40話 清掃おじさん、S級と戦う
シルバーウィークは更新頻度高めになりますので、お楽しみください!
戦闘開始から十分ほど経った頃には、探索者側の負傷者が増え始めていた。
死人はギリギリまだ出ていない。
それは、ここにいる人たちが強いからだ。
誰かが危なくなれば別の誰かが助ける。攻撃が集中しそうになれば能力を持った探索者が援護し、神崎さんのような経験豊富な人たちが戦線を調整している。
でも、状況が良くなっているわけではない。
ベヒーモスはピンピンしている。ダメージも無い上に、体力も減っている気配がない。
一方、探索者側だけが少しずつ消耗している。
『撤退を検討します!各班、退路を——』
協会から指示が出かけた時だった。
ベヒーモスが突然、動きを止めた。
「何だ?」
巨大な頭が持ち上がる。
口が開いた。
「まさか——ブレス!?」
水野さんが言う。
「ベヒーモスにブレス能力はないはずです!」
協会職員が答える。
俺もそう聞いている。
ベヒーモスは特殊攻撃を持たない。
ただ圧倒的に大きく、硬く、強い。
でも、口の奥には何かが集まっていた。
黒い光。————いや、魔素だ。
「魔素反応、急上昇!」
「どういうことですか!?」
「分かりません!」
携帯型の魔素計が警告音を鳴らしている。
周囲の異常魔素が、ベヒーモスの口へ吸い込まれていた。
こいつ自身の魔素じゃない。ダンジョン内に溢れている異常な魔素を取り込んでいる。
⋯⋯ベヒーモスの隠された技なのか、この空間中の異常すぎる魔素量が影響しているのか。または、その両方か⋯⋯。
「全員、退避!」
協会職員が叫ぶ。
前線の探索者たちも異変に気付いた。その異変から逃げ始めるが——間に合わない。
黒い魔素の塊は、レッドドラゴンのブレスより遥かに大きくなっている。
この広い空間ごと吹き飛ばすつもりか。
「まずいな————」
俺は前へ出た。
「田中さん!?」
「ちょっと行ってきます」
「待ってください!」
止められたが、今度は聞かなかった。
あれが魔素なら——俺なら止められるかもしれない。
◆
「田中さん!?」
水野さんが俺に気付いた。
「何で来てるの!」
「いや、あれ消せるかなと思って」
「そういう問題じゃ——!」
ベヒーモスの口から黒い光が放たれた。
水野さんの顔色が変わる。
「あれは魔素⋯⋯あれは魔素⋯⋯。『清掃』!!」
俺は前へ出て、『清掃』を使った。
押し寄せてきた黒い魔素が、俺の目の前から消えていく。
勢いは強い。
レッドドラゴンのブレスを消した時より、遥かに重い感覚があった。
それでも消せる。その確信がある。
前から後ろへ。巨大な奔流そのものを削り取るように『清掃』を広げていく。
そして————黒い光は完全に消えた。
「⋯⋯やっぱり消せた」
「やっぱりじゃないよ!」
水野さんに怒られた。
「今の絶対やばいやつだったからね!?」
「だから消したんですよ」
「そうなんだけど!」
ベヒーモスがこちらを見る。
「田中さん、下がってください!」
神崎さんが走ってきた。
「今の攻撃を止められたことで、完全に狙われています!」
「みたいですね」
ベヒーモスが前脚を踏み込む。
巨体がこちらへ向かってくる。
「⋯⋯このまま戦います」
「田中さん!?」
「多分、アイツをどうにか出来るのは俺だけだと思います」
「⋯⋯⋯⋯悔しいですが、そうかもしれませんね」
神崎さんは苦笑した。
「ただし、無茶はしないでください。硬さは見た通りです。ベビーモスとは比較になりません」
「分かりました」
神崎さんの忠告を背に、ベヒーモスに歩いていく。
遠くで水野さん達の止める声が聞こえるが、今は聞こえないふりをする。
ベビーモスで三発。
だったら、その成体には俺の拳がどこまで通じるのか。
ベヒーモスが突進してくる。
八十メートルの巨体が動く光景は、それだけで現実味がなかった。まるで怪獣映画だ。
「田中さん、右です!」
神崎さんの声に従って動く。
真正面には立たない。
相手の進行方向から外れながら、前脚へ近付く。
ベヒーモスが俺を踏み潰そうとする。
だが、その動きは大きくて遅い。ブラッドパンサーよりずっと動きは遅く、オーガ・アサシンのような小細工もない。
だから、避けること自体は難しくなかった。範囲の大きな踏み潰し攻撃も、俺の身体能力なら1秒足らずで攻撃から抜け出せる。
巨大な脚が横を通過したタイミングで、俺は踏み込んだ。
ベビーモスを倒した時と同じように、足から腰へ力を繋げる。
そして脚の鱗へ拳を叩き込んだ。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
凄まじい衝撃が腕へ返ってきた。
「痛っ!」
思わず声が出る。
俺はすぐに距離を取った。
「田中さん!」
「大丈夫です!」
拳を見ると、皮膚から少し血が出ていた。硬すぎたのだ。
ベヒーモスを見る。
殴った場所には——小さな傷しかついていなかった。
「⋯⋯マジか」
ベビーモスなら一発目で亀裂が入った。
こいつは違う。
俺が殴っても、僅かに鱗が欠けただけ。
「これ、何発殴ればいいんだ?」
「だから言ったでしょう!」
神崎さんに怒られた。
でも、少しは効いてはいる。
それなら、どうすればもっと通るのか。
力を上げる?
