100話 清掃おじさん、向こう側の景色を見る
「⋯⋯スマホ、ですか?」
白峰さんが取り出したものを見て、俺は思わず聞き返した。
「ええ。僕の水では途中までしか調べられませんでしたが、映像を残すだけなら話は別です。これを向こうへ入れて、戻してみます」
「壊れません?」
「そのために僕の魔法で覆います。どこまで耐えられるかは分かりませんが、試してみる価値はあるでしょう」
白峰さんはそう言うと、近くにいた探索者から細いロープを借りた。
スマートフォンを何重にも固定し、カメラを起動する。その上から薄い水の膜で全体を包み込んでいった。
「水で大丈夫なんですか?」
「直接触れないようにしていますから大丈夫です。水の層を作って、その内側に空気を残しています」
「器用ですね⋯⋯」
「一応、魔法使いなので」
白峰さんが笑う。世界唯一のS級魔法使いが何を言ってるんだろうか。
準備を終えると、白峰さんはスマートフォンを浮かせた。
「では、入れます」
全員が歪みから少し距離を取る。
スマートフォンがゆっくりと前へ進み、そのまま空間の歪みを通り抜けた。
繋いであるロープも後を追って向こう側へ消えていく。
白峰さんはスマートフォンを包んでいる水へ魔素を通しながら、少しずつ奥へ進ませていった。
「どうですか?」
「まだ大丈夫です。先ほどよりも単純な制御ですから、もう少し奥まで行けそうですね」
ロープが伸びていく。
俺達に出来ることはないので、ただ待つしかない。
向こう側にはエルダー・ドラゴニュートがいた⋯⋯と思わる。
白峰さんの話では、信じられないほど高濃度の魔素で満たされているらしい。
そんな場所へ自分のスマホを投げ込めと言われたら、俺なら絶対に嫌だ。
「⋯⋯そろそろですね」
白峰さんの表情が険しくなった。
先ほどと同じように、向こう側の魔素が白峰さんの魔法へ干渉し始めているらしい。
「もうよいんじゃなきですか?」
「あと少しだけ」
白峰さんが杖を握る手に力を込める。
数秒後、その表情が変わった。
「ここまでです。戻します」
すぐにロープを引き始める。
近くにいたA級探索者も手伝い、向こう側へ伸びていたロープを回収していく。
しばらくして歪みの表面が揺れた。
水に包まれたスマートフォンがこちら側へ戻ってくる。
「壊れてないですか?」
「確認します」
白峰さんが水の膜を解除し、スマートフォンを手に取った。
電源はついている。
全員が自然と白峰さんの周囲へ集まった。
「撮れてますね」
その一言で、少しだけ緊張が緩んだ。
「テレビとかに映せへんのか?こんなちっこい画面に全員で集まっても見えへんやろ」
「地上なら出来るでしょうけど、今はこれで我慢してください」
「しゃあないなぁ」
獅子堂さんまで覗き込もうとするので、かなり狭い。
俺は少し後ろから画面を見ることにした。
白峰さんが動画を最初から再生する。
初めは俺達が映っている。
画面が揺れながら巨大な歪みへ近づき、そのまま通り抜けた。
直後、映像が変わった。
「⋯⋯何これ」
空さんが呟く。
俺も同じことを思った。
そこはダンジョンではなかった。
少なくとも、俺が今まで見てきたダンジョンとは全く違う。
広大な荒野が映っていた。
空は暗く濁っていて、遠くには山らしきものまで見える。足元には黒っぽい土と岩が広がり、その中を巨大な影がいくつも動いている。
映像が進むにつれ、その数が増えていった。
「モンスター⋯⋯ですよね」
橘さんが言う。
「ええ」
神崎さんの声が低くなる。
四足歩行の巨大な獣。
空を飛んでいる翼のある生物。
何十体もの群れで荒野を移動している小型のモンスター。
遠すぎてランクまでは分からないが、明らかに普通の生態系ではない。
「多すぎない?」
水野さんが画面を見ながら言った。
「ダンジョンのモンスターハウスでも、こんな数おらんで」
獅子堂さんもさすがに笑っていない。
スマートフォンはさらに奥へ進む。
映像が時々乱れる。
白峰さんの魔法が限界へ近づいていた辺りだろう。
それでも撮影自体は続いている。
「待ってください」
黒川さんが言った。
「今、何かありませんでした?」
「え?」
黒川さんの言葉を聞いた白峰さんが動画を少し戻す。
「⋯⋯建物?」
小宮川さんが呟いた。
荒野の中に、明らかに自然物ではないものが映っている。
白峰さんが動画を止め、画面を拡大した。
崩れかけた建物だ。一つではなく、奥にもいくつもある。
「街⋯⋯ですかね」
俺が言うと、誰も答えなかった。
元が何階建てだったのかも分からないほど崩壊した建物。
倒れた電柱らしきもの。
道路だったと思われる場所には草のようなものが生え、何十年放置されたのか分からないほど荒れている。
その道路の上を、さっき見た巨大な獣が歩いていた。
「これ、人が作ったものよね?」
空さんが白峰さんを見る。
「そうとしか見えません」
「何でダンジョンの奥に街があるの?」
「僕に聞かれても分かりませんよ」
白峰さんも困惑している。
俺は画面を見ながら、何とも言えない気持ち悪さを感じていた。
どこかで見たことがある。
建物の形もそうだ。
道路や電柱、遠くに見える鉄塔のようなものも。
知らない場所のはずなのに、知らない世界には見えない。
「⋯⋯ちょっと止めてください」
俺は思わず言った。
白峰さんが動画を止める。
「どうしました?」
「今のところ、戻せます?」
数秒戻してもらう。
「そこです」
画面の端に、倒れかけた大きな看板が映っていた。
土と汚れでほとんど読めない。
白峰さんが拡大する。
「⋯⋯え?」
水野さんの声がした。
文字が書いてある。——日本語だ。
「何で⋯⋯?」
俺もそれしか言えなかった。
さらに映像を確認すると、別の建物にも文字が残っていた。
古びた看板、割れた案内板。ほとんど消えかけているが、間違いなく漢字と平仮名が使われている。
「日本⋯⋯なの?」
水野さんが呟く。
「いやいや、そんなわけないでしょう」
俺は反射的に否定した。
俺達は今、日本にいる。
三重県の伊勢ダンジョン、その最深部にいる。
目の前の歪みを通ったら、同じ日本のどこかに出る?
