26話 清掃おじさん、猫を倒す
俺の動き。つまり、俺の身体に染み付いた動作。
それは——狭い通路で動く時。重量物を運ぶ時。血で滑る床を歩く時。瓦礫を持ち上げる時。進行方向にいる作業員などにぶつからないように動く時。邪魔にならないように危険なものを避ける時。
そんな時々の動作。——つまり、それは。
ブラッドパンサーが走る。
また目に魔素を込めて見る。そして、見る対象を狭い範囲から広い範囲へ。——爪じゃない。牙でもない。もっともっと広く。——身体全体、その周りのダンジョン全体。その全てを見る。
「あ」
——分かった。
一歩横へ動くと、ブラッドパンサーが俺の横を通り過ぎる。
「⋯⋯」
避けた。これは、さっきまでとは違う。
ブラッドパンサーは俺の横を通り過ぎると、そのまま壁を蹴り、反動を利用して再び飛びかかってきた。
けれど、今度は慌てなかった。進んでくる方向に合わせて半歩だけ身体をずらすと、鋭い爪が俺のすぐ横を通り過ぎていく。
「おお⋯⋯」
続けて右から迫ってきた攻撃も避ける。すぐさま左へ回り込まれたが、それにも身体が自然と反応した。
さっきまで拳を当てることすらできなかった相手なのに、急に動きが分かるようになっている。
「⋯⋯見えてる?」
いや、違う。
ブラッドパンサーの動きが遅くなったわけでもなければ、俺の目が急によくなったわけでもない。
単純に、こういう状況に慣れているのだ。
清掃現場では、常に周囲を見ながら作業をする。狭い通路を他の作業員が行き来し、台車や大きな荷物が運ばれてくることもあれば、足元に瓦礫が転がっていることもある。時には上から何かが落ちてくることだってある。
そんな場所で誰かとぶつかったり、作業の邪魔をしたり、ましてや事故を起こしたりしないように、俺は19年間、周囲の動きを見ながら仕事を続けてきた。
「⋯⋯なるほど」
神崎さんが言っていた意味が、ようやく少し分かった気がした。
ブラッドパンサーが少し離れた場所で姿勢を低くする。次の瞬間には再び飛び出してきたが、今度の俺は避けるだけではなく、相手の進行方向を意識しながら右へ一歩動いた。
ブラッドパンサーが俺を追って進路を変える。
それに合わせて俺も位置を変え、少しずつ壁際へ誘導していく。
広い場所では縦横無尽に動き回っていたブラッドパンサーも、壁際まで来れば使える方向は限られる。俺が逃げ道を塞ぐように立つと、ブラッドパンサーは壁を蹴り、こちらへ向かって大きく跳躍した。
ここだ——。
飛びかかってくる身体に合わせて半歩だけ横へずれる。ブラッドパンサーの巨体が目の前を通り過ぎようとした瞬間、その無防備な脇腹へ拳を叩き込んだ。
凄まじい勢いで吹き飛ばされたブラッドパンサーが壁へ激突し、周囲の岩を砕きながら深々とめり込む。
しばらく待ってみたが、ブラッドパンサーが再び動き出す気配はなかった。
「⋯⋯倒した?」
思わず自分の拳を見る。
レッドドラゴンを倒した時とは、まるで感覚が違った。
あの時は向かってきた相手を、ただ力任せに殴っただけだった。
でも今回は違う。
相手の動きを見て、自分で考えて、動きを誘導して、そのうえで拳を当てた。
初めて自分の力で、ちゃんとモンスターと戦えた気がした。
「倒してますよ」
神崎さんの声が聞こえて振り返る。
ちょうど、神崎さんがグレイヴウルフの首から剣を引き抜いたところだった。
「そっちも終わったんですか」
「はい」
「早いですね」
「田中さんに言われたくないですよ」
神崎さんが剣を収める。
「どうでした?」
「どうって⋯⋯」
自分の手を見る。
「何か」
不思議な感覚だった。
レッドドラゴンを倒した時とは違う。
あの時は、ただ殴ったらたまたま拳が当たって、レッドドラゴンが倒れた。
でも今回は——。
