第7話 テレパシーで会話ができても仕事の愚痴が減るわけじゃない
夜の整理券って、昼より性格が悪い気がする。
昼の番号札はまだいい。病院でも役所でも銀行でも、待たされる覚悟で取るものだからだ。だが夜の番号札は違う。人は夜になると、待つことそのものに機嫌を削られる。そこへ番号の重複なんて起きたら、揉め事はたいてい秒で育つ。
その夜の現場は、臨海部の複合施設ナイトプラザだった。観光客向けの深夜イベントと地元住民向け相談会を同じフロアでやるという、企画会議に酒でも入っていたのかと疑う運営である。
俺が到着した時点で、すでに空気は終わりかけていた。
「A-17は私です!」
「いや、こっちもA-17だ!」
「なんで三人いるんだよ!」
知らんがな。言いたいが、それを言ったら俺の仕事が終わる。
入口横の簡易カウンターには、同じ番号札を握った人間が四組も固まっていた。若いカップル、宇宙観光客の親子、酔った会社員、なぜか浴衣姿の配信者。全員、自分こそ正しい順番だと主張している。全員ちょっとだけ間違っていて、全員ちょっとだけ可哀想だ。
九条さんは設営卓の端末を睨んでいた。
「発券機は正常です」
「正常で同番号が四枚出たら、もうそれは機械のほうが嘘ついてます」
「ログ上は一枚です」
「じゃあ紙が増殖してる」
「その表現が近いです」
近いのかよ。
俺は客の前に出た。こういうとき大事なのは、正解を言うことじゃない。正解が出るまで誰も殴り合いに移行しないよう、時間を買うことだ。
「すみません、順番の正しさはあとで確認します。まず、いま何の用件で並んでるかだけ教えてください」
酔った会社員が苛立った声を上げる。
「順番の話してんだろ!」
「順番は逃げません。でも困りごとは先に分けないと、全員まとめて遅れます」
強めに言うと、相手はだいたい半歩下がる。俺の声には説得力より疲労が乗っているらしく、変にリアルなのだろう。
結果、A-17の四組はこう分かれた。
カップルは返金相談。観光客親子は迷子端末の誤作動。会社員は落とし物。浴衣配信者は無許可配信を止められた件への抗議。
全員、窓口が違う。
「よかったですね」と俺は言った。「あなたたち、同じ番号なのに同じ用事じゃない」
誰もよかった顔をしなかったが、殴り合いは止まった。それで十分だ。
その間にも、別の列でB-04が二枚、C-12が三枚と増え続ける。発券エラーというより、夜の空気から番号札がにじみ出てくる感じだった。実際、案内係の一人は震え声で言った。
「誰も押してないのに、プリンタが勝手に……」
見れば、発券機の排出口に細い紙が垂れている。誰の手も触れていないのに、新しい番号が静かに吐き出される。ホラーとしては地味だが、窓口ホラーってたぶんこういう地味さがいちばん効く。
九条さんが紙をつまみ上げた。
「受付番号A-31。用途未分類」
「用途未分類って何です」
「正式受理に至らなかった案件の残留票です」
さらっと怖いことを言うな。
つまり昼間、誰かがどこかで訴えたけど、受理されず、保留され、曖昧に流された苦情が、夜になると番号だけ戻ってくる。成仏できない相談内容みたいなものだ。そう考えると、この街はだいぶ窓口に呪われている。
「夜だけ出る理由は?」
「日中の正規窓口が閉まると、行き場を失った案件が補助網へ流れます」
「川じゃないんだから」
「でも流れています」
否定できないのが嫌だ。
俺は簡易ホワイトボードを引き寄せ、でかく三本線を引いた。
返金、保留確認、今すぐ対応。
「番号は一回忘れてください!」
マイクで言うと、数人が露骨に嫌な顔をした。だが続ける。
「いま同じ番号が複数出ています。紙の順番で争っても進みません。用件ごとに分けます。返金、確認、緊急。この三列です!」
観光客親子の父親が手を挙げる。
「迷子端末はどれだ?」
「いま子どもがいないなら緊急、いるなら確認です!」
「いる!」
「じゃあ確認!」
そうやって一人ずつ分けていく。地味だ。地味すぎる。だが現場の地獄を止めるのは、たいてい地味な分岐だ。
浴衣配信者の女は不満そうに唇を尖らせた。
「私、二十万人登録なんだけど」
「じゃあ待つ配信もできますね」
「感じ悪っ」
