第5話 役所の窓口がいつも混んでるのはわざと嫌がらせでやってるに決まってる
朝の路地裏でいちばん見たくない光景は、光るゴミ袋である。
それも、クリスマスのイルミネーションみたいに楽しい光り方じゃない。濡れたアスファルトの上で、青緑の内臓みたいな色がじわじわ脈打っている。しかも臭い。甘ったるいのに金属っぽくて、鼻の奥に薄い火花が散る感じがする。人類がまだ慣れていない種類の不快感だった。
午前五時三十二分。俺は九条さんの電話で叩き起こされ、寝ぐせのまま現場へ連れて来られていた。
「名倉さん、吐かないでください」
「第一声がそれですか」
「昨日、似た案件で三人吐いています」
先に言え。
場所は商店街の裏路地、ゴミ集積所の前だった。燃えるゴミの黒袋が四つ、猫よけネットの下でぼんやり発光している。袋の口から漏れた粘液みたいなものが地面を走り、排水溝の金網に張りついてじゅう、と音を立てていた。
近所の人たちは、起き抜けの顔で遠巻きにしている。ジャージ姿の店主、犬の散歩中の老人、寝間着にカーディガンだけ羽織った若い母親。誰も近づきたくないのに、目は離せない。そんな距離感だ。
「不法投棄よね?」
「いや、放射能じゃないのか」
「うちの店の前、昨日から変な客いたんだよ」
憶測が増える速さって、火事の煙と同じだ。放っておくとすぐ天井に溜まる。
俺は鼻を押さえながらしゃがみ込んだ。袋の表面は、コンビニ袋みたいな柔さじゃない。妙に厚くて、熱で少し縮れている。印字された回収区分は消えかけていたが、貼り紙だけが読めた。
《地球圏一般廃棄》
雑。雑すぎる。そんな大ざっぱな区分、この国のゴミ行政が許すわけない。
「九条さん、これ普通の回収ルートじゃないですね」
「見ればわかります」
「じゃあ言いますけど、怖いのは発光そのものじゃないです」
俺は周囲の住民を見た。全員、同じ方向を気にしている。排水溝だ。つまり、こいつが流れて広がるのが嫌なのだ。
「みんな心配してるの、家の前に変なゴミがあることより、これがどこまで行くかです。店の前、子どもの通学路、排水、そういうやつ」
九条さんはすぐに商店街側へ視線を飛ばした。
「通路封鎖と回収車停止をかけます」
仕事が早い人は会話が短くて助かる。
その間、俺は集積所の札を調べた。町内会の当番表の横に、誰かが貼ったらしい小さな注意書きがある。油で汚れて読みにくいが、一行だけ妙にはっきりしていた。
『苦情は左から二番目へ。』
もう驚かない自分が怖い。なんなんだよ、この街の隠しコマンド。
回収班が防護服で到着するまでのあいだ、近所の人たちの話を聞いた。すると、昨夜の一時ごろ、屋上すれすれを飛ぶ銀色の清掃艇みたいなものを見たという証言が三件。さらに、二丁目の角で見慣れない業者が大型ケースを積み替えていたという話が一件。
「業者のトラック、ロゴ見ました?」
犬の散歩中だった老人が眉を寄せる。
「月みたいな丸に、変な矢印。あと番号がやたら長かった」
それだけで十分だった。観光船の下請けは、だいたいロゴが胡散臭い。
若い母親は不安そうに子どもの手を握っていた。
「学校、今日は休ませたほうがいいですか」
「この道は使わないほうがいいです」と俺は答えた。「ただ、怖いから全部休めって話じゃないです。遠回りになるけど、川沿いの広い道ならたぶん大丈夫」
彼女は少しだけ肩の力を抜いた。人は“絶対安全”より、“今日どうすればいいか”を教えられると動きやすい。
店主の男は口をへの字にした。
「営業どうすんだよ。朝の仕込み全部この前通るんだぞ」
「それも被害です。店の売上の話、あとでちゃんと聞かせてください」
「そんなの、聞かせたところで補償なんかされるのか?」
「されるかどうかの前に、まず残します」
自分で言って、いまの俺、ずいぶん第二窓口の反対側みたいなことを言うようになったなと思った。最初に記録する。たったそれだけのことが、この街では妙に難しい。
九条さんの車で二丁目の角へ回ると、たしかにアスファルトに粘液の乾いた跡があった。トラックの停車痕と、重いケースを引きずった線。路地裏はいつも誰かのごまかしが雑に残る。
