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第10話 陰謀論より怖いのはいつまで経っても止まらない税金の督促状だ

弱小チャンネルにも、人生で一度くらいは神風が吹く。


ただし、だいたいろくでもない方向からだ。


あの黒い公用車を見た瞬間、俺は九条さんより先に逃げた。逃げたというと聞こえは悪いが、厄介な大人の笑顔が見えたときにとるべき行動としてはかなり正しい。社会人経験が豊富になるほど、穏やかな男のほうが怖いと知る。怒鳴る人間はまだわかりやすい。静かに近づいてくるやつは、たいてい契約書か始末書を持っている。


「名倉さん!」


背後で九条さんが呼んだが、俺は振り返らなかった。走りながらスマホを胸ポケットへ突っ込み、駐車場のフェンス沿いを抜け、海浜公園の自販機まで一気に逃げた。コンビニの明かりが見える場所まで来て、やっと息をつく。


買ったのは百十円のブラックコーヒーだ。財布の残高は笑えないが、こういうとき甘いものを飲むと現実が勝手に優しくなるので逆に怖い。


スマホを見る。

非通知音声記録。

再生。


『次の苦情者が到着します。左から二番目で、お待ちください。』


何度聞いても気持ち悪い。だが、気持ち悪い映像や音声に人生を預けている人種がいる。俺だ。都市伝説系底辺配信者、名倉巡。怖がるだけなら一般人、上げるなら配信者である。


「いや、でも……」


俺は自販機の横でうろうろした。上げるか。上げないか。九条さんの顔が浮かぶ。たぶん駄目だと言う。たぶんじゃないな、絶対言う。でも俺の頭には別の数字も浮かんでいた。家賃滞納、カードの請求、編集ソフトの更新料、そしてチャンネル登録者数八千九百四十三人。


一万にも届かない。

動画一本で世界は変わらない。

だが一本の動画が、朝食くらいは変えるかもしれない。


俺は最悪の理屈で、自分を押し切った。


部屋へ戻ると午前四時だった。六畳一間、流し台の横に積んだカップ麺、洗ってないマグカップ、ポストから持ち帰った督促ハガキ。人が秘密組織に追われても、部屋だけは底辺のままなのがつらい。


俺はすぐ編集を始めた。音声は一部だけ。場所が特定される背景音は切る。九条さんの声も削る。女の声を中心にして、テロップを最小限に入れる。


《深夜の行政施設で拾った謎の案内音声》

《苦情は左から二番目へ。》


タイトルは少し盛った。

『【実録】幽霊窓口から電話が来た夜 苦情は左から二番目へ。』


自分でも胡散臭いと思う。でも、胡散臭さで食っていきたいんだから今さらだ。


投稿ボタンを押したのは午前五時十二分。眠る前に再生数を見たら、まだ十四回。うち三回はたぶん俺だ。世界は冷たい。


ところが昼過ぎ、コールセンターの休憩室でスマホを見て、俺はサンドイッチを床へ落とした。


再生数、四万三千。

コメント、一千二百超。

登録者、九千台から一気に一万六千へ。


「は?」


思わず声が出た。

隣でカップ麺をすすっていた同僚が顔を上げる。


「どうした名倉。税金でも還付された?」


「その奇跡は国家が嫌う」


コメント欄は地獄みたいに賑わっていた。


《これ聞いたことある》

《祖母が昔、区役所で似た声を聞いたって言ってた》

《左から二番目って何?》

《消される前に保存した》

《都内某所の地下だろ》

《怖いより腹立つ系》


腹立つ系って何だよと思ったが、わかる。わかるのが嫌だ。


昼休みが終わるまでに、さらに通知が増えた。DM、メール、匿名フォーム。自分も同じ音声を聞いた、自分の相談だけ記録が消えた、提出した被害届が存在しないことになった、あの案内文を見たことがある。都市伝説にしては、生々しすぎる証言ばかりだ。


俺は浮かれた。

正直に言えば、かなり浮かれた。


仕事帰りの電車で、広告に映る自分の顔が少しマシに見えたくらいには浮かれた。登録者二万人が見えた。企業案件までは遠くても、少なくとも家賃の督促より先に数字が伸びている。それだけで人は簡単に夢を見る。


でも、その夢は夕方に壊れた。


最初の異変は、コメントの消失だった。

会社近くの喫煙所脇でスマホを開くと、一時間前までいた証言者たちの書き込みがごっそり消えていた。運営削除にしては不自然だ。煽りや荒らしじゃない、具体的な相談内容ばかりが抜かれている。


