?》
こんな時間にどうしたんだろう。
《起きてますよ。さっきまで水野さん達にゲーム大会に強制参加させられてて⋯⋯。今ちょうど部屋に戻るところです》
送ると、すぐに既読がついた。
少し間があって、またメッセージが届く。
《変なこと聞いてもいいですか?》
《変なことって(笑)どうしたんですか?》
《田中さんって、幽霊とか信じますか?》
「⋯⋯⋯⋯」
何だ、その質問。
俺は廊下の真ん中で足を止めた。
《あんまり考えたことないですね。どうしたんですか?》
今度は文章ではなく、着信が来た。
「もしもし?」
『田中さん⋯⋯』
「はい」
『今、どこにいますか?』
「俺の部屋がある階の廊下です」
『⋯⋯会いに行ってもいいですか?』
声が小さい。
普段の橘さんとは明らかに違う。
これは、水野さんのような下らないやつとは違いそうだ。
「いいですけど、何かありました?」
『部屋が⋯⋯ちょっと変なんです』
「変?」
『さっきから、誰もいないのに音がするんです』
「音ですか?」
『浴室の方から、何回も⋯⋯』
俺は無意識に自分の周囲を見た。
やめてほしい。
夜中のホテルの廊下で聞く話じゃない。
「配管とかじゃないですか?」
『最初は私もそう思ったんです。でも、確認しに行ったら止まって、ベッドに戻ったらまた鳴り始めて⋯⋯』
「ホテルの人には?」
『まだです。もし設備の音だったら申し訳ないですし⋯⋯。それに——』
「それに?」
『さっき、何もしてないのに洗面所の電気が消えました』
「⋯⋯⋯⋯。会いましょうか」
『お願いします』
それは俺でも怖い。俺は思わず即答した。
待ち合わせたのは、エレベーター近くの明るい場所だった。
俺が着いて間もなく、廊下の向こうから橘さんが歩いてくる。
部屋着の上にカーディガンを羽織り、スマートフォンを両手で握っていた。
俺を見つけると、露骨に安心した顔をする。
「田中さん⋯⋯」
「大丈夫ですか?」
「すみません、こんな時間に」
「それはいいですけど。かなり怖がってます?」
「⋯⋯怖いです」
素直だ。
普段はしっかりしている橘さんが、ここまで弱っているのは珍しい。
「黒川さん達には連絡しました?」
「しました。玲奈さんにも、美月さんにも、夏希ちゃんにも」
「全滅?」
「玲奈さんは既読がつかなくて、美月さんも返事がありませんでした。夏希ちゃんには電話までしたんですけど⋯⋯」
「ああ⋯⋯」
水野さんなら今頃、天城姉妹の部屋で爆睡している。
「神崎さんにも連絡しようか迷ったんですけど、さすがにこんなことで呼ぶのも⋯⋯」
「俺はいいんですか?」
「田中さんとは仲良しですから」
「⋯⋯そ、そうですか」
仲良しって⋯⋯。面と向かって言われると照れるな。
俺は照れを振り払うように、橘さんに提案する。
「部屋、俺も見に行きましょうか?」
「⋯⋯嫌です」
「もう戻りたくないです」
「でも寝ないと」
「分かってるんですけど⋯⋯」
分かっていても怖いらしい。それはそうか。
⋯⋯ぶっちゃけ、俺も幽霊などに強い訳ではない。福岡の曰く付きトンネルなんかも、何度誘われても行こうとした事ないくらいだ。俺も行って怪奇現象に遭ったらビビってしまうかもしれん。
「⋯⋯田中さん」
「はい」
「申し訳ないんですけど、少しだけ一緒にいてもらってもいいですか?」
「それは構いませんよ」
「ありがとうございます」
「じゃあロビーにでも——」
「あの」
橘さんが俺の言葉を遮った。
「できれば、田中さんのお部屋でもいいですか?」
「俺の?」
「人が多いところだと落ち着かないですし⋯⋯。少し気持ちが落ち着いたら、自分の部屋に戻りますから」
「⋯⋯いやまあ⋯⋯いいですけど」
むしろ橘さんが良いのか?と思ったが⋯⋯。そして許可した後で、今日二度目だなと思った。
同じ日に別の女性を二人も自分のホテルの部屋へ入れるおっさん⋯⋯。字面が酷い。
だが今回は仕方ない。