さらにたどると、古い倉庫の前に一台だけ小型回収車が停まっていた。白い車体、無地。だが無地の業者ほど信用できないものはない。
運転席から出てきた男は、まだ三十代くらいなのにひどく疲れた顔をしていた。手袋を二重にしている。
「何ですか」
「その前に、あなた吐いたことあります?」と俺は聞いた。
「は?」
「あるなら話早いです。ないなら、いまからあるかもしれません」
九条さんが横で身分を示すと、男の肩が目に見えて落ちた。逃げたい顔だ。逃げたい人間は、責めるより先に出口を見せるとしゃべる。
「責任追及の前に確認です」と俺は言った。「昨夜の回収品、どこから受けました」
「……指示があっただけです」
「どこから」
「地上窓口じゃない。地下の……」
男はそこで口を閉じた。だが、遅い。
「地下の何です」
「知らないほうがいいですよ」
「いまそのセリフ、いちばん信用できません」
男は唇を湿らせ、倉庫の中を一度だけ見た。そこには銀色の密閉ケースが何個も積まれていて、どれも赤い札を巻かれている。札の角がこちらからでも読めた。
第二窓口経由。
「うちはただの外注です」と男は早口になった。「決められた時間に受け取って、決められた焼却施設に回すだけで。中身なんか知らない。だけど、第二窓口から来た品は触るなって、先輩みんな言うんです」
「どうして」
「正式な記録にないからです」
朝なのに、背筋が冷えた。
回収車の荷台には、今朝の発光袋と同じ素材のものがさらに二つ積まれていた。ひとつの継ぎ目から青い液がにじみ、床のゴムを焦がしている。
「これ、一般廃棄じゃないですよね」
男は笑いそうな顔で笑わなかった。
「一般って書いとけば、一般になることもあるんですよ」
最悪の現場格言を聞いた気がした。
「誰がそう決めたんです?」
「うちはコードでしか受けません。左二案件、深夜便、保留焼却。そういう呼び方だけです」
左二。
略称まであるのかよ。最初は不気味な都市伝説みたいだった言葉が、現場用語の顔をし始めているのが嫌だった。
九条さんはその場で回収停止を決め、倉庫ごと封鎖した。俺は住民側の聞き取りへ戻り、被害が出そうな範囲を一軒ずつ確認した。喉の痛み、臭い移り、店先の汚損、排水への不安。怖さを具体名に変えるだけで、人は少し落ち着く。
「この匂い、パンに移るかな」
商店街のベーカリー店主が言う。
「移る前提で考えたほうがいいです。今朝焼いた分は一回分けて保管してください」
「売れなくなったら終わりだぞ」
「その記録も残します。写真、袋、時間、全部」
「そんな細かく?」
「あとで“被害が曖昧です”って言われるので」
言いながら、自分で嫌になる。もう完全に、戦う前提で記録を勧める人間になってるじゃないか。だが現実がそうなんだから仕方ない。
昼前、現場は一応の沈静化を見た。発光袋は密閉回収、排水溝は応急洗浄、商店街は午前営業を見合わせ。完全に笑える状況ではない。でも最悪は避けた。
九条さんが車の屋根にもたれて言う。
「名倉さん、あなた本当に苦情の芯だけは拾いますね」
「褒められてるのか職能が地味すぎるのか判断に困ります」
「両方です」
だろうな。
商店街の奥では、営業を止めたパン屋がシャッター越しに中を拭いていた。犬の散歩をしていた老人は、さっきより短いリードで犬を歩かせている。派手な解決じゃない。ただ、人がそれぞれの生活へ戻るための動きだけが、少しずつ再開していた。
そういう光景を見ると、苦情って面倒の別名じゃなく、生活を元に戻すための最初の合図なんだとわかる。放っておくと厄介だから嫌われる。でも、誰かが拾わないと路地裏のゴミみたいに腐って光り出す。
対策室へ戻る前、俺はもう一度倉庫の前を見た。封鎖テープの向こう、銀色のケースのひとつに黒いマジックで走り書きがあった。
《左二へ回送済》
発光していたのはゴミ袋だけじゃない。
この街の裏側で流れている回収ルートそのものが、だんだん輪郭を持ちはじめていた。
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※作品への苦情につきましては、新宿駅地下、左から2番目の窓口までお願いいたします。




