第37話 三つの封の告発状
目を覚ますと、部屋は夕暮れの色に染まっていた。
暖炉の火が赤く揺れている。
寝台の足元には湯たんぽ。
毛布は、いつの間にか三枚に増えていた。
枕元の小卓には、蜂蜜湯と薬湯、それから焼き菓子が置かれている。
見覚えのある完璧な配置。
間違いなく、マーサさんの仕事だ。
「……どれくらい眠っていましたか」
声を出すと、思ったより掠れていた。
椅子に座っていたマーサさんが、すぐに立ち上がる。
「半日には届いておりません」
「では、まだ休息命令の途中ですね」
「よくお分かりで」
「起きてもよろしいですか」
「よろしくございません」
即答だった。
予想通りすぎて、少しだけ笑ってしまう。
でも笑うと、体の奥がまだ重いことに気づいた。
封蝋読みの代償は抜けきっていない。
指先は包帯で覆われていた。
白手袋ではなく、柔らかな布。
その下で、赤い痕がまだ熱を持っている。
冷たいのに、熱い。
妙な感覚だった。
「エリシア様は」
「お休みです。ノア様が手を握っておられます」
「リックさんは」
「医師に叱られながら、同じ部屋の椅子で眠っております」
「レオン様は」
マーサさんの顔が、少しだけ険しくなる。
「書斎でございます」
「休まれていないのですか」
「一度はお休みになりました。薬湯も飲まれました」
「一度は」
「はい。一度は」
その言い方で、だいたい分かった。
レオン様は起きている。
そして、きっと書類を書いている。
「告発状ですか」
「はい」
マーサさんは隠さなかった。
「王宮文書局から抗議文が届きました。旦那様は、こちらから正式告発を出すと」
やはり。
眠っている場合ではない。
そう思って身体を起こそうとした瞬間、マーサさんの手が私の肩に置かれた。
強い。
「セラフィナ様」
「はい」
「寝台から出ることは、私が許可いたしません」
「ですが」
「旦那様からも同じ命令を受けております」
「レオン様が?」
「はい。『セラフィナが起きようとしたら止めろ。俺の名を使っていい』と」
少しだけ胸が温かくなる。
けれど同時に、困った。
レオン様の名を使われると、かなり動きにくい。
「では、書類をここへ持ってきていただけますか」
マーサさんが目を細めた。
「そう来ますか」
「歩きません。寝台からも出ません。ただ、確認します」
「確認だけでございますね」
「はい」
「封蝋は読みませんね」
「はい」
「指先を使いませんね」
「はい」
「無理をなさいませんね」
「……はい」
「今の間は何ですか」
「誓約の重みを確認していました」
「便利なお言葉ですね」
マーサさんは深くため息をついた。
しかし、完全には反対しなかった。
「少々お待ちください。旦那様へ確認してまいります」
「ありがとうございます」
「その間に蜂蜜湯を」
「はい」
「薬湯も」
「……はい」
「焼き菓子も」
「それもですか」
「それもでございます」
マーサさんは容赦がない。
でも、その厳しさが今はありがたかった。
私は蜂蜜湯を少しずつ飲んだ。
甘さが喉を通るたび、体の奥の氷が少しずつ溶ける。
薬湯は苦かった。
とても苦かった。
けれど、レオン様も飲んだはずだと思うと、不思議と飲めた。
しばらくして、扉が開いた。
レオン様が入ってくる。
黒い上着ではなく、少し柔らかな室内着に着替えていた。
顔色はまだ悪い。
けれど、王宮文書局にいた時よりはずっとましだった。
ただ、手には書類束。
休む気は、あまりなさそうだ。
「起きたか」
「はい」
「まだ寝ていろ」
「寝台の上で確認します」
「君は起きた直後から交渉するのか」
「書類が絡むと、つい」
レオン様は呆れたように私を見た。
