42話 清掃おじさん、元凶を清掃する
22階へ向かう通路は、酷い状態だった。
壁には戦闘の跡が残り、床には大量の魔物の死体が転がっている。清掃したくてウズウズするが、一応魔素を温存せよ、との事なので我慢する。
そうこうしていると、壁の向こうからまたオーガが現れた。
「田中さんはそのまま!」
神崎さんが前へ出る。
俺は言われた通り足を止めなかった。
神崎さんの剣がオーガの首を一瞬で斬り裂く。オーガは首から血を噴き出し、その場に倒れた。
別方向から現れたゴブリンの群れには、他の探索者たちが対応した。
「右から来ます!」
橘さんが叫ぶ。
黒川さんが『固定』を発動。飛び込んできたモンスターの動きが止まり、小宮川さんの『念力』で壁へ叩きつけられた。
水野さんがその横を駆け抜ける。
「田中さん、こっち!」
「はい!」
俺も走る。
何だか変な感じだった。
今までなら、危険な場所へ入る前に探索者がモンスターを討伐し、俺たち清掃員は安全が確認されてから入る。
今日は違う。
目の前で戦っている。それも、福岡を代表するような探索者たちが。俺一人を先へ進ませるために。
「⋯⋯何か申し訳ないな」
「何がですか?」
隣を走っていた神崎さんが尋ねる。
「皆さんに道を作ってもらってるんで」
「適材適所ですよ」
神崎さんは前を見たまま答えた。
「俺たちにできることをやっているだけです」
その先から、大型のモンスターが姿を現した。
神崎さんが剣を構える。
「だから田中さんも、田中さんにしかできないことをお願いします」
「⋯⋯はい」
俺は頷いた。
だったら、ちゃんとやろう。
俺は探索者じゃない。ここにいる人たちみたいに上手く戦えるわけでもない。
でも、清掃なら19年やっている。それだけは誰にも負けないつもりだ。
俺たちは戦闘を繰り返しながら22階を進んだ。
異常魔素の発生地点へ近付くにつれて、空気が重くなる。魔素を実感できるほど、ここは魔素が濃い。こんな魔素量、いくらB級やA級探索者でも、長く居れば命に関わるはずだ。
「警戒閾値、30倍を超えました!」
同行していた協会職員が声を上げる。
「まだ上がっています!31⋯⋯32⋯⋯!明らかに異常です!」
職員の人は高濃度魔素区域でも活動できるマスクを付けているが、それでもキツそうだ。
やがて、先頭を走っていた神崎さんが止まった。
「田中さん」
その先には、巨大な空間が広がっていた。
22階の中央部。
壁の一部が大きく崩れ、その奥に亀裂のようなものができている。
自然にできた亀裂には見えなかった。
黒い靄のようなものが、そこから絶え間なく噴き出している。
「⋯⋯あれですか?」
「はい」
協会職員が魔素計を確認する。
「間違いありません!異常魔素の発生地点です!!」
俺は亀裂を見る。
レッドドラゴンが現れた時。
春日第二ダンジョンが崩落した時。
そして今日。
全部、異常な魔素が関係している。
その正体が、目の前にある⋯⋯のかもしれない。
「田中さん」
「近付いてみます」
「危険を感じたらすぐに戻ってください」
「分かりました」
俺は一人で亀裂へ近付いた。
一歩進むごとに、魔素計の警告音が大きくなる。
協会職員が数字を読み上げる。
「33倍⋯⋯いや、35倍まで上がっています!」
「田中さん!」
神崎さんの声が飛ぶ。
「大丈夫です!」
身体に異常はない。
むしろ、不思議な感覚があった。
こんなものを見たことはない。
でも、『清掃』を使った時に感じるものと似ている。
モンスターの死体に残った魔素。毒、呪い、魔法。全部違うものなのに、『清掃』を使えば消せた。
目の前のものも同じだ。
俺は亀裂の前まで来た。
黒い靄が噴き出し続けている。
試しに手を伸ばす。
「⋯⋯やってみます」
後ろから返事はなかった。
俺は意識を集中した。
「『清掃』」
黒い靄の一部が消えた。
「⋯⋯消えた!」
後ろで誰かが叫んだ。
俺はもう一度使う。
「『清掃』」
また消える。
でも、すぐに亀裂の奥から新しい魔素が噴き出してくる。
「田中さん、魔素濃度が下がりません!」
「みたいですね——」
表面だけ消しても駄目なのか。
蛇口から水が出続けているのに、床だけ拭いているようなものか。
だったら、元から止めないといけない。
俺は亀裂を見る。
「もう少し奥までやってみます」
「奥まで?」
「『清掃』の範囲を広げます」
普段なら、そんな使い方はしない。
床なら床。壁なら壁。死体なら死体。
必要な範囲だけ綺麗にする。
でも、今日は違う。
どこまで続いているのか分からないなら、届くところまで全部やる。
俺は目を閉じた。
意識する。
目の前の魔素だけじゃない。亀裂の奥。さらにその先。
この場所に溜まっている、異常な魔素そのもの。
「⋯⋯全部、汚れだと思え」
「田中さん?」
「いや、こっちの話です」
これまで、何万回使ったか分からない。
最初は小さな汚れしか消せなかった。
今では巨大な魔物の死体も消せる。
ギガント・ゾンビだって丸ごと消せた。
だったら——これも消せるかもしれない。いや、消せる!
