第5章:海を越えて取り残された言葉
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2008年、9月。
六渡野林檎園の緑の葉の間から、赤色が顔を出し始めていた。けれど僕にとって、世界はすでにその色を失っていた。あの霧はもう、現れたり消えたりはしない。それは僕の頭の中に居座り、分厚く、冷たく、僕を支配していた。
ある朝、食卓で、僕は皿の横にある長い銀色の物体を見つめていた。箸? いや、僕の脳はそれを認識することを拒んでいた。手に取ろうとしたが、指先は固く強張り、まるで十年間続けてきた動作の命令を忘れてしまったかのようだった。
「エドくん、お味噌汁だよ」
あかりが優しく言った。
僕は彼女を見つめた。彼女がとても大切な人であることは分かっている。骨の髄まで彼女を愛していることも分かっている。けれど、「ありがとう」と言おうとした瞬間、言葉が喉に引っかかった。僕の脳内にある日本語の回路が、断線してしまったのだ。
「あり……がとう……」
僕は必死に絞り出した。けれど、口から出たのは別の言葉だった。
「Terima kasih, Sayang.」
あかりは呆然とした。彼女はインドネシア語が分からない。
「エドくん? 何を言っているの?」
彼女は不安げな表情で尋ねた。
僕はパニックに陥った。お腹が空いていること、手が痛いこと、そして怖いということを伝えたかった。けれど、日本語を話そうとすればするほど、僕の脳は原始的な根源へと、長く使っていなかった母国語へと逆戻りしていった。
「Aku... aku tidak tahu cara pakai ini, Akari. Tolong aku.」
焦燥感から、僕の声は荒くなった。
「パパ? なんでパパ、変な言葉でお話ししてるの?」
しおりが瞳に涙を浮かべて僕を見ていた。怒っている見知らぬ誰かのように見える父親を、怖がっていた。
僕は箸をテーブルに叩きつけた。ガシャン! という音が、静かな部屋に耳障りに響いた。
僕は立ち上がり、檻の中のライオンのように部屋を右往左往した。自分の体の中に閉じ込められたような気分だった。僕は諏訪の街に、自分の家にいるのに、まるで見当識を失って大海原を漂流しているようだった。「古戸波エド」としてのアイデンティティが消えていく。作り上げられた日本人の僕は死に、怯え、妻子と意思疎通すらできない一人のインドネシア人の男がそこに取り残されていた。
「Maaf... Maafkan Papa...」
僕は床に膝をつき、頭を抱えて呻いた。
「Aku ingin pulang... tapi aku sudah di rumah... kenapa aku tidak bisa bicara pada kalian?」
あかりがゆっくりと僕の前に膝をついた。彼女は僕の言葉を一言も理解できなかったけれど、僕の涙の意味を理解してくれた。彼女はしおりの手を取り、二人で僕を両側から抱きしめた。
「大丈夫だよ」
僕がその意味を忘れ始めていることを知りながら、あかりは日本語で囁いた。「もしあなたが私たちの言葉を忘れてしまうなら、私たちがあなたの言葉を覚えるから。声が届かなくなっても、私たちの心臓は同じリズムで動いているから」
しおりが小さな手で僕の涙を拭った。「パパ、あいしてる。パパが何て言ってるか分からないけど、パパがしおりのこと大好きなのは分かってるよ」
その時、僕は確信した。この病気はなんて残酷なのだろう。僕の名前を、言葉を、そして食事をする能力さえも奪っていく。けれど、あかりがスプーンを手に取り、インドネシアの母親が子供に食べさせるように僕の口にゆっくりと運んでくれた時、僕は気づいた。愛には辞書なんていらないのだ。
僕は自分の世界を失った男だ。けれど、信州の小さな屋根の下で、二人の天使が僕のために新しい世界を築いてくれている。言葉が重要ではなくなり、ただ触れ合うことと、そこにいることだけが最後の一本の「枝」となる世界を。
その夜、初めてあかりが小さなノートを見ながら、寝る前に僕に囁いた。
「Selamat... tidur... エド-kun.」
たどたどしい発音だったけれど、それは僕が人生で聴いた中で、最も美しい音楽だった。