その後ろから、オルデン様が文箱を持って入ってくる。
さらにクラリッサ夫人、セルジオ司祭も続いた。
どうやら本当に、ここを臨時の確認室にするつもりらしい。
「セラフィナ嬢」
クラリッサ夫人が静かに言った。
「体調は」
「寝台の上でなら、書類を確認できます」
「答えになっていませんね」
「マーサさんにも言われました」
「でしょうね」
セルジオ司祭は小さく笑い、それから真顔に戻った。
「ですが、あなたの確認は必要です。封蝋を読まずとも、文書の順序と矛盾を見られるのはあなたです」
レオン様が眉をひそめる。
「無理はさせない」
「しません」
私は即答した。
すると、レオン様はじっと私を見る。
「今の即答は怪しい」
「本当にしません」
「記録する」
「そこまでですか」
「そこまでだ」
オルデン様が本当に筆を構えたので、私は観念した。
「では、記録してください。セラフィナ・ロウエルは、本件確認において封蝋読みを行わず、文面確認と時系列整理のみを行う」
「承知いたしました」
オルデン様がさらさらと書きつける。
これで逃げ道は塞がれた。
私自身の。
少し悔しい。
でも、たぶん必要なことだった。
文箱が寝台脇の小卓に置かれる。
中には、三種類の告発状の草案が入っていた。
一つ目。
ヴァイス公爵家から王宮高等審問院へ提出する正式告発状。
二つ目。
教会監査司祭セルジオ様から教会上層部へ提出する緊急監査報告。
三つ目。
クラリッサ夫人が王宮礼法顧問として提出する立会い記録および王宮文書局手続き違反報告。
三つの封。
三つの経路。
一つが潰されても、他が残る。
私は草案を読みながら、ゆっくり息を整えた。
「強いです」
私が言うと、レオン様が少しだけ眉を上げた。
「強い?」
「はい。敵が一番嫌がる形です。公爵家だけの告発なら、相続争いに見せられます。教会だけなら、教会内部の監査に押し込められる。礼法顧問だけなら、手続き問題として軽くされる」
私は三つの書類を指した。
「ですが、三つを同時に出せば、相続、教会記録、王宮手続きが一つの事件として結ばれます」
セルジオ司祭が頷く。
「そのための三通です」
「ただし、順番を整えた方がよいです」
「順番?」
レオン様が問う。
「はい。最初にオスカー様やヴィクトル様の名を出すと、政治的な告発に見えます。まず、被害と証拠から始めるべきです」
私は小卓の紙を並べ替える。
「第一に、孤児院と施療院への支援金・物資横領。これは領民被害です。第二に、死亡者名義の受領と教会記録偽造。第三に、エリシア様の死亡記録偽造と監禁。第四に、ノアさんの身元抹消と襲撃未遂。第五に、相続調査制限契約によるレオン様への同意なき拘束。最後に、その全体を可能にした関与者として、オスカー様、ヴィクトル様、イザーク様、ベルナール司祭、クラウス商会を置きます」
オルデン様の筆が止まる。
クラリッサ夫人が、少しだけ目を細めた。
「なぜその順なのです」
「物語にされないためです」
私は答えた。
「敵はきっと、こう言います。これはヴァイス公爵家内部の相続争いだ、と。死んだはずの叔父と現当主の争いだ、と。私が職能を乱用して、古い紙片を都合よく読んだのだ、と」
レオン様の顔が冷える。
「言うだろうな」
「だから、最初に領民被害を置きます。パンが届かなかった孤児院。薄められた薬。死者名義の受領証。ここは相続争いではありません」
私は次の紙に触れないよう、視線だけで追う。
「そこから教会記録偽造へ繋ぎ、エリシア様とノアさんへ進めば、相続問題は最後に浮かび上がります。つまり、相続争いのために告発するのではなく、横領と記録偽造を追った結果、相続妨害に辿り着いた形になります」
