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第9話 勇者になりたい奴は多いが受理票を書きたい奴は世界に一人もいない

全宇宙規模苦情集積異常。


世の中には、読んだ瞬間に現実感を失う言葉がある。

たとえば「繰り上げ当選」とか「相続」とか「家賃三か月分滞納につき最終通告」とかだ。昨日までの俺にとって一番怖かったのは最後のやつだった。ところが今は違う。地下窓口の古い蛍光灯の下で、レシートみたいに長い紙を握りしめていると、家賃督促がかわいく思えてくる。比較対象が宇宙になったせいで、人生の破綻が急に生活密着型へ戻った。


「座ってください」


九条さんは言った。


「事情説明は」


「最低限しかしません」


「隠す気まんまんですね」


「あなたは知れば喋るので」


「底辺配信者を何だと思ってるんですか」


「喋る職業の人です」


反論しづらい角度で刺すな。


第二窓口の小部屋は、さっきまでの騒ぎが嘘みたいに静かだった。監視画面は落ち、プリンタも眠っている。だが眠っているだけだ。さっき俺の評価表を吐いた機械が、そんな都合よく死ぬわけがない。電源ランプが薄く脈打っているのが、むしろ気持ち悪い。


俺は椅子へ腰を下ろし、受理票を机に置いた。A-0000。名倉巡。あなたの苦情を受理します。勝手に人の苦情を受理するな。俺はまだ本文を書いてない。


「で、何なんです。第二窓口って」


九条さんは端末を開いたまま、指だけを止めた。


「正式名称はありません」


「やばい施設あるあるを堂々と言わないでください」


「正式名称を与えると、責任が生まれます」


「もっとやばい」


彼女はため息をついた。


「表の窓口で扱えない案件を一時的に預かる。事故、異文化トラブル、補償範囲外、記録保留、外交配慮、観光庁案件、保険会社案件、その他」


「その他が広すぎる」


「だから混ざるんです」


混ざる。

その言い方が妙に嫌だった。生ゴミみたいで。


九条さんは奥の棚からバインダーを三冊持ってきた。背表紙は擦り切れ、ラベルは薄く変色している。年号も部署名もない。ただ、角に同じ文句が小さく印字されていた。


『苦情は左から二番目へ。』


俺は顔をしかめた。


「ここでもかよ」


「見覚えがありますか」


「ありすぎて逆に腹立ちます。家賃督促にも、保険約款にも、会場のステッカーにもあった」


「……やはり」


「やはり、って何です」


「第二窓口へ近づく人間は、この文言の出現率が上がる傾向があります」


「呪いみたいに言うな」


「運用上の偏りです」


役所語に直しても怖いものは怖い。


九条さんは端末を再起動し、古いログ画面を開いた。文字は緑色、カーソルは点滅、平成初期の亡霊みたいな見た目だ。俺みたいに中古ノートで動画編集してる人間からすると、逆に親しみが湧くのが腹立つ。


「先日の発券暴走で、保留回線の一部が再接続されました」


「人類に迷惑しかかけてないですね、俺」


「結果的にですが、奥の経路が見えるようになった」


「結果的にを便利に使うなあ」


画面には転送履歴が並んでいた。受付時刻、一次窓口、再分類、暫定担当、転送先。問題は最後だ。転送先の欄が、地名でも部署名でもなく記号になっている。


L2-7。

L2-7。

L2-7。

ときどきL2-β。

たまにAUX-L2。


「これ、全部『左から二番目』の略ですか」


「左列第二系統、と読む説が有力です」


「説」


「正式資料がないので」


「説で国家運営するな」


俺は椅子を引き寄せ、ログの時間を追った。深夜二時台の転送が異様に多い。逆に昼は少ない。つまり、問題が起きていないのではなく、昼間は表で何とかしているだけで、夜になって耐え切れなくなった案件が裏へ落ちてくる。


それ、俺の人生と同じじゃないか。

昼は普通の顔して働いて、夜にだけ全部が決壊する。


「このL2-βって何です」


「不明です」


「AUX-L2は」


「補助回線だと推定されています」


「また説」


「嫌なら正式に調べてください」


「嫌です。正式ってだいたい始末書がついてくるので」


言いながら、俺はログの末尾に奇妙な一件を見つけた。


受付者番号、空欄。

転送先、L2-β。

処理者名、記録なし。

応答方式、音声。


「これ」


俺が画面を指すと、九条さんの表情がわずかに固まった。


「それは飛ばしてください」


「一番飛ばしちゃダメな顔してますけど」


「旧式案内です」


「雑」


「現在は停止しています」


「じゃあなんでログが三日前まであるんです?」


その瞬間、九条さんは黙った。

沈黙って、たいてい白状より雄弁だ。


俺は勝手にキーボードを叩いた。停止しています、と言われた瞬間に調べたくなるのが、底辺配信者の悪い癖である。検索コマンドを入れると、別窓が一つ開いた。真っ暗な画面。中央に待機中の文字。


