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第8話 円安が宇宙規模で迷惑をかけていることにそろそろ政府は気づけ

自分の名前が書かれた番号札ほど、気味の悪いものはない。


しかもそれが役所でも病院でもなく、深夜イベント会場の増設プリンタから勝手に出てきたとなれば、なおさらだ。宝くじならまだ笑える。苦情の受理票で当選しても、人生は一ミリも華やがらない。


「見せてください」


会場の撤収が始まる中、九条さんは俺の手から紙を取ろうとした。俺は反射で一歩引いた。借金取りに督促状を取られそうになった過去が、変なところで生きている。


「嫌です」


「子どもですか」


「こういう紙を素直に渡して助かった経験がないので」


彼女は一瞬だけ黙り、それから低く言った。


「では交換条件です。逃げずに私と来るなら、没収しません」


最初から怖いこと言うなよ。


午前一時過ぎ。俺たちは一般客のいなくなったナイトプラザを抜け、管理車両用の搬送エレベータへ向かった。海風が冷たい。さっきまで笑っていた会場が急に作り物っぽく見えるのは、裏口へ回るとたいてい夢が剥がれるからだ。


エレベータの中で、俺は紙をもう一度見た。


受付番号A-0000。

宛名、名倉巡。

本文――《あなたの苦情を受理します》


「俺、何を受理されたんですか」


「それを確認しに行きます」


「九条さん、前から知ってました?」


「ある程度は」


「どの程度」


「あなたが嫌いそうな程度です」


正直で助かるが、助かりたくない。


搬送先は、例の地下だった。ただし前に使った職員用通路より、さらに奥だ。無地の壁、無地のドア、無地の床。ここまで無地だと逆に本気を感じる。表の組織って、隠したい場所ほどデザインを捨てる。


突き当たりの小部屋には、三つの窓口が並んでいた。


左、閉鎖。

右、閉鎖。

そして左から二番目――つまり真ん中だけ、灯りが点いている。


「数え方、卑怯じゃないですか」


「苦情が多かったのでしょう」


「そこに苦情出したいんですけど」


九条さんは無視して、窓口脇の端末に俺の番号札をかざした。読み取り音。シャッターの向こうで、何かが起動する。


次の瞬間、市内各所の監視画面が一斉に開いた。


駅の案内端末。区役所の相談機。イベント会場の整理券機。商業施設の忘れ物カウンター。あらゆる場所で、小さなプリンタが紙を吐いている。A-0000、A-0000、A-0000。


「ちょっと待ってください、多すぎません?」


「ナイトプラザの端末から市内補助網へ伝播しました」


「言い方をやわらかくしても、事故です」


「その通りです」


それを先に言え。


九条さんが操作卓を叩く。けれど画面に出るのは未受理、保留、記録不整合、受付不能の文字ばかり。まるで街じゅうの“後でやります”が、一斉に押し寄せてきたみたいだった。


「何が起きてるんです?」


俺は聞いた。


九条さんは短く答えた。


「存在しないことにされた苦情が、出口を求めています」


笑えないのに、少しだけ笑いそうになった。あまりにもそのままの説明で。


「第二窓口って、何なんです」


「正式台帳に載せられない案件の緩衝処理室です」


「そんなものを作るな」


「作らないと表の窓口が持ちません」


「作ったせいで裏が腐ってるでしょうが」


珍しく、九条さんは言い返さなかった。かわりに、ひどく疲れた顔をした。


「わかっています」


その一言で、俺は少しだけ黙った。


彼女もたぶん、この場所の被害者側なのだ。加害者じゃないとは言い切れなくても、少なくとも好きでこの泥をかき回している顔ではない。


だが感傷に浸っている暇はなかった。監視画面のひとつで、駅構内の案内所が軽く炎上していた。文字通りではない。客が押しかけ、番号札が重複し、係員が泣きそうになっている。


別の画面では、老人ホームの相談端末からA-0000が出続け、職員が混乱していた。さらにショッピングモールの紛失物センターでは、宇宙観光客と地球人の家族連れが互いに自分の順番を主張している。