部屋が静かになった。
やがて、クラリッサ夫人が小さく頷く。
「その方が、宮廷では通りやすい」
「はい」
「あなた、寝起きの方がよく切れるのでは?」
「たぶん、まだ半分夢の中なので怖さが薄いのかもしれません」
レオン様がすぐに言った。
「やはり寝ろ」
「今のは冗談です」
「冗談に聞こえない」
マーサさんが後ろで深く頷いている。
味方がいない。
しかし、書類の確認は続いた。
オルデン様が草案を組み替え、セルジオ司祭が教会記録部分を補強する。
クラリッサ夫人は、王宮文書局の手続き違反を冷静に列挙した。
花嫁候補審査の目的外使用。
第七封庫内での不当な任意聴取。
正式拘束命令なき身柄確保の試み。
利害関係者による退出妨害。
不備ある橋梁封鎖札による教会監査妨害。
並べれば並べるほど、王宮文書局の青い封が、ただの権威ではなく隠蔽の道具として見えてくる。
「エリアス様の証言は」
私が尋ねると、レオン様は少し表情を固くした。
「別室で取っている」
「本人は」
「話すと言っている」
「そうですか」
私は少しだけ目を伏せた。
エリアス様。
元婚約者。
私を夜会で婚約破棄し、紙くず令嬢と呼び、ミリアと父と共に私を追い詰めた人。
その人が今、父ヴィクトルを告発する側の証人になる。
ざまぁとしては、もっと派手な破滅を望むべきなのかもしれない。
でも、今は違う。
彼の証言が必要だ。
許すためではなく。
記録を完成させるために。
「会いますか」
レオン様が問う。
私は首を横に振った。
「今は、会いません」
「なぜ」
「謝罪を受けると、話がずれます。私情に見せられたくありません」
レオン様は少しだけ目を細めた。
「君は時々、恐ろしく冷静だな」
「冷静ではありません」
私は包帯の巻かれた指先を見る。
「たぶん、怒っているからです」
部屋が静かになる。
「私はエリアス様に傷つけられました。父にも、ミリアにも。でも、それを先に出すと、敵はきっと言います。婚約破棄された令嬢の復讐だと」
「言わせない」
レオン様の声が低くなる。
「はい。だから、書類で先に塞ぎます」
私は顔を上げた。
「私怨ではなく、事実として積み上げます。その後でなら、謝罪でも裁きでも、受け取るべき形になります」
クラリッサ夫人が静かに言った。
「よく分かっていますね」
「婚約破棄されたばかりなので」
少しだけ自嘲が混じった。
でも、すぐにレオン様が言った。
「今は私の婚約者だ」
何でもないような声。
けれど、部屋の空気が一瞬止まった。
マーサさんが目を細める。
オルデン様は咳払いをする。
クラリッサ夫人は何も言わず、ただ書類へ視線を戻した。
私は顔が熱くなるのを感じた。
体は冷えているのに、頬だけ熱い。
「……書類に戻りましょう」
「そうだな」
レオン様は平然としている。
ずるい。
少しだけそう思った。
その時、扉が控えめに叩かれた。
入ってきたのは、若い書記官だった。
「失礼いたします。エリアス・グレン様の証言記録、第一稿でございます」
レオン様が受け取る。
私には渡さない。
まず自分で目を通す。
少し過保護だと思ったけれど、たぶん内容が私に関わるからだろう。
彼の表情が、読むにつれて冷えていく。
「何と」
オルデン様が問う。
レオン様は低く読み上げた。
「エリアス・グレンは、父ヴィクトル・グレンより、セラフィナ・ロウエルを婚約関係から切り離し、職能行使を封じる内容の確認書に署名させるよう命じられた」
分かっていたことだ。
でも、証言になると重い。
「クラウス商会の慈善活動に後援者として名を貸すよう求められた。目的は、ロウエル家およびグレン家の将来的な王宮文書局内地位強化と説明された」
