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105話 清掃おじさん、永久機関になる

「ちょっと白峰さんに相談したいことがあるんですけど⋯⋯」


 そう言いながらサクヤさんを見る。

 

 今から話すことを先に聞かれると困る。

 白峰さんも俺の視線で察してくれたらしく、サクヤさんから少し離れた場所まで一緒に移動してくれた。


「それで、どうしました?」


 声を落として聞かれ、俺もなるべく小さな声で話す。


「サクヤさんの話って、結局あっちの世界は魔素が多すぎて困ってるんですよね。それで俺達の世界にまで送ってきた」

「そうですね」

「で、向こうが一番欲しいのは、俺の『清掃』で魔素を消すことですよね」

「そのようです」


 俺は目の前の歪みを見る。


 向こう側からは今も大量の魔素が流れ込み続けている。俺達が立っている場所まで届いている以上、当然その途中にも魔素はある。


「だったら今、少しだけ向こうの魔素を消せませんかね」


 白峰さんが黙った。


 俺は続ける。


「今すぐ少し魔素を消して恩を売って、冷静になってから交渉するとかはどうでしょうか」

「なんですか、その滅茶苦茶な話⋯⋯」

「でも、出来そうじゃないですか?」


 俺の言葉に、白峰さんが考える。


「田中さんの『清掃』がこの歪み越しでも作用するなら、理屈としては可能でしょう。ただ、向こうは僕の魔法が維持出来なくなるほど魔素が濃い世界です。どこまで届くかは分かりませんよ」

「そうですよね。俺の魔素もどこまで保つか分からないです。なので——」


 俺は考えた作戦を白峰さんに話した。白峰さんは苦笑を返す。

 

「⋯⋯本当に時々、とんでもないことを考えますね」

「やっぱ無理そうですかね?」

「いえ」


 白峰さんはもう一度歪みを見た。


「やる価値はあります。少なくとも、言葉だけで交渉するより説得力はあるでしょう」


 話が決まった。

 俺達が戻ると、サクヤさんが不思議そうにこちらを見る。


「何をお話しになっていたのですか?」

「ちょっと確認してました。サクヤさん、少しだけ待っててもらえますか?」

「はい」


 俺は歪みの前まで歩いていく。


 近づくだけで、肌にまとわりつく魔素の密度が一気に上がった。こちら側ですらこの濃さなのだから、向こうがどれほど酷いのかは想像もつかない。


 右手を伸ばす。


「田中さん?」


 水野さんの声が聞こえたが、今回は危ないことをするつもりはない。


 歪みを消すのではなく、その向こう側にある魔素だけを狙う。


 手首まで歪みの中へ入れた瞬間、感覚が変わった。

 以前、空間そのものを『清掃』した時とも違う。右手の先に、とんでもない量の汚れが広がっているような感覚だった。


 終わりが見えない。

 どこまで続いているのかも分からない。


 でも、これならいける。


「⋯⋯『清掃』」


 右手の先で、何かが弾けた。


 音がしたわけではない。それでも、そう感じるほど急激に魔素が消えた。


 直後、歪みの向こう側の景色が大きく揺れる。

 俺を中心に魔素が消滅し、その空白を埋めるように周囲から膨大な魔素が押し寄せてきた。濁流のような流れが次々と俺の右手へ吸い込まれ、触れた端から跡形もなく消えていく。


「なっ⋯⋯!」


 後ろからサクヤさんの声が聞こえた。


 向こうの景色まで変わり始める。

 荒野を覆っていた薄い靄のようなものが俺の手を中心に渦を巻き、空気そのものが引っ張られているように大地の砂や瓦礫が舞い上がった。遠くを飛んでいたモンスター達が異変に気付き、一斉に空から離れていく。


