50話 清掃おじさん、最強の関西人と戦う①
「俺ともやろうや!」
嫌な予感はしていた。
というか、天城姉妹との模擬戦が始まった時から、この人だけ明らかに目が輝いていた。
「いや、俺もう結構疲れてるんですけど⋯⋯」
「大丈夫や!ちょっと休憩したら回復するて!」
「何で獅子堂さんが決めるんですか」
「せっかく東京まで来たんやで?こんっなおもろそうな相手と戦わんで帰れるかいな!」
満面の笑みで言われた。
駄目だこの人⋯⋯。
「獅子堂さん、明日は対策会議がありますよ」
白峰さんが困ったように口を挟む。
「分かっとる分かっとる!軽くや、軽く!」
「獅子堂さんの軽くは信用できません」
「失礼やなぁ!」
俺も白峰さんと同意見だった。
獅子堂剛毅。
大阪を拠点とするS級探索者にして、日本最強の探索者と呼ばれる男。
魔素量だけなら白峰さんの方が上らしいが、単純な戦闘能力ではこの人が国内最高峰だと聞いている。
しかも能力まで、極端に戦闘向きだ。
『倍々』——自身の身体能力を文字通り倍々に引き上げていくスキルである。
「やるなら、ちゃんと休んでからにしたら?」
そう言ったのは空さんだった。
さっきまで俺と戦っていた本人が、いつの間にか完全に観戦側へ回っている。
「田中さん、結構動いてたでしょ。その状態で勝っても面白くないんじゃない?」
「空さん⋯⋯」
ちょっと優しい。
「勘違いしないで。私に勝った相手が簡単に負けたら、腹が立つだけ」
やっぱり違ったようだ。
結局、一時間ほど休憩を挟むことになった。
その間に探協の職員が俺の焦げたスーツやワイシャツを見て、弁償を申し出てきた。
良かった。本当に高いやつを買おう。
とりあえず、ボロボロのスーツ姿で居る訳にもいかないので、探協本部に試供品として提供されていた高級探索者用ウェアを借りた。非常に動きやすく、丈夫であり、なんだかオシャレな外着としても着れそうな見た目をしている。結構気に入ったのだが、お値段を聞いて購入は諦めた。
⋯⋯この事件解決で出る報奨金次第で、買うのを検討するとしよう⋯⋯。
そして1時間後。今度は獅子堂さんと向かい合っていた。
「ルールはさっきと同じでええやろ。どっちかが降参するか、続行できんようになったら終わり」
「分かりました」
「獅子堂さん」
白峰さんの低い声が聞こえる。
「⋯⋯アレは使わないでくださいよ」
「流れ次第や!」
「使わないとは言わないんですね⋯⋯」
白峰さんが額を押さえた。
どうやら、何か使ってはいけないものがあるようだが⋯⋯。
「じゃあおっちゃん、やろか!」
「お願いします」
審判の職員が開始を告げた。
次の瞬間、獅子堂さんが目の前にいた。
「っ!」
拳を避ける。
続く右蹴りを腕で受け、そのまま距離を取ろうとしたが、獅子堂さんが逃がしてくれない。
逆にこちらが反撃しようとした時には、もう俺の攻撃が届かない位置にいる。
「ちょ、速っ⋯⋯!」
「ええ反応するやん!」
笑いながら懐へ潜り込まれ、腹へ拳が入った。
「ぐっ!」
身体が後ろへ滑る。
痛い。
スキルを使っていないはずなのに、普通に強い。
何より——上手い。
神崎さんほど相手の動きを読むことに特化している感じではないが、殴り合いそのものの技術が恐ろしく高い。
俺が拳を振っても当たらない。しかし、獅子堂さんの拳は普通に当たる。
「やっぱおもろいなぁ!」
本人だけは楽しそうだった。
何度か攻防を繰り返したあと、獅子堂さんが大きく後ろへ跳んだ。
「ほな、そろそろ上げるで!」
空気が変わる。
「『倍々』——一重!」
獅子堂さんの身体から、一気に魔素が膨れ上がった。
あれが倍々スキルの第一段階——。それまでの身体能力が全て二倍になる。
力だけではない。
速度も、反応も、思考も、耐久力も二倍になるらしい。インチキすぎる。
「行くで!」
速い。さっきまでとは明らかに違う。
腕で受けた拳の衝撃だけで、身体が大きく押し込まれる。
「うわっ!」
「まだまだ!」
スピードもパワーも倍になった一撃は、非常に重たかった。衝撃は速さと重さで決まるとかなんとか言うが、そのせいかダメージは単純に倍って感じではなく、より強い衝撃を感じた。
