64話 清掃おじさん、模擬戦を見る
少しして、俺達は探協の訓練場へ移動した。
水野さん達も全員ついてきている。
「楽しみ!」
水野さんが明らかにワクワクしている。
「日本最強と孤高の王かぁ。これは見逃せないよね」
小宮川さんも楽しそうだ。
「二人とも怪我しなければいいですけど⋯⋯」
橘さんは少し心配そうだった。
「模擬戦ですから、そこは大丈夫でしょ」
黒川さんは落ち着いている。
俺だって楽しみではある。
神崎さんの強さは、自分の身体で何度も思い知らされた。
俺より遥かに低い身体能力で、こちらの攻撃を読み、誘導し、何度も簡単に負かされた。
一方、獅子堂さんも決して能力だけの人ではない。
むしろ、俺が実際に戦って一番恐ろしいと感じたのは、その技術だった。
二人とも近接戦闘の達人。
ただし、神崎さんは相手の動きを読み切ることに長け、獅子堂さんは高い身体能力に技術を重ねて押し切る。
どうなるんだろう。
「獅子堂さん」
「なんや、おっちゃん?」
「今回、白峰さん居ないので、自分も相手も怪我させないでくださいよ」
「やらへんわ!」
「四重とか五重もやめてくださいよ。また動けなくなっても背負いませんからね」
「まだ昨日のこと言うてんのか!」
「昨日だから言ってるんですよ!」
周囲から笑い声が漏れた。
二人が訓練場の中央へ移動する。
神崎さんはいつもの片手剣を抜いた。対する獅子堂さんは素手のままだ。
「ルールは通常の模擬戦でええか?」
「構いません」
「ほな、よろしくな。神崎はん」
「こちらこそ、お願いします」
審判役の職員が手を上げる。
「始め!」
獅子堂さんが踏み込んだ。
まだ『倍々』は使っていない。
正面から伸びた拳を、神崎さんは身体を僅かにずらしてかわす。そのまま剣先が獅子堂さんの腕へ走ったが、獅子堂さんもすぐに腕を引いた。
「おっ」
浅く服だけが裂ける。
「やるやん」
「まだ始まったばかりですよ」
神崎さんの表情は変わらない。
獅子堂さんがもう一度踏み込む。
拳を見せながら身体を捻り、途中で蹴りへ変える。
だが、神崎さんは蹴りが来るより前から動いていた。
僅かな距離だけ外へ逃れ、蹴りが空振りしたところへ剣を伸ばす。
今度は獅子堂さんの脇腹を狙っている。
それも獅子堂さんが身体を捻ってかわした。
「やっぱ凄いな⋯⋯」
神崎さんの『領域』。
周囲の人間や物体、魔素の位置と動きを把握する能力。
それだけなら未来が見えるわけではない。
だが、神崎さんには長年の戦闘経験がある。肩や腰、足の動き。視線。重心。
俺には分からないような細かな情報から、相手が次に何をするのかを予測している。それは、もはや未来予知と呼ぶに相応しい技術だ。俺も散々やられた。
獅子堂さんの攻撃が続く。
神崎さんは大きく逃げない。
拳が当たらない分だけ身体をずらし、蹴りが来れば最小限の移動で外へ出る。そのたびに剣先を獅子堂さんへ返していた。
「神崎さん、凄っ!」
水野さんが声を上げる。
確かに、ここまでは神崎さんの方が有利に見える。
だが——。
「おもろいなぁ⋯⋯!」
獅子堂さんが笑った。
「聞いとった以上やわ。————ほな、ちょっと速うするで」
拳を握った。
「『倍々』——一重」
次の踏み込みで、速度が一気に変わった。
それでも神崎さんは反応した。
獅子堂さんの拳が届くより先に身体をずらし、攻撃の軌道から外れる。
しかし、さっきまでとは違う。
神崎さんが避けた先へ、獅子堂さんの二撃目が続いた。
神崎さんは身体を沈めてそれもかわし、下から剣を振り上げる。
獅子堂さんが後ろへ退く。
互いに距離が空いた。
「すご⋯⋯」
今度は小宮川さんが呟いた。
神崎さんは獅子堂さんを読んでいる。
だが獅子堂さんも、自分の動きが読まれていることを理解した上で戦っていた。
拳を出す前の動きだけを見せて反応を誘い、途中で攻撃を変える。神崎さんが避ける位置を予測して、次の攻撃を先に置いていく。
神崎さんも、その誘いをさらに読んで動きを変える。
以前俺と戦った時よりも、ずっと高度な読み合いだった。
「⋯⋯俺、こんな人に戦い方教えてもらってたんだなぁ」
「え?今さら?」
水野さんに言われた。
「いや、知ってましたけど⋯⋯改めて見ると凄いなって」
戦いはしばらく拮抗していた。
獅子堂さんの拳が神崎さんの頬を僅かに掠めれば、直後には神崎さんの剣が獅子堂さんの肩を浅く捉える。
獅子堂さんが力任せに攻めれば、神崎さんは受けずに流し、逆に踏み込んだところを狙う。
一方で神崎さんが決めに行こうとすれば、獅子堂さんは持ち前の反応速度と技術で致命的な一撃だけは避けていた。
「やっぱ強いわ、神崎はん!」
「獅子堂さんこそ⋯⋯!」
