72話 清掃おじさん、小悪魔を部屋に招き入れる
「⋯⋯小宮川さん?」
喫煙所から部屋へ戻る途中、自分の部屋へ続く廊下で見つけたのは、バスローブ姿の小宮川さんだった。
俺の声に気づいた小宮川さんが、困ったような顔でこちらを振り向く。
「田中さん⋯⋯助けてぇ⋯⋯」
「えぇ⋯⋯⋯⋯。何してるんですか、そんな格好で」
「それがねー⋯⋯ちょっと飲み物買おうと思って部屋出たら、鍵持ってくるの忘れちゃった」
小宮川さんが自分の部屋のドアを指差す。
「オートロックなの忘れて、そのまま閉めたってことですか?」
「うん」
「何やってるんですか⋯⋯」
「美月も思ったよ。あ、やったなって」
俺も同じ感想である。
ホテルのバスローブ一枚で廊下へ出るのもどうかと思うが、本人としては同じ階の自動販売機まで行くだけのつもりだったのだろう。
「フロントに連絡しました?」
「まだ出来てない」
「あぁ⋯⋯そうですよねぇ⋯⋯」
確かに、この格好でロビーに行くことは出来ないだろうし、フロントに繋がる電話機は部屋の中にしか無い。
同じ階なのは俺しかおらず、聞くところによるとスマホも部屋に忘れてきたらしい。
この格好で放置するのは流石に⋯⋯。
「⋯⋯俺の部屋、入ります?」
「いいの?」
「フロントに連絡もしないといけないですし⋯⋯。その格好で立たせておけないでしょう」
「田中さん、優しいー!」
「普通です」
「じゃあ、お邪魔しまーす」
俺がカードキーで部屋を開けると、小宮川さんは遠慮なく中へ入っていった。
⋯⋯何だろう。
俺は何も悪いことをしていない。困っている人を助けただけだ。
なのに、ホテルの廊下でバスローブ姿の女性を自分の部屋へ招き入れたという事実だけ切り取ると、非常にまずいことをしているような気がする。
「田中さん、何してるの?」
「今入りますよ」
廊下を確認してからドアを閉めた。
別に誰かに見られて困ることはない。ないはずだ。
部屋へ入ると、小宮川さんはベッドの横にある椅子へ座った。
チラリと見ると、脚を組んだ際に美しい太ももが目に入る。胸元も緩く、ほんの少しだけブラジャーが見えてしまう。
俺は邪念を振り払い、フロントに電話をする。
話はスムーズに進み、10分から30分程度で来てくれるようだ。
それを小宮川さんに伝えると、安心したように体を伸ばした。
「はぁー、助かった!廊下で待つの結構恥ずかしかったんだよね」
「そりゃそうでしょう。というか、よくバスローブで自動販売機まで行こうと思いましたね」
「同じ階だし、誰にも会わないかなって」
「俺に会ってますけど⋯⋯」
「田中さんならいいじゃん」
「何でですか⋯⋯」
「見られても平気だから?」
小宮川さんが笑う。
俺は反応せず、冷蔵庫から水を取り出した。
この人の言葉を一つ一つ真面目に受け取っていたら身が持たない。
「水でいいですか?」
「お酒ないの?」
「ありますけど⋯⋯まだ飲むんですか?」
「ちょっとだけ。ホテルの人が来るまで暇だし」
冷蔵庫には、コンビニで買っておいた缶ビールが二本入っている。夜に飲もうと思っていたものだ。
「一本だけですよ」
「やった!」
缶ビールを渡すと、小宮川さんが嬉しそうに受け取る。
俺も付き合って一本開けた。
「かんぱーい!」
「乾杯」
小さく缶を合わせる。
⋯⋯何故、俺はバスローブ姿の小宮川さんとホテルの部屋で二人きりで酒を飲んでいるんだろう。
少し前まで黒川さんと喫煙所で静かに話していたはずなのに、落差が激しすぎる。
「田中さん、さっきどこ行ってたの?」
「喫煙所ですよ」
「一人で?」
一瞬、答えるのが遅れた。
「⋯⋯最初は一人でしたけど、途中で黒川さんが来ました」
「へぇ〜」
小宮川さんが缶ビールを口へ運ぶ。
ただそれだけなのに、何となく聞き方が引っ掛かった。
