第六章 やさしく孤立していく
人が孤独になるとき、たいてい音はしない。
絶交の宣言も、ドアを閉める音もなく、
気づけば周りの景色だけが少し遠くなっている。
私がそうなり始めたのは、六冊目のノートのころだった。
恋人ができると、女の子は変わる。
そう言ったのはクラスの友達だった。
「なぎさ、最近つきあい悪くない?」
昼休み、購買のパンをかじりながら笑っていた。
責めているわけではない。軽い冗談。
でも、冗談ほど本音に近いことがある。
「そんなことないよ」
私は笑って答えた。
本当は、少しあった。
放課後の寄り道を断ることが増えた。
休日の遊びも、なんとなく面倒になった。
友達と話していても、彼からのノートの返事が気になる。
早く帰りたい。
早く読みたい。
早く書きたい。
それだけで、一日ができていた。
六冊目のノートには、短い文が増えていた。
―今日、昼休みどこいた?
―友達といたよ。
―ふーん
―なんで?
―べつに
べつに。
何でもない顔をした言葉ほど、扱いが難しい。
私はその「べつに」の意味を、放課後じゅう考えていた。
怒っているのか。
寂しいのか。
試しているのか。
答えは分からない。
でも分からないままにしておく勇気もなかった。
―今度から昼休み、図書室行こうかな。
大きな、そして力強い字で書かれた返信。
―うれしい。
たった四文字で、私は安心した。
図書室は静かだった。
彼のクラスと私のクラスのちょうど中間にあり、
先生の目も生徒の声も届きにくい場所だった。
昼休みになると、私たちは離れた席に座る。
向かい合うこともしない。
ただ同じ空間で本を開き、ページもめくらず時間を過ごす。
それだけで満たされた。
と、当時の私は思っていた。
本当は違う。
彼の視界の中にいること。
彼が私を確認できる場所にいること。
それに安心していたのだ。
ある日、友達のひとりが言った。
「なぎささ、最近、図書室ばっかじゃん」
「落ち着くからさ」
「へえ。誰かいるんじゃないのー?」
みんなが笑った。私は笑えなかった。
秘密を持つ人間は、冗談に弱い。
その日のノートに、彼は書いた。
―誰かにばれた?
―ばれてないよ。
―ならよかった。
―もしばれたら?
返事は少し遅れてきた。
―なぎさが困るなら、やめる。
その文を読んだ瞬間、胸が痛んだ。
「やめる」
その三文字だけで、世界が終わる気がした。
―私は困らないよ?
すぐに書いた。
彼を引き止めたかったのか。秘密を守りたかったのか。
今でもよく分からない。
ただ、その日から私はもっと慎重になった。
誰と話すか。
どこを見るか。
誰の名前を口にするか。
笑い方まで、少し変えた。
恋とは自由になることだと、昔は思っていた。
実際には逆だ。
誰かを好きになると、
その人の機嫌ひとつで行動範囲が変わる。
放課後、彼に呼ばれて校舎裏へ行った。
誰もいない。
雑草だけが風に揺れている。
「なぎさ」
「なに?」
「最近、あいつと話してるよね」
クラスの男子の名前を言われた。
「話してないよ。プリント渡しただけ」
「ふーん」
彼は笑わなかった。
「俺、あいつ嫌いなんだよね」
私はなぜか謝った。
「ごめん」
彼はそこで初めて笑った。
「なぎさは悪くないよ」
その言葉に救われた気がした。
同時に、何かを失った気もした。
帰り道、友達から遊びの誘いがあった。
私は断った。
家に帰ると、母がテレビを見ながら言った。
「最近あんた、友達いないの?」
私は靴下を脱ぎながら答えた。
「いるよ」
「ふーん」
母の返事は、彼と同じ音がした。
その夜、六冊目の最後のページに彼は書いた。
―なぎさには俺だけいればいいって、たまに思う。
私はしばらくペンを持ったまま動けなかった。
窓の外では、どこかの家の犬が鳴いていた。
遠くで電車の音がした。
それでも私は、こう返した。
―私も。