 それでも魔素は尽きない。

 消しても、消しても、その先から流れ込んでくる。


「白峰さん!」

「失敗しても、恨まないでくださいよ!」


 白峰さんが杖を伸ばした。


 周囲の魔素の流れが変わり、大気中に漂っていただけの魔素が、俺の左(・)手へ集まり始める。


 これが俺の考えた作戦、右手クリーナー左手フィルター作戦だ。

 まず右手を歪みの向こうへ突っ込み、サクヤさん世界の魔素を清掃していく。ただし、規格外の魔素を持つ俺でも流石に地球規模の魔素を一気に清掃するのは難しい。

 だから、歪みより手前の左手で別設定の『清掃』スキルを発動する。白峰さんが魔法はイメージと教えてくれたのを参考に、左手の清掃はフィルターをイメージして、大気中の魔素を己の魔素に変換できるようにした。

 ただし、魔素の流れを制御できない俺だけでは上手く行かない。なので、魔素制御のスペシャリストである白峰さんの力を借りて、伊勢ダンジョンに漂う超大量の魔素を俺の左手を通して体内に運んでもらうことにしたのだ。


「行けてます!行けてますよ、白峰さん!」

「良かった!魔素の吸収は任せて、清掃に集中してください!」

「分かりました!」


 結果は大成功。

 左手のフィルター設定『清掃』により、白峰さんが集めた魔素が俺の魔素へ変換されて体内に送り込まれる。その体内魔素を使い、右手でサクヤさん世界の魔素を消滅させまくっていく。


 時間が経つほど規模が大きくなっていく。

 歪みの向こうでは、最初は伊勢周辺だけだった魔素の流れが遠くまで波及し始めていた。俺には見えないほど離れた場所からも魔素が引かれ、それが連鎖するようにさらに遠くの魔素を動かしていく。


 どれくらい消したのか分からない。

 ただ、これまで全国のダンジョンで消してきた量とは、とても比較にならないことだけは分かった。


「田中さん、まだいけますか!」

「大丈夫です!」

「では続けます!」


 白峰さんの魔素操作範囲がさらに広がった。

 伊勢ダンジョン中の魔素を巻き込みながら幾重もの流れを作り、その全てが俺の左手へ集まってくる。

 そして右手の先では、魔素の消滅と共に周囲の魔素が吸い寄せられていった。


 ただ、そろそろキツい。普通、生きていて経験することの無いほどの魔素が体中を駆け巡っているためか、貧血のような酸欠のような、なんともいえない不調が体に出始めていた。

 そんな俺の顔色を察してか、白峰さんが魔素の制御を止める。


「⋯⋯田中さん。そろそろ止めましょう」

「は、はい⋯⋯」


 白峰さんに言われ、俺は『清掃』を止めた。右手を歪みから引き抜く。


「ふぅ⋯⋯」


 さすがに疲れた。少しフラついたが、すかさず白峰さんが肩を掴んでくれる。やだ、キュンとしちゃう。

 

 白峰さんに感謝してから振り返ると、全員が黙っていた。

 サクヤさんに至っては、目を見開いたまま歪みの向こうを見ている。


「⋯⋯き、消えた」


 小さな声だった。


「魔素が⋯⋯本当に⋯⋯」


 俺には向こうの魔素がどれくらい減ったのか分からない。白峰さんも同じだろう。

 それでもサクヤさんには、今起きたことの意味が俺達より分かっているらしい。


「サクヤさん」


 呼びかけると、ゆっくりこちらを向いた。


「まずは話し合いましょう」

「⋯⋯話し合い、ですか?」

「はい。そちらの世界の魔素は少し消すことができたはずです。一度あちらに戻って、私たちの世界へ穴を繋ぐことを止めてください」


 サクヤさんの表情が変わる。

 俺はそのまま続けた。


「俺は、サクヤさん達の世界を見捨てたいわけじゃありません。でも、だからって俺一人で勝手に向こうへ行くのも違うと思います。今回のことはもう、俺個人で決めていい話じゃない」