「玲奈さんと二人で何話してたの?」
「普通の話ですよ。昔のこととか、仕事のこととか」
「ふーん。二人で?」
「喫煙所に他に誰もいなかったですからね」
「そうなんだ〜。なんか楽しそう」
「楽しかったですよ。黒川さんとは落ち着いて話せますし」
小宮川さんがこちらを見る。
何か変なことを言っただろうか。
「⋯⋯田中さん、最近楽しそうだね」
「そうですか?」
「うん。空さんと海さんのお家に行ったり、沖縄ではゆかりんと抱き合ったり、今度は玲奈さんと二人で大人の時間?」
「言い方!」
「間違ってないじゃん」
「全部並べると俺がとんでもない奴みたいになるでしょう!」
天城姉妹とは食事をしただけ。
橘さんとは事故。
黒川さんとは煙草を吸いながら話していただけだ。
俺は何一つ悪いことをしていない。
「小宮川さんだって全部知ってるでしょ!」
「知ってるよ」
「じゃあ変な言い方しないでくださいよ⋯⋯」
「でも、美月の知らないところで色々あるんだなーって思っただけ」
そう言って、小宮川さんがビールを飲む。
いつものように笑っている。
ただ、何となくいつもと違う。
俺にはその理由が分からなかった。
「全国回ってるんだし、色々ありますよ」
「美月とは?」
「はい?」
「美月とは何かないの?」
「今こうしてお酒飲んでるじゃないですか」
「それだけ?」
「それ以上何があるんですか」
「⋯⋯そっか」
小宮川さんが小さく笑う。
⋯⋯何だ?
今日の小宮川さん、やっぱり少し変だな。
「どうしました?」
「ん〜?」
「いや、何となく。いつもと違う気がして」
「そう?」
「気のせいならいいですけど」
小宮川さんは返事をせず、缶ビールを飲んだ。
それからしばらく、他愛のない話をした。
今日のダンジョンで水野さんと空さんが競争していたこと。
北海道まで終わったら福岡に戻れること。
沖縄でもう一泊できたのは結局楽しかったこと。
普段なら小宮川さんがどんどん話を広げるのだが、今日は俺が話をしている時間の方が長い。
それでも酒が進むにつれ、少しずついつもの調子が戻ってきた。
「田中さん」
「はい?」
「美月のこと、可愛いと思う?」
「ぶっ!き、急に何ですか!」
「いいから答えてよ」
また面倒な質問が来た。
俺は照れを掻き消すように、酒を呷ってから答える。
「⋯⋯⋯⋯可愛いと、思いますよ」
「ふーん。ほんとに?」
「⋯⋯そりゃそうでしょ。小宮川さんが可愛くなかったら世の中の女性の大半どうなるんですか」
「へぇー⋯⋯」
「何ですか、その顔」
「田中さん、ちゃ〜んと美月のこと可愛いと思ってるんだ」
「思ってますよ。前から言ってるでしょ」
VIVIDは全員美人だ。
そんなことは初めて会った時から分かっている。
小宮川さんの場合は可愛いというより、色気が強すぎて俺が困ることの方が多いが。
「じゃあさ」
小宮川さんが椅子から立ち上がった。
そのまま俺の座っているベッドの方へ歩いてくる。
「⋯⋯何です?」
「美月がこんな格好で部屋にいても、何とも思わない?」
「思いますよ」
「どんなこと?」
「早く鍵開けてもらって自分の部屋に帰ってほしいなって」
「ひどっ!」
小宮川さんが笑った。
良かった。
少し、いつもの感じに戻った。
そう思ったのも束の間だった。
小宮川さんは俺の隣へ座る。
それも束の間、俺の腕を掴んでベッドに倒れた。その力によって、俺も釣られてベッドに倒れてしまった。⋯⋯押し倒されたようになってしまった。
「ちょ、ちょっと!?小宮川さん!?」
「⋯⋯ふふ」
「あ、あの!」
「⋯⋯⋯⋯嫌?」
小宮川さんが更に身体を寄せてくる。
バスローブから覗く脚や胸が視界に入り、俺はすぐに視線を逸らした。
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