怖がっている橘さんを放置するわけにもいかない。
「行きましょうか」
「はい」
俺達は並んで俺の部屋へ向かった。
◆
「適当に座ってください」
「ありがとうございます」
部屋に入ると、橘さんはベッドの端へ腰掛けた。
俺は椅子を引っ張って少し離れた場所に座る。
「水飲みます?」
「いただきます」
ペットボトルを渡す。
橘さんが一口飲み、ようやく少し肩の力を抜いた。
「すみません、本当に」
「気にしなくていいですよ。俺もまだ起きてましたし」
「夏希ちゃん達とゲームしてたんですよね?」
「はい、大変でした⋯⋯。ぎゃいぎゃい騒いで⋯⋯もう三人とも寝ましたよ」
「だから電話に出なかったんですね」
「完全に爆睡してました」
「もう⋯⋯」
橘さんが困ったように笑う。
少しは落ち着いたらしい。
「橘さん、こういうの苦手なんですね」
「苦手です。ものすごく」
「意外です」
「よく言われます」
橘さん、しっかりしてるもんなぁ⋯⋯。
「ダンジョンは怖くないんですか?」
「モンスターは倒せるじゃないですか」
「なるほど」
「幽霊はどうしたらいいか分からないので嫌なんです」
妙に説得力がある。
「でも、ダンジョンにはアンデッドもいるでしょう?」
「アンデッドはモンスターです」
「幽霊とは違う?」
「違います」
「どう違うんです?」
「分かりませんけど違います」
そこは分からないのか。
思わず笑うと、橘さんが少し不満そうな顔をした。
「田中さん、笑ってます?」
「すみません。でもちょっと安心しました」
「何がですか?」
「橘さんにも怖いものあるんだなって」
「ありますよ。私を何だと思ってるんですか」
「いつもしっかりしてるから」
「そんなことないです」
橘さんがペットボトルを両手で持ちながら、少し俯く。
「玲奈さんの方がずっとしっかりしてますし、美月さんはああ見えて周りをよく見てますし、夏希ちゃんは思い切りがいいですし。私は結構、考えすぎて動けなくなることありますよ」
「そうなんですか?」
「あります。今日だって、最初に変な音がした時点でフロントに連絡すればよかったのに、こんなことで呼んだら迷惑かなって考えているうちに怖くなってしまって」
「ああ⋯⋯。それは橘さんっぽい気がします」
「どういう意味ですか?」
「悪い意味じゃないですよ。周りに気を遣いすぎるというか」
橘さんは少し考えてから、小さく笑った。
「田中さんには言われたくないです」
「俺?」
そう言われると思わず、聞き返してしまった。
「田中さんも同じじゃないですか。何かあると自分でやろうとしますし」
「俺は仕事だからですよ」
「そうやってすぐ仕事って言うところもです」
何も言い返せなかった。
「⋯⋯まあ、お互い様ってことで」
「そうですね」
また会話が途切れる。
でも、気まずくはなかった。
橘さんとは前から妙に話しやすい。
特別盛り上がるわけでもないし、どちらかが無理に話題を探す必要もない。
黒川さんといる時の落ち着き方とも少し違う。
何というか、普通なのだ。
俺にとっては、それがありがたい。
「⋯⋯そろそろ大丈夫そうです?」
「はい。だいぶ落ち着きました」
「じゃあ——」
「でも、もう少しだけいいですか?」
「——どうぞ」
そう答えると、橘さんが申し訳なさそうに笑った。
「ありがとうございます」
そのまま、また話をした。
福岡へ戻ったら何をしたいか。
全国を回っている間に食べた物で何が一番美味しかったか。
沖縄の海は結局楽しかったとか、静岡と愛知では夏希ちゃんと空さんが子供みたいだったとか。
どうでもいい話ばかりだった。
それでも、橘さんは少しずつ普段の表情に戻っていく。俺も段々眠くなってきた。
「田中さん」
「はい?」
「起きてますか?」
「起きてますよ」
椅子の上でうつらうつらとしていると、橘さんが声をかけてくる。小さい声で、優しい声だ。
「すみません」
「何で謝るんですか」
