106話 清掃おじさん、半年が経過する
四月。
伊勢ダンジョンでの一件から、半年が経った。
あの日、サクヤさんが向こうの世界へ戻り、俺が二つの世界を繋いでいた歪みを『清掃』してから、俺の日常はすぐに元通り——とはならなかった。
まず、三浦さんの葬儀があった。
奥さんと子供を前にすると、何を言えばいいのか最後まで分からなかった。
俺は三浦さんとそれほど長い付き合いがあったわけではない。
それでも、少し前まで同じダンジョンにいて、言葉を交わしていた人が棺の中にいるという事実は重かった。
水野さん達や空さん達も参列していた。坂口さんをはじめ、三浦さんと同じパーティーだった人達も当然いた。
誰も、あの日のことを忘れてはいない。
その後は探索者協会への報告が待っていた。
北海道から沖縄まで発生していた異常魔素のこと、伊勢ダンジョンに現れたエルダー・ドラゴニュートのこと、平行世界のこと、そしてサクヤさんから聞いたダンジョンの成り立ちまで、俺達が知ったことはほとんど全て報告した。
当然、それだけで終わるはずもない。
探索者協会だけでは扱えない話になり、政府関係者まで出てきた。何度説明しても信じられないような話ばかりなので、同じことを何度も聞かれたし、伊勢へ呼ばれることもあった。
さらに面倒だったのが、俺のことだった。
全国八ヶ所で発生した異常魔素を消し、最後には伊勢の異常まで止めた人間。
情報が広まるにつれて、いつの間にか俺は『日本を救った英雄』と呼ばれるようになり、海外でも異常魔素が続いていたせいか、中には『世界を救った男』なんて呼ぶ人まで出てきた。
勘弁してほしい。
俺一人でやったわけじゃないし、そもそも俺は頼まれた場所を掃除していただけだ。
何度そう説明しても、誰も聞いてくれなかった。
おかげで41歳にして人生で初めて取材というものを何度も受けたし、会社にも知らない人から電話が掛かってくるようになった。
社長には笑われ、山下には散々弄られ、高橋には何故か尊敬の眼差しを向けられた。
佐々木だけは普段通りだったので、あの時ほど佐々木がありがたいと思ったことはない。
それでも半年も経てば、騒ぎは少しずつ落ち着いてくる。
その間にも色々なことがあった。
海外から日本へ来た探索者と会う機会も増えた。
中でも印象に残っているのは、中国のS級探索者、李岳峰さんだ。
中国でも最強格と言われている人で、何より俺にとって重要だったのは、『震界勁』を使えることだった。
俺が見様見真似で使っているものとは当然ながら完成度がまるで違い、初めて見せてもらった時は同じ技なのか疑ったくらいだった。
せっかくなので教えてもらったのだが、俺の『震界勁』を見た李さんからは、よくこれで今まで身体を壊さなかったなと呆れられた。
俺としてはちゃんと使えているつもりだったんだけどなぁ⋯⋯。
他にも、一緒にダンジョンへ潜ったり、何度か直接指導してもらったりしたので、以前よりは多少マシになったと思う。
そして、まさか会うことになるとは思っていなかった人とも会った。
ダンテ・ヴァレンティーニ。
世界で唯一のSS級探索者にして、世界最強と呼ばれている男だ。
異常魔素の一件をきっかけに日本へ来た際に知り合い、その後も何度か顔を合わせた。
当然、戦ってみた。もちろん向こうから誘われて、だ。
⋯⋯あれはもうやりたくない。
俺は自分の身体能力が相当おかしいことを自覚しているし、エルダー・ドラゴニュートを倒してからは、多少なりとも戦うことに自信がついていた。
その自信を綺麗にへし折られた。
今まで戦った人間の中では間違いなく一番強かった。
純粋な戦闘技術では比較するのも失礼なくらい差があり、俺が力任せにどうにかしていた部分を、これでもかというほど思い知らされた。
そのおかげで李さんにも真面目に教わる気になったので、悪い経験ではなかったと思う。
そんな半年を過ごしても、俺は相変わらず清掃員を続けている。
「主任、そっち終わりましたー?」
「もう少し。高橋、先に通路側確認してくれ」
「了解です!」
四月の暖かい日だった。
今日の現場は博多第一ダンジョン。午前中から入っていた俺達は、いつも通り四人で清掃作業をしている。
世界を救っただの何だの言われても、仕事まで変えるつもりはない。
モンスターの血を落として、残留魔素を消して、探索者が安全に通れるようにする。
結局、これをやっている時が一番落ち着く。
「主任、ニュース見ましたか?」