「身体能力だけで何とかなる相手ちゃうな!」
「それは⋯⋯こちらの、台詞です⋯⋯っ!」
二人の間に少しずつ差が見え始める。
神崎さんは獅子堂さんの動きを読めている。
次に何が来るかも、どこを狙われるかも分かっているように見える。
それでも、獅子堂さんの速度に身体が追いつかない瞬間が増えていった。
しかも獅子堂さんには、神崎さんほどではないにしても十分すぎるほど高い技術がある。
速くて、強くて、上手い。
単純だが、それが恐ろしく厄介だった。
神崎さんが獅子堂さんの拳を紙一重でかわし、その懐へ入る。
片手剣が脇腹へ向かう。
獅子堂さんは身体を捻ったが、避け切れない。
剣先が服を裂いた。
「そこです」
さらに神崎さんが踏み込む。
獅子堂さんの重心が崩れたところへ足を掛け、そのまま体勢を崩そうとする。
「うおっ!」
獅子堂さんの身体が傾いた。
神崎さんの剣が首元へ迫る。
俺なら、もう終わっている。
だが——。
「捕まえたで!」
「っ!」
獅子堂さんが崩れた体勢のまま、神崎さんの手首を掴んだ。
神崎さんはすぐに腕を捻って外す。
獅子堂さんも無理には追わない。
ただ、その一瞬だけ神崎さんの動きが止まった。
獅子堂さんの拳が腹部へ伸びる。
神崎さんは剣の柄と腕を使って軌道を逸らしたが、完全には受け流せなかった。
身体が後方へ飛ぶ。
それでも綺麗に着地し、すぐに構え直した。
「⋯⋯今の状況から返しますか」
「危なかったわ。もうちょいで終わっとったで」
獅子堂さんが嬉しそうに笑う。
「やっぱ孤高の王は伊達やないな」
「その呼び名は、あまり好きではないんですが」
「あ、そうなん?」
「ええ」
何となく分かる。
俺も『清掃おじさん』を最初に聞いた時は複雑だった。
二人が再び向かい合う。
今度は、獅子堂さんから笑みが少し消えた。
楽しんでいるのは変わらない。だが、それ以上に真剣になっている。
「行くで⋯⋯!」
「どうぞ」
獅子堂さんが踏み込む。
神崎さんは『領域』で動きを捉え、拳の軌道から外れた。
そこへ次の攻撃が来ることも読んでいたらしく、既に身体を動かしている。
だが、獅子堂さんはその動きを見て途中で攻撃を変えた。
神崎さんも再び対応する。
その先へ、獅子堂さんがさらに一歩踏み込んだ。
神崎さんの表情が僅かに変わる。
読まれた————。
獅子堂さんの蹴りが神崎さんの防御した腕へ当たる。
神崎さんの身体が大きく横へ飛んだ。
床へ足をつけて踏ん張った時には、獅子堂さんがもう目の前まで来ている。
神崎さんの剣が動く。
だが、それより先に獅子堂さんの拳が神崎さんの顔の横で止まった。
「⋯⋯」
少しの沈黙。
神崎さんが息を吐き、剣を下ろした。
「⋯⋯参りました」
「勝負あり!」
審判の声が響く。
「よっしゃ!」
獅子堂さんが嬉しそうに拳を上げた。
神崎さんは悔しそうではあったが、表情はどこか満足そうだった。
「強いですね⋯⋯」
「いやいや、神崎はんも相当やで」
獅子堂さんが手を差し出す。
「俺とここまでやれる奴、日本でもそうおらんわ」
「ありがとうございます」
神崎さんがその手を取り、立ち上がった。
「俺の負けです。単純な身体能力の差だけなら、まだやりようはあります。ただ、そこに獅子堂さんの技術まで加わると厳しいですね⋯⋯」
「そこまで読まれて普通に攻撃当ててくる奴に言われてもなぁ」
二人とも互いを認めている。
見ていて気持ちのいい勝負だった。
「凄かったです、神崎さん」
俺が近づくと、神崎さんがこちらを見る。
「負けましたけどね」
「いや、俺なんて神崎さんに何回負けたと思ってるんですか」
「田中さんの場合は、技術以前の問題だったでしょう」
「ちょっと!」
水野さん達が笑う。
「田中さん、構えからダメだったもんね!」
「水野さん、それ言わないでくださいよ!」
「あはは!懐かしい!」
黒川さんまで笑っている。
数日前まで全国を回っていたのに、福岡へ戻ってきた途端これだ。
「ええなぁ、福岡!」
獅子堂さんが俺と神崎さんの肩へ腕を回してきた。
「おっちゃんおるし、神崎はんもおるし!俺、しばらくこっちおろかな!」
「会社に帰ってください!」
「ええやん!」
「よくないですよ!」
周囲からまた笑い声が上がる。
東京へ向かってから数日。
俺が各地を回っている間に、福岡でも色々なことが変わっていた。
黒川さん、小宮川さん、橘さんがA級へ昇格し、神崎さんは新たなS級探索者になった。
それでも、こうして皆で話している空気は何も変わらない。
やっぱり福岡は落ち着く。
ようやく帰ってきたんだと、今度こそ実感した。
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