103話 清掃おじさん、勇者になる
「⋯⋯あの」
俺は思わず一歩下がった。
「もしかして、俺ですか?」
サクヤさんは答えなかった。ただ、俺を見つめたまま、ゆっくりとこちらへ歩き始める。
やっぱり俺なのか。
全国の異常魔素を『清掃』して回ったのは俺だし、サクヤさんの話を聞く限り、向こうの世界では魔素が消滅するなんて考えられないことらしい。
状況だけ考えれば俺を探しに来た可能性は高い。
ただ、サクヤさんは俺が『清掃』を使ったところを見ていない。
どう説明したものかと考えていると、後ろから誰かが俺達の横を駆け抜けた。
「お前ぇぇぇ!」
「坂口さん!?」
水野さんの声で、俺も誰なのか分かった。
三浦さんと同じパーティーにいたA級探索者、坂口さんだった。
エルダー・ドラゴニュートとの戦闘では別の場所へ飛ばされていたため無事だったが、合流して三浦さんの死を知ってからはほとんど口を開いていなかった。
その坂口さんが剣——三浦さんの肩身の片手剣——を抜き、サクヤさんへ一直線に走っている。
「お前が!お前が三浦を殺したモンスターを送り込んだのかぁぁぁ!」
「坂口さん、待ってください!」
俺が止めるより早く、坂口さんが剣を振り下ろした。
サクヤさんは逃げなかった。
それどころか、迫ってくる剣を見てもほとんど表情を変えず、右手を上げただけだった。
——次の瞬間、振り下ろされた剣が止まった。
「⋯⋯え?」
俺は何が起きたのか分からず、サクヤさんの手を見る。
剣を受け止めていた。
しかも、両手で挟んだわけでも、魔法らしきものを使ったわけでもない。
親指と人差し指の、たった二本の指で剣の腹を摘まんでいた。
「なっ⋯⋯!」
坂口さんが剣を引こうとする。しかし、動かない。
両手で柄を握り、身体ごと後ろへ引いているのに、サクヤさんの指から剣が抜けなかった。
周囲の空気が一気に張り詰める。
「嘘でしょ⋯⋯?」
水野さんが呟いた。
俺も同じ気持ちだった。
坂口さんはA級探索者だ。一般人が相手なら比較にもならない身体能力を持っている。
その剣を、細身の女性が指二本で止めている。
「⋯⋯この女、何者や」
獅子堂さんからも笑みが消えていた。
神崎さんも剣に手を掛け、空さんはサクヤさんを睨んでいる。白峰さんだけはすぐに攻撃へ移らず、何かを確かめるようにサクヤさんを見ていた。
「申し訳ございません」
サクヤさんが静かに言った。
「先ほども申し上げましたが、あのエルダー・ドラゴニュートを意図してこちらへ送り込んだわけではありません」
「ふざけんな!」
坂口さんが叫ぶ。
「お前らがあんな穴を開けなきゃ、三浦は死ななかっただろうが!」
「⋯⋯はい」
サクヤさんは否定しなかった。
「その通りです」
「だったら——!」
「ですから、その責任から逃れるつもりもございません。しかし、今ここで私を殺されるわけにはまいりません」
サクヤさんが指を離す。
突然抵抗がなくなり、坂口さんが勢い余って後ろへよろめいた。
そこへ神崎さんが入り、坂口さんの腕を掴む。
「坂口さん、もうやめてください」
「離せ!こいつらのせいで三浦は!」
「分かっています」
神崎さんは坂口さんの腕を押さえたまま、静かに続ける。
「だからこそ、今は話を聞きましょう。ここで彼女を斬っても、三浦さんは戻ってきません」
「⋯⋯っ!」
坂口さんは何か言い返そうとしたが、結局言葉にはならなかった。
握っていた剣が震えている。
しばらくして、その力が少しずつ抜けていった。
「⋯⋯くそっ」
坂口さんが俯く。
神崎さんは剣を取り上げたりはせず、そのまま少し距離を取った。
俺も何も言えなかった。
三浦さんと一緒に潜ってきた坂口さんが怒るのは当然だ。
サクヤさん自身がエルダー・ドラゴニュートを送り込んだわけではないとしても、向こうの世界が伊勢を直接繋がなければ、三浦さんが死ぬこともなかった。
白峰さんはサクヤさんを見ながら、ゆっくり口を開く。
「今の並外れた身体能力⋯⋯。先ほどの話にあった、魔素への適応ですか?」