それなら、どうしてこんなことになっている。
街は滅びている。
人間の姿は一人もない。
代わりに大量のモンスターが歩き回り、白峰さんですら魔法を維持出来ないほどの魔素で満たされている。
「⋯⋯転移先が日本の別の場所という可能性は?」
神崎さんが尋ねた。
白峰さんはしばらく考えたものの、首を横に振った。
「否定は出来ません。ただ、日本国内にこんな場所が存在するとは思えませんし、それならこれほどの魔素が観測されていないことも不自然です」
「どないなっとんねん⋯⋯」
獅子堂さんまで困っている。
俺も何か考えようとした。
でも、何も思いつかない。
目の前の歪みの向こうには、日本語が残された滅びた街がある。
それだけでも意味が分からないのに、そこを大量のモンスターが歩き回っている。
「これ、地上に報告した方がいいですよね」
「当然です。映像もそのまま提出しましょう」
白峰さんがスマートフォンを操作する。
その時だった。
「⋯⋯何か、来ます」
神崎さんの声が響いた。
全員の空気が一瞬で変わった。
「何が?」
空さんが歪みを見る。
「分かりません。ただ、向こう側に何かいます」
神崎さんが剣を抜く。
俺もすぐにスマートフォンから目を離した。
歪みの向こう側。
さっきまで何もいなかった場所に、何かが見える。
こちらへ近づいてきているようだ。
「おいおい。またあの蜥蜴女みたいなん来るんちゃうやろな」
獅子堂さんが拳を構えた。
「縁起でもないこと言わないでくださいよ」
「来たら今度こそ俺がやる」
「そういう問題じゃないでしょ!」
とはいえ、俺も構えた。
エルダー・ドラゴニュートは、あの『道』を通ってこちらへ来たと言っていた。
なら、同じ場所から別のモンスターが来ても何もおかしくない。
空さんがガントレットへ手を添え、白峰さんもスマートフォンをしまって杖を構える。
水野さん達も戦闘態勢に入った。
歪みの向こう側にあった影が、少しずつ大きくなる。
人型だ。
「⋯⋯一体だけですね」
神崎さんが言う。
「油断せん方がええぞ。蜥蜴女は一体でとんでもない強さやったんやろ?」
獅子堂さんの言う通りだった。
一体だからどうにかなる、とは限らない。
むしろ、たった一体でこちらへ来るような奴の方が怖い。
俺達が警戒する中、その人影が歪みの直前まで来た。
そして、そのまま境界を越える。
「⋯⋯え?」
誰かが声を漏らした。
現れたのはモンスターではなかった。
少なくとも、俺にはそう見えた。
一人の女性だ。
年齢は二十代半ばくらいだろうか。長い黒髪を背中まで伸ばした、驚くほど整った顔立ちの女性だ。
服装は見慣れないものだった。
和服に似ているが、俺達が知っている着物とは少し違う。白と赤を基調にした衣装には細かな刺繍が施され、ところどころに金属製の装飾が付いている。
何より、モンスターには見えない。
普通の人間にしか見えなかった。
「止まってください」
神崎さんが剣を向ける。
女性は素直に足を止めた。
武器を持っている様子もない。
俺達を見回し、それから巨大な歪みの前に立ったまま、ゆっくりと両手を見せた。
「言葉は分かりますか?」
白峰さんが慎重に尋ねる。
女性の目が白峰さんへ向いた。
そして。
「はい」
返ってきたのは、流暢な日本語だった。
また誰も喋らなくなった。
日本語が通じる。
向こう側の滅びた街にも日本語が残っていた。
ますます意味が分からない。
「あなたは⋯⋯人間ですか?」
白峰さんが尋ねる。
「はい。私は人間です」
女性はそう答えた後、俺達へ向かって深く頭を下げた。
「私の名は、サクヤと申します」
綺麗な声だった。敵意は感じない。
それでも誰一人として警戒を解かなかった。
サクヤと名乗った女性は顔を上げる。
その表情には、さっきまで想像していた敵意や余裕など欠片もなかった。
むしろ、今にも泣き出しそうに見えた。
そして彼女は、俺達へ向かってもう一度深く頭を下げた。
「どうか、私たちの世界をお助けください」
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