俺は大きく息を吸った。
「『清掃』!!」
今までとは比べ物にならない感覚が身体を襲った。
「っ⋯⋯!」
重い。
ベヒーモスが放った魔素の塊を消した時よりも遥かに重い。
それでも、『清掃』は発動している。
目の前の黒い靄が一気に消えた。
亀裂の奥まで、何かが削り取られていく感覚がある。
「魔素濃度、低下!」
協会職員が叫んだ。
「32⋯⋯28⋯⋯25倍まで下がっています!」
まだだ。まだ奥にある。
俺は『清掃』を止めなかった。
額から汗が流れる。
今まで『清掃』を使って、こんなに疲れたことはなかった。それだけ、消している量が多いのだろう。魔素を消すのに比例して、俺の持っている魔素も使われていく。
「20倍!⋯⋯14倍まで減っています!!」
数字が下がっていく。
黒い靄も明らかに薄くなっている。
でも、完全には消えない。
亀裂の奥のもっと深い場所から、まだ魔素が流れ込んでくる。
俺はそこへ意識を伸ばした。
その瞬間。
「⋯⋯え?」
妙な感覚があった。
遠い————目の前の亀裂だけじゃない。
もっと下だ。何十階とか、そういう距離ではない。もっとずっと深いところの——そこから何かが繋がっているような感覚がした。
「田中さん?」
神崎さんの声が聞こえる。
俺は答えなかった。
分からない。何なのかは分からない。
ただ、この亀裂の先にある魔素が、ここだけで完結していない。
どこか遠くへ続いている。——そんな気がした。
けれど、今はそれを考えている場合じゃない。
目の前の事態を片付ける。まずはそれだけだ。
「もうちょっと⋯⋯!」
さらに力を込める。
黒い靄が急速に薄くなった。
もっと、もっとだ!!俺の魔素をどんどん込めて————!
そして——消えた。
亀裂から噴き出していた魔素が止まった。
「⋯⋯止まった?」
俺は『清掃』を解除する。
静かだった。
さっきまで鳴り続けていた警告音も、少しずつ間隔が長くなっていく。
「魔素濃度、低下を継続!」
協会職員が端末を見ながら声を上げる。
「22階だけではありません!21階も下がっています!」
無線から別の報告が入る。
『20階も低下確認!』
さらに数秒。
『新規モンスター反応、止まりました!』
その言葉で、後ろから歓声が上がった。
俺はその場に座り込みそうになるのを何とか堪える。
「田中さん!」
水野さんたちが走ってきた。
「大丈夫!?」
「大丈夫です。ちょっと疲れました」
「ちょっとって顔じゃないよ!」
確かに、かなり疲れた。
ベヒーモスと戦った時より疲れているかもしれない。
神崎さんも近付いてくる。
「終わったんですか?」
「多分、終わりました」
俺は亀裂を見る。
もう黒い靄は出ていない。
「綺麗になったと思います」
神崎さんが何とも言えない顔をした。
「⋯⋯S級を倒した時より簡単そうに言いますね」
「こっちは本職なんで」
「なるほど」
神崎さんが笑い、俺も少しだけ笑う。
ようやく終わった。
そう思った時、協会職員が無線を受け取った。
『こちら本部。22階の異常魔素濃度低下を確認。20階、21階も正常値へ向かっています』
「了解しました」
『それと——』
無線の向こうで、一瞬だけ間があった。
『今回の異常魔素について、博多第一ダンジョン及び春日第二ダンジョンで過去に検出されたデータとの照合を開始します』
俺は顔を上げた。
やっぱり、今回だけじゃないのかもしれない。
目の前の亀裂を見る。
さっき『清掃』を使った時に感じた、あの妙な感覚。
ずっと深いところ。
どこか遠くへ続いているような感覚。
「⋯⋯何なんだろうな」
答えは分からない。
でも、今日のところはこれでいい。
俺は立ち上がり、作業着についた埃を払った。
「田中さん、何してるの?」
「いや、汚れたんで」
「今それ気にする!?」
水野さんに呆れられてしまった。
仕方ないだろう。
清掃員なんだから。
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