28話 清掃おじさん、ラーメンを啜る
水野さんが選んだラーメン屋は、昼時ということもあってそれなりに混んでいた。
有名人なのに大丈夫なのかと聞いたところ、帽子と伊達眼鏡があれば意外と気付かれないらしい。確かにテレビで見る水野夏希と、目の前でラーメンを食べている女性が同一人物だとは、知らなければ案外分からないのかもしれない。
俺?俺は私服姿なら99%バレない。あの作業着とセットで有名な清掃おじさんだからだ。俺の風貌は普通のおじさんそのものだからな。
少し並んでラーメン屋に入る。
入口で食券を購入し店員に渡した。一応男なので、ラーメンではあるが奢らせてもらった。⋯⋯あの水野夏希に何かを奢るというのもどうかと思うが。
「どう?美味しい?」
そうこうして届いたラーメンを啜ると、すかさず水野さんが聞いてきた。
「美味しいですね。思ってたよりあっさりしてて好きです」
「でしょ?ここにして正解だった!」
「水野さんも初めてなんですよね?」
「そうだけど、私が見つけたんだから半分くらい私の手柄でしょ」
「それなら残り半分はSNSの手柄ですね」
「細かいなぁ」
水野さんが笑う。
俺も笑いながらラーメンを食べた。
向かいに座っていると、改めて綺麗な人だと思う。
大きな少し垂れ気味の目に、整った鼻。健康的に焼けた肌もよく似合っている。
普段は元気に動き回っている印象が強いので忘れそうになるが、黙っていれば普通にかなりの美人だ。
「田中さん、何見てるの?」
見ていたのがバレた。
「水野さんですよ」
「えっ?」
「改めて綺麗な人だなと思って」
水野さんの動きが止まった。⋯⋯ヤバい、もしかしてセクハラか?ウチは男社会であんまりセクハラ周りの知識はついてないんだが⋯⋯。
「⋯⋯田中さんって、そういうこと普通に言うよね」
「⋯⋯すみません。もしかして、セクハラになりますか?」
「いや別に、それは良いんだけど。⋯⋯普通はもうちょっと誤魔化すじゃん」
「別に嘘をつく必要もないでしょう」
「そうだけど⋯⋯」
水野さんが少し気まずそうにラーメンへ視線を戻した。
耳が若干赤くなっている。
また余計なことを言ったかもしれない。
美月さんの時も似たような反応をされたが、こういう綺麗な人たちは普段から容姿を褒められ慣れているものだと思っていた。
俺くらいの年齢のおじさんから真正面に言われると、逆に反応に困るのだろうか。⋯⋯いや、普通にキモいか。多分セクハラで訴えられればしっかり負けるくらいキモいか⋯⋯。
「⋯⋯田中さん」
「はい?」
「今、絶対変なこと考えてるでしょ」
「考えてませんよ」
「顔に出てる」
「そんなに分かりやすいですかね」
「結構分かりやすいよ」
それは今後気をつけた方がいいかもしれない。
とりあえず、水野さんの言葉を信じ、セクハラで訴えられないことを祈りながらラーメンの残りを食べた。
⋯⋯訴えられた時のことを考えると、あまり味がしなかった。
◆
店を出ても、まだ午後一時前だった。
「この後どうします?」
「田中さん、もう帰りたい?」
「いや、特には。今日は買い物くらいしか予定ないので」
「じゃあ、もうちょっと遊ぼうよ」
「俺はいいですけど、水野さんは今日休みなんですか?」
「夕方から雑誌の撮影があるけど、それまでは暇だよ」
休日だと聞いていたので、一日何もないのかと思っていた。
探索者としてダンジョンへ潜り、配信をして、VIVIDとして活動する。それだけでも忙しそうなのに、雑誌やテレビの仕事まで入っている。
「水野さんって、完全に何もない日は少ないんですか?」
「最近は結構少ないかも。探索もあるし、配信もあるし、撮影とかイベントもあるから」
「それは大変ですね」
そう返すと、水野さんは良く分からない表情になる。⋯⋯なんだ?
