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73話 清掃おじさん、理性を試される

「ちょ、ちょっと!?小宮川さん!?」

「⋯⋯ふふ」

「あ、あの!」

「⋯⋯⋯⋯嫌?」

 

 小宮川さんが更に身体を寄せてくる。

 バスローブから覗く脚や胸が視界に入り、俺はすぐに視線を逸らした。

 なんだ、なんだその発言は。


「田中さん、こっち向いてよ」

「嫌です」

「何で?」

「小宮川さんが面白がるからです」

「もう面白いよ?」

「最悪だ」


 俺の腕を絡めるように抱き寄せた小宮川さんが笑う。

 腕は色んな所に触れていて——。


 いや、やっぱり遊ばれているだけだ。

 そう思えばいい。いつもの悪戯。俺が慌てるのを見て楽しんでいるだけ。


「ねえ、田中さん」

「はい」

「空さんと海さんの時も、こんな感じだった?」

「全然違いますよ」

「ゆかりん抱きしめた時は?」

「事故ですって!」

「玲奈さんと二人でいた時は?」

「煙草吸ってただけです!」

「じゃあ⋯⋯今が一番すごい?」

「何の比較してるんですか!」


 小宮川さんが耳元で囁くので、慌てて起き上がる。

 少し無理やり引き剥がしたが、仕方あるまい。


「本当に勘弁してくださいよ!俺だって男なんですから!」

「知ってるよ」

「だったら——」


 ——言葉が止まった。

 思っていたより近くに、小宮川さんの顔があった。というか、抱きついてきたと言うべきか。


 酒の匂いがする。

 小宮川さんの目が、真っ直ぐ俺を見ていた。


「⋯⋯美月が女なのも、分かってる?」

「分かってますよ」

「ほんとに?」


 いつもの軽い声だった。


 でも、何故か笑っていなかった。

 まずい。とにかくまずい。そろそろおっさんの理性も風前の灯だ。


「小宮川さん、酔ってます?」

「ちょっとだけねぇ」

「じゃあ水飲みましょう」

「あー!誤魔化した!」

「誤魔化してません」


 今度は立ち上がろうとすると、腕を掴まれた。


「まだいいじゃん。ホテルの人、来てないんだし」

「いや、でも——」

「田中さん」

 

 引っ張られ、ベッドに座り直す。


 今度はさっきより近い。

 小宮川さんの手が俺の腕に触れたまま離れない。


「美月がこういうことするの、嫌?」

「⋯⋯嫌じゃないから困ってるんですよ」


 しまった⋯⋯。思わず本音が出た。

 一回目の「嫌?」は、スルーできたのに。


 小宮川さんの目が少しだけ大きくなる。


「あ、いや⋯⋯。今の、忘れてください」

「やだ」

「忘れてくださいって!」

「田中さん、美月のこと意識してるんだ?」

「そりゃしますよ!」


 もういい。

 ここまで来たら言ってしまえ。


「小宮川さん、自分がどれだけ美人で色っぽいか分かってるでしょう!そんな人がバスローブ一枚で隣に座って、これだけ近づいてきたら普通に意識しますよ!俺だって男なんですから!」


 一気に言うと、小宮川さんが黙った。

 何故か俺の方が恥ずかしくなる。


「⋯⋯だから、あんまりおっさんをからかわないでください。心臓に悪いんですよ」

「からかってるだけだと思ってるんだ」

「え?」

「何でもなーい」


 小宮川さんがまた笑う。


 ただ、今度は少しだけ頬が赤く見えた。

 酒のせいだろうか。


「田中さん」

「今度は何ですか」

「目、閉じてみて」

「絶対嫌です」

「何でよーう!」

「何されるか分からないでしょう!」

「大丈夫。キスするだけかも」

「もっと駄目ですよ!」


 危ない。本当に危ない。

 この人を今すぐ廊下へ出したい。

 でもバスローブ姿で放り出すわけにもいかない。

 

 俺の理性を試すためだけに、このホテルはスタッフを遅らせているんじゃないだろうな。


「田中さん、顔赤いよ?」

「酒です!」

「美月のせいじゃなくて?」

「酒です!」

「じゃあ〜確認してみよっか」

「何を!?」


 小宮川さんがさらに近づこうとした、その時だった。


 部屋の電話が鳴った。

 二人揃って動きを止める。


「⋯⋯電話、鳴ってるよ」

「⋯⋯出ますよ」


 俺はすぐに立ち上がった。


 助かった。

 心の底から助かった。


「はい!」


 勢いよく受話器を取る。

 フロントからだった。


 小宮川さんの部屋の解錠準備ができたため、スタッフがこちらの階へ向かっているらしい。


「ありがとうございます!本当にありがとうございます!」

『⋯⋯は、はい?』

「いえ、何でもないです!」


 電話を切る。


「小宮川さん!」

「はーい」

「帰りますよ!」

「えー。もうちょっといいじゃん」

「駄目です!」

「田中さん、さっき嫌じゃないって言ったのに」

「それとこれとは別です!」


 小宮川さんの腕を掴み、立たせる。


 もう限界だ。

 これ以上この人と二人でいたら、俺が何をするか分からない。理性の限界だ。


「ほら、行きますよ!」

「田中さん強引ー!きゃー!」

「誰のせいですか!」


 部屋を出ると、ちょうどホテルのスタッフが廊下の向こうから歩いてきた。


 事情を説明し、小宮川さん本人であることを確認してもらった後、無事に部屋の鍵を開けてもらう。


「ありがとうございました」


 俺まで頭を下げる。

 スタッフが去った後、小宮川さんが自分の部屋の前で俺を見る。


「田中さん」

「何ですか」

「さっきの続き——」

「おやすみなさい!」

「まだ言ってないじゃん!」


 背中を押して部屋へ入れる。


「明日も朝早いんですから寝てください!」

「ちょっと田中さん、待って——」

「おやすみなさい!」


 小宮川さんを部屋へ押し込み、ドアが閉まるのを確認した。


 オートロックが作動する。


「⋯⋯ふぅ」


 助かった。

 本当に危なかった。


 俺は自分の部屋へ戻り、ドアを閉める。


 そのままベッドへ腰を下ろした。


「⋯⋯⋯⋯」


 顔が熱い。


 酒のせいだ。絶対に酒のせい。

 そういうことにしておこう。


 しかし、さっきの小宮川さんの顔が頭から離れない。


『からかってるだけだと思ってるんだ』

「⋯⋯何なんだよ、あれ」


 あんな言い方をされたら、変なことを考えてしまうじゃないか。


 俺は41歳。小宮川さんは28歳。

 有名な美人探索者で、俺はダンジョン清掃員。


 浮かれるな。思い上がるな。調子に乗るな、田中和彦。

 沖縄でも自分に言い聞かせたばかりだ。

 

 俺はベッドに仰向けになり、天井を見つめた。


 ⋯⋯眠れるかな、今日。


 そう考えていると、突然スマートフォンが震えた。

 嫌な予感を覚えながら、画面を見る。


『今日はありがと♡田中さんが美月のことちゃんと女として見てくれてて嬉しかった♡おやすみー♡』

「⋯⋯⋯⋯」


 スマートフォンを投げた。


 寝よう。もう寝よう。

 これ以上考えたら駄目だ。


 目を閉じる。

 しかし、わずか十秒後には目を開けた。


「⋯⋯無理だろ」

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