エリアス様らしい。
名誉。
家格。
地位。
そういう言葉に弱かったのだろう。
レオン様は続ける。
「ミリア・ロウエルが持参した偽造遺言書について、エリアスは直接作成していない。ただし、ミリアより『姉の封蝋癖を真似る方法を知りたい』と相談され、王宮文書局で使われる封蝋温め器の話をした」
私は息を止めた。
ミリア。
やはり、封蝋を温めて押し直す方法を使っていた。
あの子一人で思いついたのではない。
エリアス様が、無自覚に道具を渡した。
無知な言葉で、人を傷つける。
本当に、どこまでも。
「さらに」
レオン様の声が冷たくなる。
「ロウエル家から王宮文書局へ提出された『セラフィナ・ロウエルは精神的に不安定で虚偽主張傾向あり』との照会文について、エリアスは事前に同じ文面を父ヴィクトルの書斎で見ている」
部屋の空気が変わった。
私はゆっくり顔を上げる。
「同じ文面?」
「そうだ」
レオン様は紙を見る。
「ロウエル家の父グレゴールが書いたものではなく、王宮文書局側で用意された定型文の可能性がある」
父が私を貶める文を出した。
それだけでも十分痛かった。
でも、その文面すら誰かが用意したものだった。
父は、それに乗った。
ミリアも乗った。
エリアスも乗った。
私を黙らせるために。
私は指先を握ろうとして、包帯の痛みに止められた。
レオン様がそれに気づく。
「セラフィナ」
「大丈夫です」
「無効」
「……少し、痛いです」
そう正直に言うと、レオン様は静かに頷いた。
そして、私の手に触れず、ただ近くに座った。
触れない距離。
でも、離れすぎない距離。
それがありがたかった。
「続けてください」
私は言った。
レオン様は少し迷ったが、読み上げる。
「エリアスは、父ヴィクトルより『紙くず令嬢の言葉は、先に狂言として潰せ』と聞いた」
胸の奥が、冷たく沈んだ。
紙くず令嬢。
エリアス様だけの言葉ではなかった。
彼の父の言葉でもあった。
王宮文書局が、私をそう扱っていた。
外れ職。
死んだ人間の紙しか読めない令嬢。
利用できないなら、黙らせる。
狂言にする。
私はゆっくり息を吸った。
「その証言は、私怨に見えやすいので、告発状の末尾に置いてください」
オルデン様が私を見る。
「末尾でよろしいのですか」
「はい。感情的には前に出したいですが、書類としては後です。先に領民被害と証拠。最後に、私への信用毀損工作として加えます」
クラリッサ夫人が満足げに頷いた。
「正しい判断です」
レオン様は少しだけ不満そうだった。
たぶん、私への侮辱を末尾に置くことが気に入らないのだ。
でも、これは順番の問題。
重さを下げるためではない。
勝つためだ。
その時、別の使用人が慌ただしく入ってきた。
「旦那様。ロウエル家より使者が参りました」
部屋の空気が、一瞬で冷えた。
私の父の家。
ロウエル家。
除籍し、追放し、引き渡せと公爵邸に来た家。
「用件は」
レオン様が問う。
「セラフィナ様の身柄確認、および、ロウエル家への一時帰宅要請と」
「帰宅要請?」
レオン様の声が低くなる。
使用人は怯えながら続けた。
「さらに、ミリア様が体調を崩され、姉であるセラフィナ様に看病義務があると」
思わず、笑いそうになった。
あまりに予想通りで。
あまりに都合がよくて。
「ミリアが体調不良」
私は言った。
「またですか」
マーサさんの目が鋭くなる。
「お断りいたしましょう」
「はい」
私は頷いた。
「ただし、返書を出します」
レオン様がこちらを見る。
「書くのか」
「口頭で伝えるより、書面がよいです」
「君は寝台の上だ」
「口述します。オルデン様、お願いできますか」
「もちろんでございます」