少し離れた場所で作業していた山下が声を掛けてきた。
「何の?」
「世界最後の異常魔素が、遂に止まったらしいですよ」
手が止まった。
「⋯⋯本当に?」
「今朝、探協から正式に発表されたらしいですよ」
スマホを取り出して確認する。
ニュースの通知がいくつも届いていた。
半年間、世界各地で確認されていた異常魔素は少しずつ減っていた。
日本では伊勢を最後に新たな異常は確認されていない。他の国ではその後もしばらく続いていたものの、数ヶ月前から一つ、また一つと消えていった。
そして今日、最後まで残っていた異常魔素の停止が確認された。
これで、世界中から異常魔素が消えたことになる。
「⋯⋯約束、守ってくれたんだな」
サクヤさんの顔を思い出す。
半年⋯⋯。
俺達からすれば長かったが、世界中の国を説得して、百年以上続けてきた仕組みを止めるとなれば、それでも相当無茶をしたはずだ。
向こうの世界がどうなっているのかは分からない。
俺達の世界へ送っていた魔素を止めた以上、その分は向こうに残る。
サクヤさん達にとって、この半年は俺達よりずっと厳しいものだったのかもしれない。
それでも約束は守った。
なら、次はこちらが話を聞く番だ。
そう思った。
その日の仕事を終え、会社へ戻って報告を済ませた頃には、外はすっかり夕方になっていた。
駐車場へ出ると、春の風が気持ちいい。
半年前はまだ暑かった。
季節が一つどころか二つ変わってしまったと思いながら、自分の車へ向かう。
今日は帰ったら何を食べよう。
冷蔵庫に何か残っていただろうかと考えながら鍵を取り出したところで、目の前の空間が僅かに揺れた。
「⋯⋯え?」
反射的に足が止まる。
半年ぶりに見る感覚だった。
ただし、伊勢ダンジョンに現れた巨大な歪みとは違う。人一人が通れる程度の小さな揺らぎが一瞬だけ生まれ、そこから白と赤の衣装をまとった女性が姿を現した。
長い黒髪が春風に揺れる。
女性は俺を見つけると、安心したように微笑んだ。
「田中様。お久しぶりでございます」
「⋯⋯サクヤさん!?」
「はい」
本当に戻ってきた。
半年ぶりだというのに、サクヤさんはほとんど変わっていない。
「ちょ、ちょっと待ってください。ここ会社の駐車場ですよ!?なんで直接ここに!?」
「田中様の魔素を目印にいたしましたので」
「そ、そんなこと出来るんですか⋯⋯」
相変わらず向こうの魔法はよく分からない。
周囲を確認する。
幸い、近くに人はいなかった。
「それで⋯⋯戻ってきたってことは」
「はい」
サクヤさんの表情が引き締まる。
「我が世界の各国との協議が整いました。皆様の世界への魔素の送出も、全て停止しております」
「今日、ニュースで見ました」
「お待たせしてしまい、申し訳ございません」
「いや、半年で世界中まとめたなら十分早いと思いますけど⋯⋯」
俺には町内会の話し合いだって半年でまとまる自信がない。
ましてや相手は世界各国だ。
「それで、今回は?」
「以前お約束した通り、皆様の世界と正式にお話をさせていただくために参りました」
やっぱりそうなるか⋯⋯。
俺は少し考えてからスマホを取り出した。
こういう時、どこに連絡すればいいんだろう。
政府?探索者協会?国連?
考えてみたが、俺が直接国連に電話出来るはずもない。
「⋯⋯とりあえず、探索者協会ですね」
「そちらへ伺えばよろしいのですか?」
「多分。一旦、福岡の探索者協会に行きましょう。そこから上に連絡してもらった方が早いと思います」
「承知いたしました」
サクヤさんが素直に頷いた。
俺は車の鍵を開け、助手席のドアを指差す。
「じゃあ、乗ってください」
「こちらにですか?」
「はい。車です」
サクヤさんが興味深そうに車を見る。
そういえば向こうの世界にも車らしきものは残っているんだろうか。
今度聞いてみよう。
そんなことを考えながら運転席に乗り込み、エンジンをかける。
助手席には、崩壊した平行世界の日本からやってきたお姫様。
運転席には、41歳のダンジョン清掃員。
これから向かう先では、おそらく二つの世界を巻き込んだ話し合いが始まる。
半年前までの俺なら、絶対に信じなかっただろう。
「田中様」
「はい?」
「改めまして、よろしくお願いいたします」
「⋯⋯こちらこそ」
俺は車を発進させた。
どうやら俺の仕事は、これからが本番のようだ。
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