第12話 救世主の募集要項に「交通費支給」と書いてないのは大抵ブラックだ
人がいないのに椅子を引く音がする場所へ、自分から入っていく日が来るとは思わなかった。
思わなかったが、来た。
人生とは、だいたいこういう形で予定表の外から殴ってくる。
高城悠衣さんは受付台の前で膝を抱えていた。スーツ姿の若い女性で、目の下の隈が深い。たぶん俺と同じ種類の疲れ方をしている。寝不足と不安と、ちゃんと訴えたのに誰にも受け取られなかった人間の顔だ。
「立てますか」
俺が手を差し出すと、彼女は一瞬だけためらってから掴んだ。手が冷たい。
「すみません……本当に、誰もいないんです。なのに、番号だけ出て」
「知ってます。俺も今、その意味わからなさと付き合ってる最中なので」
安心させたいのに、言葉があまり頼もしくない。だが嘘を言うよりはマシだ。
受付台の奥は小さな窓口スペースになっていた。防弾ガラスでもなければ豪華な端末でもない。古い木製カウンター、時代遅れの受話器、番号札プリンタ、パイプ椅子が一脚。問題は、その椅子がわずかに揺れていたことだ。
誰も座っていないのに。
「ひっ」
高城さんが息を呑む。俺も内心では同じ声が出た。ただ、男の見栄という無駄な文化があるせいで、口に出せなかった。
真壁が先に窓口へ近づいた。
「電源は生きていますね」
「まずそこから入るんですか」
「電源が死んでいる怪異は珍しいので」
変な経験値を持つな。
九条さんは端末の配線を目で追っていた。壁の裏へ伸びるケーブル、天井の古いスピーカー、埃を被った配電盤。その横に、剥がれかけのラベルがある。
《左列第二補助》
俺は小さく息を吐いた。
「左から二番目って、やっぱりただの比喩じゃないんだな」
「ええ」
九条さんは短く答えた。
「もともとは列配置の呼び名だった可能性が高いです。正面窓口が複数並んでいた頃の」
「それが文句みたいに残った」
「運用語は、たいてい人の口癖になって残ります」
嫌な残り方だ。
そのとき、スピーカーがまた点いた。
『受付番号A-0121。お困りごとをどうぞ』
誰も番号を取っていない。なのに、会話だけが勝手に始まる。
俺は受付カウンターを覗き込み、すぐ気づいた。番号札の束が、机の上ではなく床へ落ちている。しかも散らばり方が変だ。最近のものだけ足元、古いものだけ椅子の下へ押し込まれている。
「……これ、人が座ってた形だ」
「何ですって」
高城さんではなく、九条さんが反応した。
俺は椅子の位置を示した。
「ここに誰かが座って、取った番号札を足元へ落としてる。無人でプリンタだけ動くなら、紙は机の上に溜まる。足元に集中するのは、人が雑に処理したときです」
「処理、って」
「声だけじゃない。誰かが一回はここにいた」
真壁がしゃがみ込み、床の紙束を拾い上げる。番号順は飛び飛びだ。A-0113、A-0114、A-0118。抜けがある。抜けた番号だけ、誰かが持ち出した。
「相談内容を書かせて、都合の悪いものだけ抜いたか」
真壁が言った。
「また人間かよ」
俺は思わず吐き捨てた。
怪異ならまだ納得できた。いや、できないけど、人間よりは腹が立たない。人間はいつも、仕組みを言い訳にしながら人を置き去りにする。
しかも厄介なのは、こういう人間の仕事ほど見た目が地味なことだ。銃も呪文もいらない。古いテンプレと欠番処理と、あと少しの無責任があれば十分。被害者は自分が消されたことに気づく頃には、証拠まで順番待ちに並ばされている。派手さがないぶん、ニュースにもならない。だから腐る。誰も見ない冷蔵庫の奥のタッパーみたいに、静かに、確実に、悪い色へ変わっていく。
俺は床の番号札を拾いながら、妙に腹が立っていた。高城さんの弟の件だって、たぶん最初は一行だったはずだ。事故、照会中、補償確認、以上。それを何人かが順番に“あとで”へ積み替えて、気づけば家族ごと崖の外だ。たらい回しって言葉、ずっと軽すぎると思っている。本当は、もっと鈍器みたいな名前に変えるべきだ。
「ここ、相談した人はみんな一人で来たんですか」
俺が尋ねると、高城さんは小さくうなずいた。
「通知に、本人確認のため単独でって……書いてありました」
