第11話 宇宙船の違法駐車は警察じゃなくてこっちの窓口に言え
深夜のチャイムほど、人の人生を平たくする音はない。
恋人でも親友でもない。宅配でもない。午前零時を回ったチャイムは、たいてい請求か警告だ。俺の人生統計ではそうなっている。だから一回目が鳴った時点で、心臓はもう帰りたがっていた。
二回目。
三回目。
「しつこいな……」
俺は息を殺して玄関へ寄り、ドアスコープを覗いた。
見た瞬間、帰りたくなった。
昨夜、駐車場で黒い公用車から降りてきた、あの白い歯の男が立っていた。年齢は四十前後。濃紺のスーツ、柔らかい笑顔、手には紙袋。宗教勧誘みたいに穏やかなのに、目だけが徹夜明けの官僚みたいに乾いている。
「名倉さん。起きておられますよね」
起きてるのが見える言い方をするな。
無視も考えたが、俺のアパートのドアは薄い。無視して帰る相手ならいい。でも、こういう人は帰らない。静かに居座る。隣人に通報される未来が見えたので、俺はチェーンを掛けたまま少しだけ開けた。
「どちらさまですか」
「真壁です」
名字しか名乗らないやつにろくなのはいない。
「どこの」
「細かく言うと長くなります」
「短く言うと」
「あなたが動画で触れてしまった案件の、後片付けをしている側です」
最悪の自己紹介だった。
真壁は紙袋を持ち上げた。
「差し入れです。コンビニのプリン」
「事情聴取に甘味を添えるな」
「夜分ですので」
「優しさの置き所が間違ってる」
だが、ここでドアを閉めたら面倒になる気しかしない。俺は部屋の惨状を三秒で見回し、諦めた。どうせ見られるなら徹底的に見られよう。底辺の部屋は隠しても底辺だ。
「散らかってますけど」
「安心してください。もっとひどい部屋を見てきました」
励ましになってない。
真壁は靴を脱いで上がると、流し台の横の折りたたみ机に紙袋を置いた。プリンが三つ。気が利いているようで、三つという数が逆に怖い。俺と、九条さんと、自分の分か。もう会食の予定に組み込まれてるのか。
案の定、その二分後に九条さんが来た。
ノック一回、開ける、無言で入る。人の部屋を現場扱いする手際が良すぎる。
「やっぱり来てましたか」
「九条さんこそ」
「あなたが動画を上げたからです」
言い返せない。
六畳にスーツ二人。圧がすごい。俺は自分だけ床に座り、なぜか被告席みたいな気分になっていた。
真壁はプリンのスプーンを丁寧に並べながら言った。
「本題に入りましょう。まず、動画に使った音声データと、視聴者から届いた証言記録を全て提出してください」
「嫌です」
我ながら即答だった。
「ほう」
「提出した瞬間、消える未来しか見えないので」
真壁は笑った。怒るでもなく、褒めるでもなく、なるほどと言う顔だ。その顔が一番嫌いだ。人を駒として評価しているときの顔だから。
「賢明ですね。では訂正します。提出ではなく、保全協力を依頼します」
「言い換えても食われる側なのは同じです」
九条さんが腕を組んだまま口を開いた。
「真壁さん。名倉さんに回りくどい交渉は向きません」
「雑に言えば?」
「今夜中に証言データを避難させないと、当人たちまで消える恐れがあります」
俺は顔を上げた。
「やっぱり消えるんですか」
真壁の笑顔が、そこでほんの少しだけ薄くなった。
「記録が消える、という言い方が正確です」
「人が記録で管理されてる社会で、それは同じでしょうが」
彼は否定しなかった。
俺はノートPCを引き寄せ、受信フォルダを開いた。匿名フォーム、メール、DM、スクリーンショット。適当に見えた投稿群にも、規則がある。送信時刻が深夜二時台に偏り、消えた届出の分野は生活密着の相談に集中している。家賃、介護、保険、移動、労災。派手な陰謀じゃない。明日の朝困る人間から順に沈んでいく。
真壁は画面を見ながら静かに言った。
「左から二番目は、もともと安全弁として設計されました」
「安全弁?」
「全ての苦情を表へ積むと、制度が持たない。だから一時的に横へ流す。整理して、落ち着いたら戻す。そのはずでした」