「私達は生まれた時から非常に高濃度の魔素に晒されて育ちます。魔素への耐性を持っているだけではなく、身体にも多くの魔素を取り込んでいますので、皆様とは身体の強さにも大きな違いがあるようです」
「⋯⋯なるほど」
白峰さんが納得したように頷く。
俺達の世界でも、含有魔素量が多ければ身体能力は高くなる。
水野さんやS級探索者達が普通の人間とは比較にならないほど強いのも、それが大きい。
だったら、白峰さんですら魔法を維持出来なくなるほど魔素が濃い世界で生まれ育った人間はどうなるのか。
サクヤさんを見る。
どう見ても戦う人には見えない。
それなのにA級探索者の剣を指二本で止めた。異様な光景だ。
「⋯⋯向こうの人って、みんなそんな感じなんですか?」
俺が聞くと、サクヤさんは少し考えた。
「個人差はございます。私も王家の人間ですので、一般の方々より多くの魔素を扱えるよう教育を受けております。ただ、皆様の世界の方々より多くの魔素を体内に含んでいる者が多いのは確かです」
怖いな、向こうの世界⋯⋯。
エルダー・ドラゴニュートみたいな奴がいるだけでも十分嫌なのに、人間まで基準がおかしいらしい。
「それだけ強いなら、モンスターにも勝てるんじゃないの?」
空さんが尋ねる。
サクヤさんは首を横に振った。
「私達が高濃度の魔素に適応しているのと同じように、モンスターもまた、100年以上その環境で生きています。むしろ、人間以上に魔素の影響を強く受けている生物も少なくありません」
そう簡単な話ではないらしい。
「それで、サクヤさん」
白峰さんが話を戻した。
「あなた方は、こちらの世界で魔素が消滅していることを確認していた。それを調べるために、こちらへ来たんですよね?」
「はい」
サクヤさんが頷く。
「正確には、その原因となった方を探し、私達の世界を救っていただくために参りました」
「でも、どうやって探すつもりだったんですか?」
黒川さんが尋ねる。
「私達の側から確認出来たのは、皆様の世界へ送った魔素が消失しているという事実だけです。誰が、どのような方法で行っているのかまでは分かりませんでした」
「そら、おっちゃんの清掃スキルやな」
「ちょ、もしかしたら俺以外の何かが原因かもしれないじゃないですか!」
「全国回って亀裂消して、ついでに魔素そのものまで消し飛ばしとったん、おっちゃんやろ。ほかに誰がおんねん」
流石に無理かー⋯⋯。いや、ほんと世界の危機とかそういう話に巻き込まないでほしいんだけどなぁ⋯⋯。
「⋯⋯あの、サクヤさん」
「はい」
俺は仕方なく一歩前へ出た。
「多分、その魔素を消したの、俺です」
「やはり、あなた様が?」
何故か薄ら気付かれていたようで、納得した顔をするサクヤさん。何故バレた⋯⋯。
「はい。全部俺一人でやったわけじゃないですけど、亀裂と異常魔素を消したのは俺の『清掃』です」
「『清掃』⋯⋯それが、あなた様のスキルなのですか?」
「そうです」
「魔素そのものを、この世界から消滅させることが出来るのですか⋯⋯?」
「出来ます。どういう理屈か分かんないですけど、他のエネルギーになるとかじゃなくて、完全に消滅してます」
サクヤさんが動かなくなった。
俺を見たまま、何も言わない。
「⋯⋯サクヤさん?」
呼びかけると、ようやく反応した。
次の瞬間、サクヤさんが一気に距離を詰めてくる。
「えっ」
さっき坂口さんの剣を指で止めた人だ。
反射的に身構えそうになったが、サクヤさんは俺を攻撃するどころか、両手で俺の右手を包み込んだ。
「ちょ、ちょっと⋯⋯!」
突然、物凄い美人に両手を握られた。
近い。顔も近い。
こういう状況に慣れていない独身おじさんとしては、普通に困る。
しかしサクヤさんは俺の動揺など全く気にしていなかった。
目には涙が浮かんでいる。
「ようやく⋯⋯ようやく見つけました」
「え?」
「100年以上、私達がどれほど願っても叶わなかったことを⋯⋯あなた様なら出来るのですね」
握られている手に力が入る。
サクヤさんはそのまま俺を見上げた。
「どうかお助け下さい、勇者様!」
「勇者!?なんで!?」
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