「このままだと、市内の窓口全部が詰まります」


「ええ」


「止め方は」


「本来なら上位管理者の承認が必要です」


「本来じゃなくて今です!」


声が響いた。怒鳴りたいわけじゃない。でも、こういうとき制度はいつも遅い。遅いせいで、現場だけが人の顔をして殴られる。


俺は操作卓の脇に置かれた紙束へ手を伸ばした。発券ログ、転送条件、保留種別。読めば読むほど嫌になる。案件は膨大だが、詰まっている理由は単純だった。


誰も、最初の一言を受けていない。


補償の前に、分類の前に、責任部署の前に、まず「何に困ってるか」を聞かない。だから苦情が、行き先を失ったまま裏へ裏へ流れ込む。第二窓口はその下水管だ。


「九条さん、これ全部、内容で先に割れます」


「どういう意味です」


「担当課じゃなくて、いま困ってることの種類で三つに分けるんです。今夜寝られない、今すぐ移動できない、今ここで記録だけ必要。この三つ」


彼女は目を細めた。


「ずいぶん雑ですね」


「窓口の最初なんて雑でいいんです。細かくするから人が死ぬんですよ」


口が滑った。だが事実でもある。


俺はマイクを引っつかみ、市内補助網の共通案内へ接続した。こんな権限あるのかと思ったが、第二窓口に入った時点でもう普通じゃない。


深呼吸一回。


「聞こえますか、各案内所。いま番号札が重複して混乱してると思いますけど、先に番号を無視してください」


九条さんが何か言いかけたが、止めなかった。


「いま困ってることだけ確認します。寝る場所がない人、移動手段を失った人、記録だけ必要な人。この三つに口頭で分けて、名前を紙に書いてください。番号はあとで回収します。苦情は人のものです。紙のものじゃない」


自分で言って、少し驚いた。


対策室みたいな静けさが一瞬落ち、そのあと各画面の現場が動き始めた。案内係たちが、端末じゃなく人を見る。客も、紙切れを振り回す代わりに自分の困りごとを言い始める。完全じゃない。だが混乱の質が変わった。


「名倉さん」


九条さんの声が少しだけ柔らかい。


「いま、第二窓口の仮処理方式を上書きしました」


「違法ですか」


「かなり」


最悪だ。


そのとき、操作卓の中央画面に新しいウィンドウが開いた。


《臨時分類者を検知》

《適性評価を開始します》


「おい」


さらに文字が追加される。


《未受理苦情に対する初動傾聴能力:高》

《責任所在未確定事案での暫定判断能力:中》

《規程順守性:低》


「最後だけやたら正確ですね」


九条さんがこめかみを押さえた。


「だから嫌だったんです」


「何が」


「あなたをここへ近づけるのがです」


彼女は苦々しく言った。


「第二窓口は、ただの隠蔽装置じゃありません。処理人員を選びます。苦情を苦情のまま放っておけない人間を」


ぞっとした。


だってそれは、褒め言葉みたいな顔をした罠だ。


借金取りからも会社からも、俺はずっと「使えるなら使う」で消費されてきた。今度は宇宙規模の窓口までそれをやるのか。


「断れますよね」


「本来は」


「また本来かよ」


プリンタがけたたましく動き出した。長い。今までの番号札みたいな短い紙じゃない。レシートの親玉みたいな束が、ずるずると吐き出される。


俺が引き抜くと、先頭に大きく書かれていた。


《仮登録通知》

被処理者兼臨時処理補助員 名倉巡

担当区分 第二窓口準用


その下に、見慣れた一文。


『苦情は左から二番目へ。』


そして、最後の行だけが別格だった。


《次案件:全宇宙規模苦情集積異常》


俺は紙を持ったまま、しばらく何も言えなかった。


だって、家賃を払えなくて人生が詰みかけていた底辺配信者に、次の仕事として提示される文字列じゃない。規模感が狂っている。時給もたぶん見合わない。


なのに、胸の奥のどこかが、最低だと思うくらい少しだけ高鳴っていた。

もし少しでも「名倉、頑張って家賃払えよ」と思っていただけたら、下の**【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして「受理(ポイント投入)」**していただけると、筆者の手取りが……あ、いえ、執筆のモチベーションが上がります!


評価、ご感想などお待ちしております。

※作品への苦情につきましては、新宿駅地下、左から2番目の窓口までお願いいたします。

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