次にDM。スクショを送ってきた女性がいた。区の相談窓口へ提出した被害届の控え。受付印まである。それなのに、同じ番号で照会したら「該当なし」と返されたという。


さらに、匿名フォーム経由で動画が届いた。駅構内の案内所。老人の男性が「昨日ここで紙を書いた」と訴えている。職員は困った顔で、記録がないと繰り返す。背後の壁に、小さく例の文句が見えた。


『苦情は左から二番目へ。』


俺は動画を見たまま、喉が乾いた。

バズってる場合じゃない。


その晩、部屋へ戻ると動画の再生数は十万を超えていた。人生初だ。なのに全然うれしくない。コールセンター時代からわかっている。人が一番拡散したがるのは、問題が解決した話じゃない。揉めている最中の話だ。つまり俺の動画は今、誰かの未解決を燃料にして伸びている。


「最悪だな……」


俺は机に突っ伏した。視界の端でノートPCの通知が跳ねる。新着コメント。


《投稿主さん、消される前に次も出してください》

《被害届の画像あります》

《うちの兄も急に記録が消えた》

《これ、役所じゃなくてもっと上の話では》


もっと上。そういう曖昧な言い方は都市伝説動画としてはご褒美だ。だが現実で言われると胃が痛い。


俺は迷った末、証言を整理するライブ配信を始めた。顔は出さない。音声だけ。深夜二時の境界線、臨時配信。視聴者は最初三百、十分後に千、三十分で二千を超えた。


「えー、今日は変な音声の件で集まってもらってます。まず言っとくと、俺も全部はわかってません。わかってないけど、届出が消えるとか、受付番号が飛ぶとか、そういう証言は笑えないので」


コメント欄が流れる。速い。底辺配信者には贅沢な速度だ。


《うちの母の介護相談も消えた》

《旅行保険の請求も飛んだ》

《左から二番目って非常口の意味?》

《投稿主の部屋特定した》


最後のやつは帰れ。


配信は盛り上がった。盛り上がりすぎた。視聴者の一人が、都内某区の相談窓口へ今から凸すると書き込んだ。別の誰かが、地下施設を探すと言い出した。冗談まじりでもまずい。俺は慌てて止めた。


「やめろやめろ、突撃は駄目です。証拠が欲しいのはわかるけど、現場の一番下にいる人を困らせるだけだから」


言いながら、自分がその火種を投げた張本人なのが痛かった。


結局、配信は一時間で切った。録画を非公開に変え、動画の概要欄へ「現場への接触は禁止」と追記する。遅い。あまりにも遅い。


その直後、スマホに九条さんから着信が来た。


出るしかない。


「もしもし」


『何をしましたか』


挨拶ゼロ。完全に正しい。


「ちょっと動画を」


『ちょっとで窓口三か所が混乱しています』


「すみません」


『すみませんで済む段階なら電話していません』


声は低いのに怒鳴っていない。そのせいで余計に胃が縮む。


『届出記録が消えている相談が増えています。あなたの動画に釣られて表へ出てきた人たちの訴えまで、追跡対象になった可能性がある』


「追跡対象って、誰の」


一拍、沈黙。


『それを今から確認します。動画を一旦下げてください』


「でも証拠が」


『証拠より先に、人が消えます』


その一言で、背中に汗が走った。


俺は即座に動画を限定公開へ変えた。伸び続けていた数字が止まる。いつもなら泣くところだが、今はそれどころじゃない。証言フォルダをローカルへ保存し、スクショを全部残す。そういう手つきだけは仕事で覚えた。


保存が終わる頃、コメント欄へ新しい書き込みが一つ付いた。投稿者名は数字と記号の羅列。捨てアカだろう。内容は短かった。


《左から二番目を追うな。受理されるのは苦情だけじゃない》


ふざけてるのか本気なのか、文章だけじゃわからない。

でも、その文の下にだけ、自動翻訳でもつかない妙な注記が付いていた。


《内部転送済》


俺は画面を見たまま、しばらく動けなかった。

そのとき部屋のチャイムが鳴った。こんな時間に来る相手なんて、借金取りか、もっと悪い何かだ。

もし少しでも「名倉、頑張って家賃払えよ」と思っていただけたら、下の**【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして「受理(ポイント投入)」**していただけると、筆者の手取りが……あ、いえ、執筆のモチベーションが上がります!


評価、ご感想などお待ちしております。

※作品への苦情につきましては、新宿駅地下、左から2番目の窓口までお願いいたします。

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