オルデン様が新しい紙を用意する。
私は息を整えた。
「ロウエル家当主グレゴール・ロウエル殿へ」
オルデン様の筆が走る。
「セラフィナ・ロウエルは、貴家より除籍および追放を宣言され、現在はヴァイス公爵家正式婚約者ならびに臨時文書監査人として職務中であるため、貴家への帰宅義務を負いません」
レオン様の口元が、少しだけ上がった気がした。
私は続ける。
「ミリア・ロウエル嬢の体調不良については、医師を手配されることを推奨いたします。なお、セラフィナ・ロウエルに看病義務を求める法的根拠がある場合、除籍届、親族権限記録、医師の診断書、看病要請の正式根拠を添えて再提出ください」
クラリッサ夫人が小さく咳払いした。
笑ったのかもしれない。
「また、貴家より王宮文書局へ提出された、セラフィナ・ロウエルの精神状態および信用に関する照会文について、作成経緯、原案作成者、提出経路、関与者名の開示を求めます」
部屋が静まる。
ここが本題だ。
「さらに、ミリア・ロウエル嬢が提出した偽造疑義のある遺言書、および封蝋温め器使用に関する説明を求めます」
オルデン様の筆が止まらない。
「以上について、明日正午までに書面回答なき場合、ヴァイス公爵家正式告発状に、ロウエル家による信用毀損、文書偽造関与、証拠隠滅疑義を追記します」
私は最後に言った。
「なお、今後セラフィナ・ロウエル本人への直接接触を禁じます。連絡はすべてヴァイス公爵家家令オルデン、または公爵家指定代理人を通してください」
オルデン様が筆を止める。
「以上です」
レオン様が低く言った。
「よくできている」
「ありがとうございます」
「ただ、一つ足す」
「何をですか」
彼はオルデン様へ視線を向けた。
「セラフィナ・ロウエルは、ヴァイス公爵レオンハルト・ヴァイスの正式婚約者である。本人の意思に反する帰宅、引き渡し、看病義務、親族権限の主張は、ヴァイス公爵家への干渉と見なす」
私の顔がまた熱くなる。
「そこまで」
「必要だ」
「でも」
「敵に、君を孤立した令嬢として扱わせない」
レオン様の声は静かだった。
「君はもう、一人でロウエル家の応接室に立たなくていい」
胸の奥が、きゅっと痛んだ。
あの日。
父とミリアとエリアスに囲まれ、誰も私の言葉を聞かなかった応接室。
あの場所へ、私はもう戻らない。
戻らなくていい。
「……ありがとうございます」
それだけ言うのが精一杯だった。
返書には、レオン様の白銀の狼の封と、私の小鳥と蔦の仮封が並べられることになった。
寝台の上なので、封印具はオルデン様が支え、私は軽く押すだけにした。
封蝋は読まない。
ただ、押す。
それでも、琥珀色の小鳥が紙の上に浮かび上がった時、少しだけ心が落ち着いた。
私の名は、もう誰かが勝手に消していいものではない。
その後、三つの告発状が完成した。
ヴァイス公爵家の告発状には、白銀の狼。
教会監査報告には、セルジオ司祭の聖杯印。
王宮礼法顧問記録には、クラリッサ夫人の百合と秤の印。
そして、それぞれに写し番号が振られた。
一通は王宮高等審問院へ。
一通は教会大監査院へ。
一通は王宮礼法庁へ。
さらに写しがヴァイス公爵家保全箱へ。
黒い帳簿の要約、燃えかけた書類、偽命令書、橋の封鎖解除記録、エリシア様の保護記録、リックさんの証言、エリアス様の証言。
すべてが束ねられていく。
それは剣ではない。
魔法でもない。
けれど、確かに敵を追い詰める武器だった。
「これで、向こうは動きます」
私は言った。
レオン様が頷く。
「来るだろうな」
「オスカー様は、エリシア様を取り戻そうとするか、証言能力を潰そうとするはずです」
「屋敷の警備は倍にした」