「今日はそれでやってます」
少し受けた。助かった。笑いは列を伸ばすけど、怒号は列を壊す。
一時間近く回して、ようやく会場の温度が下がってきた。完全な解決ではない。でも、少なくとも“同じ番号だから先に通せ”という争いは消えた。番号より内容が前に出れば、人は多少まともになる。
返金列では泣きそうだった若い男が、ようやく自分の請求先を理解して椅子に座り込んだ。確認列では迷子端末の親子が、端末に映る位置情報のズレを見て同時にため息をついた。緊急列では酔った会社員が、落とした社員証より先に自分の終電が死んだことに気づいて膝から崩れた。地獄の種類が違うだけで、みんな等しく夜に負けている。
そして不思議なことに、用件を言葉にした客ほど落ち着いていった。人は怒鳴っている間は自分が何に怒っているか見えなくなる。けれど、困りごとを一度ちゃんと口に出すと、少しだけ自分の順番を待てる。苦情ってたぶん、そういうためにある。世界を変える前に、まず自分の不運に名前をつけるためのものだ。
その裏で、九条さんは発券機の接続先を追っていた。イベント用仮設回線、市内補助受付網、観光特例端末。嫌な単語が次々画面に並ぶ。
「名倉さん、やはり第二窓口経由です」
「もう驚きませんよ」
「驚いてください。今夜は逆流しています」
「逆流?」
彼女が画面を見せる。昼に保留へ落とされた案件群が、夜間だけナイトプラザの発券機へ再送されている。住所も用件もバラバラだ。共通しているのはひとつだけ。
“正式受理未満”。
「未練の強い苦情だけ帰ってくるってことですか」
「比喩としては正しいです」
「比喩じゃなくなりそうで嫌だな」
そのとき、場内奥の増設プリンタがけたたましく動いた。係員の誰も触っていない。なのに長い紙がずるずる吐き出される。会場の照明が一瞬ちらつき、人のざわめきが止まった。
こういう演出、窓口にはいらない。
俺と九条さんが駆け寄る。紙には番号ではなく、びっしりと日時と名称が並んでいた。消えた受付、保留になった相談、未分類で戻された問い合わせ。その最後の行に、太字で一文。
『苦情は左から二番目へ。』
その下、さらに一枚、別の紙が落ちた。
短い。いつもの番号札サイズだ。
俺は拾い上げた。
受付番号A-0000。
いやな予感しかしない。しかも次の瞬間、それは当たり前みたいな顔で俺の手の中に収まっていた。自分の財布よりしっくり来るな。最悪だ。
「何て書いてあります」
九条さんに問われ、俺は紙を裏返す。
そこに印字されていたのは、用件でも窓口名でもなかった。
宛名欄。
《名倉巡様》
数秒、喉が動かなかった。
「俺、客として来てないんですけど」
九条さんの顔色が変わる。初めて見る種類の緊張だった。
「見せてください」
「嫌です」
「今だけは素直に」
「こういう紙を素直に渡して助かったことがないんですよ」
冗談半分で言ったのに、自分の声が思ったより乾いていた。
番号札の余白には、追加の文字が浮かんできた。熱を持つみたいに、じわじわと。
《あなたの苦情を受理します》
なんだそれ。
なんで俺だ。
心当たりが多すぎて逆に絞れない。家賃滞納、借金、再生数低迷、人生全般。苦情として受理されたら困るものしかない。
だが九条さんは紙ではなく、俺の顔を見ていた。
「名倉さん。今夜、ここを離れないでください」
「説明を」
「次の段階に入ります」
次の段階。そんな言葉、だいたいろくなことの前触れじゃない。
会場のどこかでまたプリンタが鳴った。
遠くのスタッフが互いに顔を見合わせ、誰も近づこうとしない。気持ちはわかる。夜のプリンタなんて、会社でも家でもろくな知らせを出さない。まして名前入りの番号札を吐く機械なら、なおさらだ。
俺は紙を握ったまま、喉の奥にぬるい鉄みたいな味を感じていた。これは借金の督促状を開く直前の感覚に少し似ている。違うのは、今回は封筒の差出人が人間ですらないかもしれないってことだ。
今度はもう、客の番号札の音には聞こえなかった。
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※作品への苦情につきましては、新宿駅地下、左から2番目の窓口までお願いいたします。