《音声補助案内 接続待機》


スピーカーの奥で、ぶつ、と小さなノイズが鳴った。


「名倉さん、触らないで」


「今さら」


『――苦情は左から二番目へ。』


女の声だった。


機械音声みたいに綺麗なのに、抑揚だけが妙に人間っぽい。コールセンターで稀にいるのだ。台本どおり喋ってるはずなのに、なぜか感情の湿度だけが本物の人。


俺の背中がぞわっとした。


「今の、聞こえましたよね」


「聞こえました」


「停止してるんじゃ」


「停止しているはずでした」


日本の組織は、その“はず”で何人か殺せる。


女声はもう一度、少しだけ間を置いて喋った。


『受付番号をどうぞ』


思わず俺は手元の紙を見た。A-0000。最悪だ。こういうときに限って、俺はちゃんと小道具を持っている。


「言えってことですか」


「言わないでください」


「でも気になるじゃないですか」


「気になるから人は罠に落ちるんです」


「俺、再生数もそうやって失ってきたんですよ」


「今は学んでください」


正論が遅い。


だが俺は、たしかに言わなかった。偉い。人は成長する。代わりに紙を裏返した。その瞬間、裏面の下端に小さな印字が浮いているのに気づいた。


《仮処理補助員向け接続試験済》


試験済。

誰が、いつ、何のために。


「九条さん。俺、登録されてません?」


「……ええ」


「どの程度」


「あなたが嫌いそうな程度です」


便利に使うな、その定型句を。


苛立ちまぎれに、俺は机の上の受話器を持ち上げた。死んでいると思っていた固定電話だ。受話器の底が微妙に温かい。通電している。耳に当てると、無音の奥で何かが回っている気配がした。


その無音に、女の声がすっと混ざった。


『名倉巡様。未記入の苦情本文を確認します』


全身の毛穴が一斉に開いた。


「は?」


『あなたの訴えは長期間保留されています』


「ちょっと待て。俺、どこにも電話してない」


『家賃、債務、労働、評価、不受理』


並べ方が雑すぎるだろ。しかも全部合ってるのが腹立つ。


九条さんが受話器を奪い取ろうとした。俺は反射で身を引いた。またこれだ。人生で役に立たない防御本能ランキング一位、紙と受話器を取られまいとする動き。


『第一応答者適性、継続判定中』


女声は淡々と続けた。


『苦情は左から二番目へ。苦情は左から二番目へ。苦情は左から二番目へ。』


三回目だけ、少しだけ近かった。

まるで機械の中にいる誰かが、同じ文句をなぞっているみたいに。


次の瞬間、画面が一斉に落ちた。蛍光灯が二度またたき、部屋は急に静かになった。受話器の向こうも無音へ戻る。


九条さんは珍しく乱暴に俺の手から受話器を取ると、台へ叩きつけるみたいに戻した。


「今日はここまでです」


「いやいやいや、何ですか今の」


「旧式案内の誤作動です」


「もうそのごまかし方、賞味期限切れてます」


彼女は俺をまっすぐ見た。冷たい目だったが、その奥に焦りが見えた。


「名倉さん。今後、第二窓口であなたの名前を呼ぶ音声が流れても、返事をしないでください」


「呼ばれる前提なんですか」


「返事をした人間は、担当として認識されます」


「最悪の採用システムだな」


「笑い事じゃありません」


たぶん本当に、笑い事じゃない。

でも笑わないと、俺はこういう話を飲み込めない。


地下を出る頃には午前三時を回っていた。地上は海風が強く、イベント会場の残骸が白いビニールみたいに鳴っていた。遠くの自販機の明かりが、妙にこの世っぽくてほっとする。


俺はポケットのスマホを開いた。通知が一件。

非通知音声記録、自動保存。


嫌な予感しかしない。再生すると、さっきの女声が、今度はもっと小さく、もっと近く囁いた。


『次の苦情者が到着します。左から二番目で、お待ちください。』


その直後、駐車場の入口に一台の黒い公用車が滑り込んできた。

後部座席のドアが開き、白い歯のよく見える男が、夜風の中へ静かに降りてきた。

もし少しでも「名倉、頑張って家賃払えよ」と思っていただけたら、下の**【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして「受理(ポイント投入)」**していただけると、筆者の手取りが……あ、いえ、執筆のモチベーションが上がります!


評価、ご感想などお待ちしております。

※作品への苦情につきましては、新宿駅地下、左から2番目の窓口までお願いいたします。

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