「王宮文書局は、私の職能乱用を前面に出してくると思います」
「それは潰す」
「いえ、来るなら来てもらいましょう」
レオン様が眉をひそめる。
「なぜ」
「敵が私を攻めれば、封蝋読みの確認記録を公の場で説明する機会ができます」
私は告発状を見た。
「今までは、私の職能は外れ職と呼ばれていました。でも、今回の証拠は封蝋だけではありません。帳簿、証言、物証、保全記録がそろっています。封蝋読みが嘘をついたのではなく、封蝋読みが見つけたものを現実の証拠が追認した形にできます」
クラリッサ夫人が、静かに微笑んだ。
「あなたは、裁かれる場を逆に証明の場にするつもりですね」
「できれば」
「できます」
夫人ははっきり言った。
「そのために、私は立会い記録を書きました」
セルジオ司祭も頷く。
「教会監査も証言しましょう。死者名義の受領と死亡記録偽造は、封蝋読みだけの話ではありません」
レオン様はしばらく私を見ていた。
そして、少しだけ苦しそうに言った。
「本当は、君をそんな場に出したくない」
「はい」
「だが、君は出ると言うだろう」
「必要なら」
「なら、半歩横に立つ」
胸が鳴った。
王宮へ向かった朝、練習した距離。
後ろではなく。
前でもなく。
半歩横。
「はい」
私は頷いた。
「お願いします」
その時、廊下の向こうで鐘が鳴った。
来客を告げる鐘。
マーサさんがすぐに扉へ向かう。
少しして戻ってきた彼女の顔は、硬かった。
「旦那様」
「誰だ」
「王宮高等審問院より、使者でございます」
部屋の全員が息を呑んだ。
早すぎる。
こちらの告発状は、まだ出す直前だ。
なのに、審問院の使者が来た。
レオン様の目が鋭くなる。
「用件は」
マーサさんは手に持った封書を掲げた。
「明朝、王宮高等審問院にて臨時審問を開くとのこと」
「対象は」
マーサさんの視線が、私へ向いた。
嫌な予感がした。
「セラフィナ・ロウエル様の職能乱用疑義、およびヴァイス公爵家による王宮文書局保管文書への不当干渉について」
レオン様の顔が氷のように冷えた。
やはり来た。
敵は私を狙ってきた。
でも、もう昨日までの私ではない。
ロウエル家を追い出され、雨の中で一人だった私ではない。
私の横には、白銀の狼の封がある。
教会監査の封がある。
礼法顧問の封がある。
針と糸車の封がある。
白鹿と小さな狼の封も。
そして、消されかけた名前たちの記録がある。
私は包帯の巻かれた指先を見た。
まだ痛む。
でも、震えてはいない。
「レオン様」
「出さないと言っても、君は出るのだろう」
「はい」
「分かった」
彼は静かに立ち上がった。
「なら、こちらも三つの告発状を明朝同時に提出する。審問の場で」
クラリッサ夫人が頷く。
「王宮礼法顧問として同席します」
セルジオ司祭も言った。
「教会監査として同席します」
オルデン様はすでに文箱を閉じていた。
「証拠一式、夜明けまでに整えます」
マーサさんが私を見る。
「セラフィナ様は、夜明けまでお休みです」
「ですが」
「お休みです」
「……はい」
今度は逆らえなかった。
戦うために、休まなければならない。
それもまた、契約の一部だ。
レオン様が寝台のそばへ来る。
「セラフィナ」
「はい」
「明日、君を一人で立たせない」
その言葉は、静かだった。
でも、何より強い封のように胸へ残った。
「はい」
私は小さく頷いた。
「私も、逃げません」
窓の外では、雨が上がっていた。
雲の切れ間に、夜の青が広がり始めている。
明日、王宮高等審問院。
敵は私を裁くつもりで場を用意した。
けれど、その場で開かれるのは、私の罪ではない。
死者の名を使い、生者を消してきた者たちの封だ。