——違う。さっきと同じ殴り方では駄目だ。
ベビーモスの時は、三発ともほぼ同じ場所を狙った。
でも今回は、鱗そのものが桁違いに硬い。だったら、もっとちゃんと身体を使うんだ。
俺は自分の拳を握った。
神崎さんに教えてもらったことを思い出す。
俺は探索者の動きを一から覚える必要はない。19年間やってきた動きを使えばいい。
重いものを持ち上げる時。
巨大な魔物の死体を動かす時。
床にこびりついた汚れを削る時。
力任せでは長時間続かない。
足を置く位置、腰の使い方、肩の入れ方、道具へ力を伝える角度。
毎日、何度も繰り返してきた。
「⋯⋯もう一回いきます」
「田中さん?」
「今度は、もっとちゃんと殴ります」
神崎さんが一瞬だけ黙った。
それから、少し笑った。
「分かりました。俺が誘導します」
神崎さんが先に走った。
ベヒーモスの視界へ入り、わざと注意を引く。
巨大な前脚が神崎さんを狙うが——当たらない。
神崎さんは『領域』で動きを読みながら、少しずつ俺のいる方向へベヒーモスを誘導してくる。
「田中さん!」
「はい!」
「次、左前脚が来ます!」
ああ。俺も見えている。
ベヒーモスが踏み込んだ。
その瞬間、俺も動く。
脚を避けながら懐へ入り、さっき傷をつけた鱗を見る。
足を置く。腰を落とす。腕だけではなく、身体全体を使う。
————全ての魔素を拳に込めて、拳を叩き込んだ。
さっきとは違う音がした。
ベヒーモスの巨体が僅かに揺れる。
「入った!」
水野さんの声が聞こえた。
俺も手応えがあった。
鱗に亀裂が入っている。
「田中さん、離れて!」
橘さんの声が響き、すぐに後ろへ跳ぶ。
直後、巨大な尾が目の前を通過した。
「ありがとうございます!」
拳はめちゃくちゃ痛い。けど、まだいける。
ベヒーモスが怒り狂ったように吠える。
さっきまで俺なんてほとんど気にしていなかったのに、今は完全にこちらを見ている。
「効いてる⋯⋯!」
嬉しくなった。
怖くないわけじゃない。
でも、それ以上に分かってきた。
どう動けばいいのか、どう殴ればいいのか。
「田中さん!」
神崎さんが叫ぶ。
「同じ場所です!」
「はい!」
ベヒーモスが突っ込んでくる。
今度は神崎さんに言われる前に動いた。
進行方向、脚の位置、身体の向きを見る。
——どこを通れば安全なのか考える。
狭いダンジョンで台車を押し、大きな死体や瓦礫を避けながら仕事をしてきた。あれと同じだ。
相手が80メートル級の化け物になっただけ。
⋯⋯いや、さすがに全然違うな。自分で言ってて笑ってしまった。
でも、やることは似ている。
俺はベヒーモスの前脚を避け、懐へ入った。
先ほど作った亀裂、そこへ拳を叩き込む。
——亀裂が大きく広がった。
ベヒーモスが初めて大きく体勢を崩す。
周囲から声が上がった。
「通ってる!」
「同じ場所を狙え!」
上位探索者たちが一斉に動いた。
俺が作った亀裂へ攻撃が集中する。
神崎さんと水野さんの剣が入る。
他の探索者たちの槍や魔法も続いた。
鱗が少しずつ崩れていく。
「もう一発!」
俺も走った。
ベヒーモスが暴れ、巨大な尾が探索者たちを薙ぎ払おうとする。
黒川さんの瞳が金色に輝いた。
「『固定』!」
やはり止まらない。でも、一瞬だけ鈍った。
「美月!」
「分かってる!」
小宮川さんが念力を重ね、ほんの僅かに軌道がずれる。
「田中さん、今です!」
橘さんの声が届いた。
水野さんが俺の前へ飛び出し、落ちてきた巨大な瓦礫へ触れる。
「『透過』!」
進路を塞いでいた岩が透明になる。
俺はその間を突っ切った。
「ありがとうございます!」
「決めてきて!」
俺が取っ掛りを作り、皆が拡げた亀裂の前へ出る。
拳を握る。
今までで一番、身体の動きを意識した。
体の全部を一つに繋げる。俺の持っている全部の全部を拳に乗せる。
「————うおおおおぉぉぉぉぉ!」
そこに拳を叩き込んだ。
——ベヒーモスの鱗が砕ける。
拳がその奥へ入る。
衝撃がベヒーモスの巨体へ抜けた。
圧倒的に巨大な身体が大きく傾く。
俺はすぐに拳を抜いて離れた。
ベヒーモスが数歩よろめいた。
それでも倒れない。
「まだ立つのか⋯⋯」
さすがS級。
でも、まだいける。まだまだいける。
そう思って構え直した時だった。
ベヒーモスの前脚が——ガクンと折れた。
巨体が傾き、頭が床へ落ちた。
そのまま全身が崩れるように倒れていく。
「田中さん、離れて!」
「うわっ!」
俺は慌てて走った。
背後で凄まじい衝撃が起きる。
床が揺れ、風圧が背中を押した。
何とか転ばずに止まり、振り返る。
ベヒーモスは動かなかった。
しばらく待っても、起き上がらない。
協会職員たちが魔素反応を確認している。
長く感じる数秒が過ぎた。——そして。
『ベヒーモス、生命反応消失』
無線からそんな声が聞こえた。
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