 俺達の世界だけでも、色んな人が巻き込まれた。

 サクヤさんの話では、同じようなことが世界各国で起きている。


 だったら俺とサクヤさんだけで決めるには大きすぎる。


「まず、そちらの世界から俺達の世界へ無理に魔素を送るのを止めてください。それが一つ目です。そうでないと、こちらは何にも応じる事はありません」

「⋯⋯はい」

「そのうえで、もう一度こちらへ来て、日本政府に相談してください。必要なら国連でもいいと思います」


 俺が国連なんて言葉を口にする日が来るとは思わなかった。


「そちらの世界にもアメリカやイギリスがあるんですよね?」

「ございます」

「だったら、その国の人達も連れてきて構いません。同じ国の人間同士なら、俺達だけで説明するより話を聞いてもらいやすいかもしれませんし」


 実際にどうなるかは分からない。

 平行世界から来ましたと言って簡単に信用してもらえるとも思えないが、目の前には二つの世界を繋ぐ歪みまである。証明する方法はいくらでもあるだろう。


「そして、双方できちんと話し合って、こっちの世界も納得する。向こうで俺が安全に仕事出来る準備もしてもらう。そこまで出来たら——」


 一度言葉を切る。

 水野さん達が俺を見ているのが分かった。


「俺は、そちらの世界で『清掃』します」

「田中さん!」


 水野さんが声を上げたが、俺はそちらを見ずに続ける。


「今すぐ行くとは言ってません。ちゃんと準備して、向こうの世界が俺達にやったことも含めて話をつけて、それで初めてです」


 俺だって死にたくはない。

 エルダー・ドラゴニュート以上の化け物がいる世界へ、清掃道具を持って一人で行くつもりなんてない。


 でも、さっき実際に魔素を消した。

 俺にしか出来ないのなら、条件さえ整えば断る理由もなかった。


「⋯⋯それが、田中様の条件なのですね」

「はい」


 サクヤさんはしばらく黙っていた。

 やがて深く頭を下げる。


「承知いたしました。必ず、私達の世界へ持ち帰ります。各国にも働きかけ、皆様の世界への魔素の送出を停止させます」

「お願いします」

「そして改めて、皆様と正式にお話しする機会をいただきます」


 これでようやく、話が少し前に進んだ。


 サクヤさんが歪みへ向かう。

 その途中で足を止め、こちらを振り返った。


「田中様。最後に一つ、お願いがございます」

「何ですか?」

「この歪みを消していただけますか?」


 俺は巨大な歪みを見る。


「いいんですか?これ消したら、サクヤさん戻って来れないんじゃ」

「問題ございません。一度こちらの世界へ渡ったことで、転移先を捉えることが出来るようになりました。次回はこちらへ直接転移することが可能ですので、この接続を残しておく必要はございません」


 それなら、むしろ残しておく方が危険だ。

 今も向こうから魔素は流れ続けているし、別のモンスターが入り込んでくる可能性もある。


「分かりました。じゃあ、サクヤさんが戻ったら消します」

「お願いいたします」


 サクヤさんはもう一度深く頭を下げた。


「必ず戻って参ります」


 そう言い残し、歪みの中へ入っていく。

 白と赤の衣装が揺らぎの向こうへ消え、荒れ果てた伊勢の景色だけが残った。


 俺は少し待ってから、巨大な歪みへ右手を向ける。


「⋯⋯これで、今回の仕事も終わりですかね」

「田中さんらしいですね」


 白峰さんが笑った。

 俺も少しだけ笑ってから、歪みを見る。


 全国を回って、ようやく辿り着いた異常魔素の原因。


 その最後に残った、二つの世界を繋ぐ穴。

 なら、やることはいつもと同じだ。


「『清掃』」


 巨大な歪みが、端から崩れ始めた。


 空間を覆っていた揺らぎが次々と消え、その向こうに見えていた崩壊世界の景色が削り取られるように狭くなっていく。


 同時に、こちらへ流れ込んでいた魔素が急激に弱まった。

 数十メートルにも及んでいた歪みはみるみる小さくなり、最後には一本の細い線となって消える。


 その瞬間、肌を刺すように満ちていた異常魔素の流入が完全に止まった。


 静かになった最深部で、白峰さんが周囲の魔素を確かめる。


「⋯⋯止まりました」


 神崎さんも頷く。


「地上に連絡しましょう。伊勢ダンジョンの異常魔素、その原因は消滅したと」


 長かった。

 福岡から始まり、北海道まで全国を回って、最後には平行世界まで出てきた。


 随分と大掛かりな仕事になったものだ。


 俺は何もなくなった空間を見ながら、息を吐いた。


 これでようやく終わった。

 ——少なくとも、俺はこの時そう思っていた。

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