俺は俺の持てる魔素を全て身体能力強化に回す。試しに清掃してみたが、倍々スキルには効果を発揮しなかった。なら、単純に身体能力強化にリソースを注ぎ込み、どうにかあのスピードとパワーに反応するしかない。
「やっぱおっちゃん強いな!!一重でさえ、付いて来れるやつは殆どおらんっちゅうのに!」
「やっと、かっと、ですよ⋯⋯っ!」
「わははは!!ホンマおもろいわ!!」
俺の方が身体能力では上のはずなのに、技術の差でまともに攻撃が当たらない。
しかしだんだん目も慣れ、神崎さんに教えてもらった事や、これまでの経験から獅子堂さんに拳が掠り始める。
「もう捉えたか!!速いなぁ!!」
「っ!はぁっ!」
「そんじゃあ————」
獅子堂さんは、一度大きく距離を取り、息を吐いた。
「次や!!」
さらに魔素が膨れ上がる。
「『倍々』——二重!」
倍々スキルは、身体能力を倍々にしていく能力だ。
3倍とか5倍とか決められる訳じゃなく、倍の倍の倍の⋯⋯としていくスキルである。
つまり今の倍率は——2倍×2倍の、4倍。
「ほな⋯⋯行くで!」
獅子堂さんの姿がブレる。
「っ!」
「これも避けんのかい!わははは!」
今度は、明確にヤバかった。
俺が避けようとする方向まで読んで、先に拳が置かれている。
反撃しても、真正面から腕で受け流され、そのまま体勢を崩される。
「つ、強っ⋯⋯!」
「そうやろ!」
「自分で言います!?」
「事実やからな!」
楽しそうで何よりだ。俺は全然楽しくないが。
そこから約二分間。
どうにかこうにか耐えたところで、獅子堂さんがさらに笑った。
「いやぁ、ええな!めっちゃええ!」
「もう十分じゃないですか!?」
「何言うとんねん!ここからやろ!」
どうやらまだ気が済まないようだ。このまま行くと、俺ワンチャン死なないかな?
そんな俺の考えも他所に、獅子堂さんが構える。
————今まで以上の魔素が全身を覆う。
「世界一以外の人間に使うんは初めてやで。誇りに思いや、おっちゃん。『倍々』⋯⋯三重」
2倍の三重——8倍。
スキルが発動した瞬間——俺は獅子堂さんを見失った。
「え?」
脇腹に衝撃が走った。
「がっ!」
身体が浮く。
床へ落ちる前に、今度は背中を蹴られた。
受け身を取って転がり、慌てて立ち上がる。
しかし、立ち上がった瞬間に上段蹴りが迫ってくる。慌てて身を捻り回避して距離を取った。
そうして回避を繰り返すが、二手三手と繰り返すうちに、回避不能になり獅子堂さんの重たい一撃をモロに喰らってしまう。
フェイントも織り交ぜてくるため、インパクト地点に力を込めても、別のところを殴られたり蹴られたりするので非常に痛い。
さっきまでとは次元が違う強さだ。
身体能力ではまだ俺の方が上だ。パワーもスピードも、辛うじて俺の方が強い。
だが、戦闘技術は比較にならない。身体能力で圧倒的に優位な神崎さん相手に手も足も出なかった俺が、身体能力で迫る上に技術も神崎さん級の獅子堂さんに勝てる気がしない。
これが日本最強と名高い男の実力⋯⋯。
俺は決定打を与えられず、みるみる獅子堂さんからのダメージが蓄積していっている。このままあと2、3分戦えば間違いなく負ける。
そんな時だった。
「おっちゃん!あんた最高や!!」
獅子堂さんが叫ぶ。
「次や!!」
「まだ上げるんですか!?」
「当たり前やろ!!本気の俺と殴りあってくれよ、おっちゃん!!『倍々』——四重ォ!」
さらに倍のスピードで迫る。
長い戦いで高速戦闘に目が慣れてきた俺は、16倍の獅子堂さんも辛うじて目で追えた。
渾身の右ストレートを両手で受ける。
「ぐうううううっ!?」
「両手広げたなァ、おっちゃん!!」
「ぐああああああああああああっ!!?」
受けた両手を弾かれてしまい、がら空きの腹部にラッシュを喰らう。
腹部全体に魔素を流し込み、腹筋に力を入れるが——馬鹿みたいに痛い。あまりの痛みと速さに、呼吸することができない。
口の中に鉄の味を感じて吐き出すと、生まれて初めて吐血していた。
こ、このままだと死ぬ!!
逃げたい、死にたくない、痛い、怖い、助けて————。
「うわああああああ!!『清掃』ぉぉぉ!!」
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