「⋯⋯田中さんって、それだけなんだね」
「何がです?」
「こういう話すると、もっと休んだ方がいいとか、働きすぎじゃないとか言われること多いから」
なるほどそういう事か。
まぁ、説教じゃないがアレコレ言いたくなる人も居るんだろう。分からないでもないが——。
「俺、水野さんの仕事量を全部知ってるわけじゃないですからね。本人が大丈夫だと思ってるなら、俺が口を出すことでもないでしょう」
もちろん、明らかに身体を壊すほど働いているなら話は別だ。
ただ、知り合って間もない俺が仕事を減らせと言ったところで、それこそ余計なお世話だと思う。
「田中さんって、そういう感じだよね」
「どういう感じです?」
「何か、あんまり特別扱いしない」
「特別扱い?」
「私のこと」
言われて少し考えた。
「A級探索者としては凄いと思ってますよ」
「そうじゃなくて。有名人だからって変に気を使ったりしないじゃん」
「最初は気を使ってましたよ」
「今は?」
「最近は慣れました」
「慣れたんだ」
「家に四人で押しかけてくるくらいですからね」
「あはは!あれは楽しかったなー!」
「俺も楽しかったですよ」
素直にそう答えると、水野さんが少し嬉しそうに笑った。
「そうだ、暇なら今から海行かない?」
「海ですか?」
「外は暑いから車から見るだけでもいいし」
「それならいいですね」
「決まり!」
水野さんは嬉しそうに車へ向かった。
◆
海沿いの道路へ出ると、助手席の窓から青い海が見えるようになった。
交通量も少なく、車内には水野さんが流している音楽——恐らく流行りのJ-POP——が小さく聞こえている。
「わー!綺麗だねー!」
「綺麗ですね。天気もいいですし」
「来てよかったでしょ?」
「俺は助手席に座ってるだけですけどね」
「もっと感謝してよ。水野夏希の運転でドライブできるなんて貴重だよ?私のファンなら垂涎ものなんだから」
「ありがとうございます」
「全然気持ちこもってない!」
そんな他愛のない話をしながら海沿いを走っていたが、しばらくすると自然に会話が途切れた。
気まずいとは思わなかった。
窓の外を眺めながら音楽を聞いているだけでも居心地がいい。
無理に何か話さなければならない相手というのは疲れるが、水野さんとは意外とそうならなかった。
「田中さん、この前玲奈さんと二人で煙草吸いに行った時、何話してたの?」
しばらくして、水野さんが思い出したように尋ねてきた。
「まだ気にしてたんですか?」
「だって玲奈さん、戻ってきた時に何か意味深だったし。私の話してたでしょ?」
「少ししましたよ」
「やっぱり!何話したの?」
「それは言いません。黒川さんが秘密にしてるみたいなので」
「えー、気になる!」
「本人に聞いてください」
「玲奈さんに聞いても教えてくれないもん」
水野さんは不満そうだったが、俺が答えるつもりがないと分かると諦めたらしい。
しばらくして、今度は自分の話を始めた。
「私、20で探索者になったんだよね。そしたら21でB級になって、22でA級。最年少記録だったから、その頃から一気に取材とか増えたんだ」
「22歳でA級は改めて考えても凄いですよね。その頃の俺、ちょうどF級から上がらなくて挫折した辺りですよ」
本当に凄い。
俺は4年制大学を卒業後、仕事の傍らで探索者をしてきた。しかし、水野さんは専門学校卒業後にすぐ探索者となり、探索者一本で生計を立て、わずか2年ほどでA級になった天才中の天才だ。
「最初はめちゃくちゃ嬉しかったよ。私、目立つの好きだし」
「それは何となく分かります」
「ちょっと、そこは否定してよ!」
水野さんが笑う。
ただ、その笑顔は少しすると落ち着いた。
「でも、ずっとやってると『水野夏希ならこれくらいできて当たり前』みたいになってくるんだよね。A級のモンスターを倒しても普通だし、配信が伸びても普通。逆に何か失敗すると『水野夏希なのに』って言われるし」
「それは面倒ですね」
「でしょ?別に嫌いじゃないんだけど、たまに疲れる時はあるかな」
俺には、水野さんがどれだけ大変なのかは分からない。
最年少でA級になったこともなければ、何百万人もの人間から注目された経験もない。
適当な励ましを言うのも違う気がした。
「でも、水野さんって探索してる時は楽しそうですよね」
「え?」
「この前、配信をいくつか見たんですよ。モンスターを見つけた時とか、戦ってる時とか、凄く楽しそうでした」
「私の配信見てくれたんだ?」
「知り合いが出てたら気になるでしょう」
「そっか」
「周りから何を期待されてるのかは俺には分かりませんけど、水野さん自身は探索者やってるのが好きなんだろうなと思って」
水野さんは少しの間、何も言わなかった。
余計なことを言ったかと思った頃、前を向いたまま小さく笑った。
「うん。楽しいよ」
「なら良かったです」
「田中さんも清掃の仕事好きだもんね」
「好きですね。19年続けてますから」
「19年かぁ。私が5歳の頃からやってるんだ」
「そういう計算をされると急に年齢差を感じるのでやめてもらえません?」
「あはは!ごめんごめん!」
笑いながら謝る水野さんを見ていると、深刻に悩んでいるわけではなさそうだった。
本人が楽しいなら、それでいい。
仕事なんて、楽しいことばかりではない。
俺だって清掃の仕事で嫌なことは山ほど経験したし、危険な目にも遭った。それでも19年続けてこられたのは、結局この仕事が嫌いではなかったからだ。
水野さんも似たようなものなのかもしれない。
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