「最悪だな」
単独で呼べば、証言は薄くなる。誰も見ていないところで待たせれば、記憶も削れる。よくできてる。感心したくない方向へ、すごくよくできてる。人の弱る順番を知ってるやつの手口だった。
真壁は拾った番号札の束を机に並べながら言った。
「だからこそ、今夜ここへ来た事実を複数人で持ち帰る必要があります」
「珍しくまともなこと言いますね」
「私はだいたいまともです」
「自分で言うやつは信用できない」
それでも、その一言で少しだけ落ち着いた。少なくとも今夜、この場所で起きたことを“なかったこと”にしたい側ばかりではない。そう思えるだけで、膝の震えは少しマシになる。
高城さんは震える声で言った。
「弟の件も、最初は保険会社から宇宙観光側へ回されて、そのあと区の相談課から別窓口へって……何回も、たらい回しで」
「最後にここへ来させられた」
「はい。『担当が左から二番目へ変わりました』って通知が来て……普通の案内だと思って」
その文面、わざと日常へ紛れさせてる。
俺は歯を食いしばった。
九条さんが旧式端末へ外部記録を接続し、画面を開く。表示されたのは第二窓口の旧運用記録だった。年月日は十年以上前からある。驚きはしない。こういうやつは絶対長く腐っている。
項目は簡素だった。
未受理、要保留、再振分、一次応答者、継続処理者。
そして最後に、適合。
「適合って何です」
俺が聞くと、九条さんはほんの一瞬だけ迷ってから答えた。
「案件ではなく、処理側の話です」
「処理側?」
「苦情を受ける人間にも向き不向きがある。怒鳴られても折れない、規程外でも状況を読む、責任者不在でも暫定判断ができる」
「そんな便利な人材、いたら最初に壊れますよ」
「だから足りなくなるんです」
乾いた答えだった。
真壁が画面をスクロールし、さらに下の備考欄を示した。そこには手入力の短文が並んでいた。
《継続処理者候補、現場から抽出》
《第一応答者に観測反応あり》
《配信記録から傾向取得》
俺は嫌な汗をかいた。
「配信記録?」
誰もすぐには答えない。
答えないってことは、答えそのものだ。
「まさか俺のチャンネル……」
真壁が肩をすくめた。
「都市伝説系の配信者は、境界案件への感応を見るには都合がいい」
「人の人生をペットカメラみたいに扱うな」
「観測はしても、強制はしていません」
「勝手に採点してる時点で強制寄りだろ」
高城さんが不安そうに俺を見た。ごめん、内部の人間と揉めてる場合じゃない。
俺は呼吸を整え、椅子の裏へ手を伸ばした。なぜかそこだけ、古いガムテープの跡がある。剥がしかけのラベルも見える。端をめくると、下からもう一枚、さらに古い紙片が出てきた。
《九条補助員席》
場が止まった。
俺は紙片と九条さんを交互に見た。
「……え」
九条さんの顔色がわずかに変わる。ほんの少しだ。でも、彼女をここまで動揺させるものは珍しい。
「昔、いたんですか。ここに」
彼女はすぐには答えなかった。
やがて、観念したように言う。
「研修配属です。かなり前に」
「かなり前って」
「まだ、ここが完全な裏へ落ちる前です」
「じゃあ知ってたんじゃないですか。左から二番目の始まりを」
九条さんは目を伏せた。
「知っていました。知っていて、止めきれなかった」
高城さんの息づかいが浅くなる。真壁も珍しく何も言わない。
俺は紙片を握りしめたまま、妙に腹が立っていた。責めたいのか、責めたくないのか、自分でもわからない。ただ、ずっと無機質だと思っていたこの窓口が、急に古傷みたいな顔をしたのが嫌だった。
そのとき、椅子の下からもう一枚、折れ曲がった番号札が出てきた。
A-0001。
裏面には手書きで一行だけ。
《初回受理者 九条霧絵》
そしてその下に、にじんだインクで続きがある。
《次の処理者は、夜の配信をする男》
「おい」
声が出た。
こんな雑な予言状、受け取りたくない。
だがもっと嫌だったのは、九条さんの顔が、それを初めて見る顔ではなかったことだ。
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