「なんか、ちゃんと戦った気がします」
「でしょうね」
「俺でも、できるんですね」
「できますよ」
神崎さんが当たり前のように言った。
「田中さん」
「はい?」
「最後の動き、俺が教えたと思います?」
「違うんですか?」
「俺はあんな避け方しません」
「⋯⋯」
「あなたが19年間で身につけた動きです」
ブラッドパンサーを見る。ダンジョンの壁にめちゃくちゃにめり込んでいる。
「でも、ただ避けて殴っただけですよ」
「戦闘なんて、突き詰めればそんなものです」
「そういうもんです?」
「全ての攻撃を避けて、必殺の攻撃を当てる」
神崎さんが笑う。
「それ即ち最強です」
「⋯⋯なるほど」
魔素量が高いだけじゃない。『清掃』が異常だからでもない。19年間、毎日仕事をしてきた俺自身の動きが——ちゃんと戦いでも通用した。
それがなんとも言えないくらい嬉しかった。
「神崎さん」
「はい」
「もう1体くらいいません?」
「⋯⋯楽しくなってません?」
「へへ、ちょっと」
「探索者に戻ります?」
「それは別です」
「即答ですね」
「今の仕事、好きなんで」
「そうですか」
神崎さんが笑う。
「じゃあ、もう少しだけ潜りますか」
「はい!」
返事が少し大きくなった。
若い頃、俺は強くなれないことに挫折し、探索者を辞めた。
自分には才能がない。ここは自分がいる場所じゃない。そう思っていた。
それから20年近い月日が経ち、まさか41歳になって、もう一度ダンジョンを歩くことが楽しいと思う日が来るとは⋯⋯。
人生、何があるか分からないな。
◆
帰り道。
「神崎さん」
「はい」
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ」
「また行きましょう!」
「⋯⋯」
神崎さんが少し黙った。
「何です?」
「いや」
神崎修司は、基本的に一人でダンジョンへ潜る。
スキル『領域』は、一人の方が戦いやすい。領域内に人が多いと判断する際にノイズになりかねない。
それも理由の一つだった。
だが、それだけではない。
神崎はそもそも一人が好きなのだ。
他人に合わせる必要がない。自分の速度で進める。
自分で考え、自分で戦い、自分で帰る。それが一番楽だった。
だから——『孤高の王』なんて、いつしか付けられたその二つ名を、本人も否定はしていなかった。⋯⋯ダサいから嫌いではあったが。
しかし。
「⋯⋯また行きますか」
「はい」
「今度はもう少し深いところに行きましょう」
「いいですね」
「A級が普通にゴロゴロ出ますけど」
「神崎さんいるでしょう?」
「ヤバい時は田中さんを頼りにするかもしれませんよ」
「そうなったら俺の魔素めいっぱい使って、神崎さん抱えてガンダで逃げますよ」
「ガンダって。めちゃくちゃ久しぶりに聞きましたよ!」
「あはは!」
二人で笑う。
神崎は思う。
誰かとダンジョンへ潜って、こんなに気楽だったのは随分と久しぶりだった。
「田中さん」
「はい?」
「次は弁当持ってきます?」
「いいですね。俺作りますよ」
「料理するんですか?」
「一人暮らし長いんで」
「じゃあお願いします」
「何が好きです?」
「うーん。唐揚げですかね」
「意外と子供っぽいですね」
「いいでしょう、唐揚げ」
「いいですけど」
孤高の王——ソロ・キング。
ソロ討伐日本記録保持者。他人と群れることを好まない男に。
41歳になって世界最強になった清掃員という、少し変わったダンジョン仲間ができた。
(作者感想)
現状、全キャラクターで田中の好感度が一番高いのが3歳下のおっさんってどういう事⋯⋯。
***
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