32話 清掃おじさん、異常事態に飛び込む
博多第三ダンジョンの20階に到着した時点で、空気が明らかにおかしかった。
「⋯⋯濃いですね」
俺の隣を歩いていた協会職員が、携帯型の魔素計を確認する。
「既に警報閾値の11倍です。ここまで上がっているとは⋯⋯」
20階はまだ異常発生地点の一つ上だ。
それなのに、俺でも何となく空気が重いような感覚がある。
レッドドラゴンが現れた時も、春日第二ダンジョンが崩落した時も、異常な魔素が検出されていた。
そして今回も同じ。
偶然にしては出来すぎている。
「第一班、21階へ到着しました」
無線から声が聞こえた。
先行しているのは神崎さんを含むA級探索者たちだ。
『21階、現在モンスターとの接触なし。かなり静かです』
「了解。予定通り第二班も進入させます」
職員が俺たちへ合図を出した。
俺はヘルメットを被り直す。
今日の俺の役目は戦闘ではない。
上位探索者たちがモンスターを排除した後、異常な魔素が発生している22階へ向かい、『清掃』が使えるかを確認する。
だから当然、俺は後ろだ。
周囲には護衛の探索者もいる。
これなら俺が戦う必要はないだろう。
階段を下り、21階へ入った。
「⋯⋯何ですか、これ」
思わず口から出た。
通路の至るところに痕跡が残っている。
壁には巨大な爪痕。
床には粘つく糸のようなものが張り付き、一部は強い酸でも浴びたように溶けていた。
さらに奥には、俺の身長より大きな足跡まで残っている。
昨日まで普通に探索者が利用していたダンジョンとは思えない。
「田中さん」
前方から神崎さんが戻ってきた。
「ここから先は、俺たちが先行します。田中さんたちは少し距離を取ってください」
「分かりました」
「あと」
神崎さんが俺の作業着を見る。
「何かあったら、すぐ逃げてください」
「そのつもりですよ」
「⋯⋯本当ですか?」
「何で疑うんですか」
「田中さん、前にもそれ言って人を助けに行ってるので」
何も言い返せなかった。
神崎さんは小さく笑うと、再び前方へ戻っていった。
少しして、第一班が移動を開始する。
俺たちも十分な距離を空けて後を追った。
そして数分後。
先頭が広い空間へ出た瞬間、無線から怒鳴り声が響いた。
『前方、多数!』
直後、戦闘が始まった。
◆
最初に現れたのはゴブリンだった。
——ただし、数がおかしい。
広い空間を埋め尽くすように、数百体のゴブリンが押し寄せてくる。
その後ろには、さらに大きな影がいくつも見えた。
————オーガ。
それも、一体や二体ではない。数十⋯⋯いや、もはや100に近い数が見える。
「第二班、停止!戦闘区域へ入らないでください!」
協会職員の指示で俺たちは足を止めた。
そこから先は、探索者たちの仕事だった。
「前衛、展開!」
誰かの号令と同時に、10人以上の探索者が前へ出る。
ゴブリンの群れが一斉に襲いかかった。
俺は少し身構えた。いくらF級とはいえ、数百体規模。⋯⋯しかし。
「うわ⋯⋯」
俺が想像していたような戦いにはならなかった。
前衛の一人が巨大な盾を地面へ叩きつけた瞬間、衝撃波のようなものが広がり、先頭にいたゴブリンがまとめて吹き飛ぶ。
その直後、後方から炎が飛んだ。
広範囲を焼き払う魔法が群れの中央へ着弾し、数十体が一気に消える。
左右から別の探索者たちが回り込み、残ったゴブリンを次々に倒していく。
数百体いたはずの群れが、ものの数分で崩れ始めた。
「凄いな⋯⋯」
思わず呟いた。
「そりゃそうですよ」
隣にいた協会職員が答える。
「今日集められているのは、福岡でも上位の探索者ばかりですから」
「でも、あの数ですよ?」
「F級が何百体いても、A級やB級の探索者にとっては脅威になりません」
なるほど。
俺は今まで、上位探索者同士の大規模な戦闘をほとんど見たことがない。
水野さんたちの配信は見たが、それとも規模が違う。
これが本職か⋯⋯。真似できそうに無いな。
そんなことを考えている間にも、ゴブリンの群れは急速に数を減らしていた。
しかし、後ろにいたオーガたちが動き始めると空気が変わる。
「オーガ来ます!」
百体近い巨人が、一斉に走り出した。
一体一体がB級上位。——さすがにゴブリンとは違う。
先頭のオーガが巨大な棍棒を振り下ろし、盾を構えていた探索者近くの地面を砕いた。
「うわっ!」
吹き飛ばされた探索者を、別の探索者が空中で受け止める。
その横を二体目のオーガが突破した。
だが、すぐにA級探索者が割って入る。
拳と棍棒がぶつかり、今度はオーガの方が後ろへ吹き飛んだ。
「⋯⋯やっぱり凄いな」
B級上位のオーガを正面から殴り飛ばしている。
俺が以前倒した時は、正直あまり強さが分かっていなかった。
こうして普通の探索者が戦っているところを見ると、自分がどれだけ無茶なことをしていたのか少し分かる。
『上空!』
無線から声が響いた。
俺も反射的に上を見る。
黒い影が、天井近くを高速で横切った。
一体ではない。あれは——。
「ナイトワイバーン!」
漆黒のワイバーン。さらにその周囲を、一回り小さな黒いワイバーンが飛んでいる。
十体、二十体どころではない。広い空間の上部を、百体近い黒い影が旋回していた。
「多すぎるだろ⋯⋯」
次の瞬間、先頭のナイトワイバーンが大きく口を開いた。
「ブレス来ます!」
複数のワイバーンが一斉に火炎を吐き出した。
前衛の探索者たちが散開する。
地面へ着弾した炎が広がり、戦場が一気に分断された。
そこへオーガが突っ込む。
ゴブリンとは違う。こいつらは明らかに連携している。
「飛行部隊を先に落とせ!」
「無理に追うな!ナイトワイバーンがレッサーを誘導してる!」
「前衛、オーガを止めろ!」
怒号が飛び交う。
それでも探索者たちは崩れない。
福岡中から集められた上位探索者たちが、それぞれの役割を理解して動いている。
俺には真似できない。
強いとか弱い以前に、経験が違う。
その中でも、明らかに動きがおかしい人が一人いた。
————神崎さんだ。
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