「眠そうなので」
「ちょっとだけ」
「寝ても大丈夫ですよ」
「いや、橘さんが落ち着くまでは頑張って起きますよ」
そうだ。俺の使命は橘さんを幽霊の恐怖から解放することだ。頑張って起きなければ。
それから十分ほど経った。
「田中さん」
「はい」
「起きてますか?」
「起きてますって」
「確認しただけです」
「寝ませんよ」
「はい」
さらに少し経った。
「田中さん」
「起きてます」
「まだ何も言ってませんよ?」
「どうせ起きてるか聞くんでしょう?」
「⋯⋯はい」
「大丈夫ですよ」
俺が笑うと、橘さんも恥ずかしそうに笑った。
「子供みたいですね、私」
「別にいいじゃないですか。怖いものは怖いんでしょう」
「田中さんは怖いものないんですか?」
「ありますよ」
「何ですか?」
少し考える。
「⋯⋯会社が潰れるとか?」
「ぷっ。現実的すぎますよ、それ」
「おっさんですからね」
「もっとこう、幽霊とか高いところとか」
幽霊は正直怖い寄りだ。ただ、橘さんを安心させる為にも、それは黙っていよう。
「高いところは普通に怖いですよ。あと、昔は雷が苦手でした」
「雷?」
「小学生くらいの頃ですけどね。家の近くに落ちたことがあって、それからしばらく駄目でした」
「意外です」
「そうですか?」
「田中さんにも怖いものあるんだなって」
「さっき俺が言ったやつ!」
橘さんが声を抑えて笑った。
こんな時間なので、隣の部屋への配慮らしい。よく考えたら、水野さん達の部屋はうるさすぎた。よく苦情が来なかったものだ。あの三人は、橘さんを見習うべきである。
また少し話していると、橘さんが欠伸をした。
「眠いんじゃないですか?」
「ちょっとだけです」
「寝ていいですよ」
「でも⋯⋯」
「俺、起きてますから」
「本当ですか?」
「本当です」
「途中で寝ないですか?」
「努力します」
「そこは絶対って言ってください」
「41歳のおっさんに徹夜を確約させないでくださいよ」
また笑う。
橘さんは少し迷っていたが、やがてベッドへ横になった。
もちろん俺とは離れている。
俺は椅子に座ったまま、スマートフォンを眺めることにした。
「電気、消します?」
「駄目です、点けておいてください」
「分かりました」
暗いのは怖いようで、部屋の照明はそのままにする。
その数分後。
「田中さん」
「起きてますよ」
「⋯⋯ありがとうございます」
また数分後。
「田中さん」
「はい」
「起きてますか?」
「起きてます」
「良かったです」
その声は、さっきより眠そうだった。
さらにしばらくすると、橘さんから声が掛からなくなった。
チラリとベッドを見ると、目を閉じている。
「橘さん?」
返事はない。
ようやく寝たらしい。
普段ならきちんとしている人が、こんなことで怖がって眠れなくなる。
何だか少し可笑しい。
でも、安心したような顔で眠っているのを見ると、付き合った甲斐はあったと思う。
「⋯⋯さて」
俺も限界だ。
ただ、このまま同じベッドで寝るわけにはいかない。
さすがにそれは駄目だ。
部屋の端にある小さなソファへ移動する。
横になるには狭いので、背もたれに身体を預けるしかない。流石に、さっきまで座っていた背もたれの無い椅子よりはマシだけど。
「明日、身体痛くなりそうだな⋯⋯」
仕方ない。
橘さんが起きるまではここで寝よう。
照明を少しだけ暗くし、目を閉じる。
今日は本当に色々あった。
黒川さんと煙草を吸い、小宮川さんに理性を試され、水野さん達のゲームに付き合い、最後は幽霊を怖がる橘さんの寝かしつけ。
俺、全国のダンジョン異常を解決しに来てるんだよな?
途中から何しに来たのか分からなくなってきた。
まあいい。明日になれば、また仕事だ。
そう思いながら、俺も眠りに落ちた。
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