「そのはずばっかりだな」
「組織とはそういうものです」
聞きたくない正論だった。
「でも戻らなかった」
九条さんが低く言う。
「後回しは、後回しのまま腐ります」
部屋が少しだけ静かになった。冷蔵庫のうなる音がやたら大きい。
俺はメール一覧を眺めながら、ある名前に目を留めた。高城悠衣。夕方に被害届の控えを送ってきた女性だ。返信しても戻ってきていない。だがその三分後、新着着信が鳴った。非通知。
三人同時に画面を見る。
出たくない。だが出なかった後悔のほうが高そうだった。
「もしもし」
息が荒い。雑音。走っている音。
『……名倉、さん……?』
若い女の声だ。メールの文面と同じ、妙に丁寧な言葉づかい。
『さっき、送った者です。高城です。あの、記録が消えて……今、区役所の別館に来いって……通知が……でも受付がなくて……』
背後でドアが閉まる音がした。
『誰もいないのに、声だけして――』
ぶつ、と通信が乱れ、女声が割り込んだ。
『苦情は左から二番目へ。』
俺は立ち上がっていた。
「場所は」
『中央区、旧合同庁舎の……地下……』
通話が切れた。
一拍置いて、真壁が先に動いた。紙袋からプリンを回収しながらなのが腹立つくらい冷静だ。
「車を回します」
「普通そこ、データ保全より先に人を助けるんですね」
「人が消えるとデータも消えますから」
理屈は最低だが、今は速いほうがいい。
十分後、俺はまた黒い公用車の後部座席に押し込まれていた。九条さんが隣、真壁が前。車内は新車みたいに整っていて、俺の部屋よりよほど人権がある。
「高城さんって、何の相談を?」
九条さんがタブレットを見ながら答える。
「宇宙観光保険の不払い。弟さんが事故に巻き込まれ、補償対象外として戻された案件です」
「また保険か」
「表では門前払い、裏では保留、第二窓口では優先度低」
「最悪の三冠王だな」
真壁がミラー越しに俺を見た。
「名倉さん。あなたの動画は軽率でしたが、結果的に沈んだ案件を浮かせた」
「褒めてます?」
「採点しています」
やっぱり嫌な顔だ。
旧合同庁舎は、とっくに使われなくなった灰色の建物だった。入口の自動ドアは死に、臨時封鎖の紙が斜めに貼られている。だが地下へ降りる非常階段の鍵だけが開いていた。
嫌な予感しかしない。最近それしか言ってない気がするが、嫌な予感を更新し続ける世界が悪い。
階段を下りると、湿った空気の中で、女の声がかすかに反響していた。
『受付番号をどうぞ』
『苦情は左から二番目へ。』
『ただいま受理中です。』
九条さんが小さく舌打ちした。
「旧式案内が移設されています」
「移設って、勝手に機械が引っ越すんですか」
「運ぶ人間がいる、ということです」
そこだ。
この話の一番嫌なところは、怪異っぽい見た目の裏に、いつも人間の手があることだ。
地下廊下の突き当たり、半開きの扉の向こうに、高城悠衣はいた。床に座り込み、スマホを握りしめている。目の前には無人の受付台。そこだけ明かりがつき、整理券プリンタが動いていた。
A-0118。
A-0119。
A-0120。
誰もいないのに、番号だけ増える。
「高城さん!」
俺が呼ぶと、彼女ははっと顔を上げた。
だがその瞬間、奥のスピーカーから女声が柔らかく響いた。
『第一応答者を確認しました』
ぞわりとした。
『深夜二時の境界線。運用観測、継続中』
真壁の顔から初めて笑みが消えた。
「……なるほど。そういう使い方ですか」
「何の話です」
彼は答えず、低く言った。
「名倉さん。あなたの配信活動は、偶然ではありません。誰かが見ています」
その直後、無人受付の奥で、まだ見えないはずの誰かが、静かに椅子を引く音がした。
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※作品への苦情につきましては、新宿駅地下、左から2番目の窓口までお願いいたします。




