第25話 偉い奴ほど責任を取りたがらずにハンコの角度だけ気にする
記者会見って、だいたい最初の三分で勝負が決まる。
壇上の水の置き方、司会の声の張り、パネルの色。そういうどうでもよさそうな部分が全部「今日はもう終わってますよ」という空気を作る。仕事で謝罪会見に同席したことがある人ならわかると思うが、内容より先に温度が決まるのだ。
つまり火消しって、まず部屋から始まる。
正午の会見場は、見事なくらい“終わった空気”で整っていた。
白いバックパネル。やたら明るい照明。『地球圏夜間観光安全対策の強化について』という、読んだ瞬間に眠くなるタイトル。入り口では職員が丁寧に頭を下げ、資料一式を配っている。紙が分厚い時の会見は信用するな、と昔どこかで学んだ。厚い資料は説明が多いんじゃない。埋めたい部分が多いだけだ。
「吐きそうです」
俺は受付の横で言った。
「正常です」
九条さんが返した。
「私も同じです」
そう見えないのがすごい。こっちはネクタイ一本で心拍数が変わる人間なのに、九条さんは今日もいつもの顔だ。ただ、資料を持つ指先だけ少し硬い。
真壁さんは後方席、マックスは別の通路側に散った。役割分担はもう決まっている。九条さんが公式資料の矛盾を押さえ、真壁さんが映像系、マックスが保険用語の裏づけ、俺が質問を入れる。
質問を入れる、って言うと簡単だ。
現実には、感じのいい敵が作った舞台へ、感じよくない真実を差し込む作業である。
堂前透は予定時刻ぴったりに現れた。
やっぱり腹が立つくらい感じがいい。スーツも笑顔も姿勢も、全部が“ちゃんとしている”。たぶんこいつ、コンビニで温めを断る時ですら相手を不快にさせない。でも、そういうやつほど人を地味に沈める。
「本日は、お忙しい中ありがとうございます」
柔らかい声で始まる。
事故件数は限定的であること。夜間案内体制は改善済みであること。観光客と市民の安全確保を最優先にしていること。誤解を招く情報の拡散は避けてほしいこと。
見事なものだった。
嘘を一つも言わずに、核心だけを外していく。
『限定的』は、比較対象を言わなければ無敵だ。
『改善済み』は、何を改善したか言わなければ勝てる。
『誤解を招く情報』は、自分に都合の悪い事実もまとめて包める。
こいつはその全部を知ってる顔で、淡々と配っていく。
質問タイムが始まった瞬間、記者たちの手が挙がった。案の定、最初は無難なものばかりだ。再発防止策、観光客対応、経済損失の見通し。堂前は丁寧に答える。丁寧すぎて、逆に腹が立つ。
その流れを切ったのは九条さんだった。
彼女は所属を名乗り、資料番号を指定して尋ねた。
「本日配布資料三ページでは、夜間導線の整理により混乱は解消したとあります。一方、庁内改修申請では、地下多文化窓口閉鎖後に別棟Bへ仮設案内設備を移設した記録があります。この“仮設案内設備”は、具体的に何を指しますか」
会場の空気が、ほんの少しだけ止まった。
いい質問というのは、怒鳴らない。
逃げ道だけを先に塞ぐ。
堂前は笑顔を崩さなかった。
「多言語対応を補助するための一時的な案内設備です」
「案内のみですか。受理機能はありませんか」
「正式な受理は所定窓口で行っています」
“正式な”を足した。逃げの一手だ。
俺はそこで手を挙げた。司会が一瞬だけ嫌そうな顔をしたが、もう遅い。マイクが来る。
「名倉です」
会場の何人かがこっちを見た。たぶん覚えているやつもいる。底辺配信の人間が、なんでここにいるんだという顔だ。俺もだいたい同じ気持ちだよ。
「一点だけ確認です。正式受理じゃない導線で、相談者に番号札を渡し、別コードで処理する運用はありますか」
堂前の目が、ほんの少しだけ細くなった。
やっとだ。
こいつの顔に、人間っぽい動きが出た。
「そのような事実は確認しておりません」
柔らかい。
ほんとに柔らかい。
だから嫌なんだよ。
俺は続けた。
「では、L-2という処理コードをご存じですか」
今度は会場全体がざわついた。記者は略号が好きだ。意味のわからない二文字三文字には、本能的に寄ってくる。
堂前は一拍だけ間を置いた。
「個別コードについては、現在精査中です」
来た。
知らないとも、知っているとも言わない。
その間の一拍が答えだ。
俺は後方を見た。真壁さんが小さくうなずく。九条さんも視線だけで合図してくる。ここだ。
俺はスマホを会場の音声端子に繋いだ。司会が止めようとしたが、記者会見場の人間は“再生”という動作に弱い。何かが鳴るとなれば、反射で静かになる。
ノイズが一瞬。
古い案内機特有の、息の抜けた電子音。
それから、女の声が会場に流れた。
> 『苦情は左から二番目へ。』
たったそれだけだ。
たった一文なのに、妙に温度が下がった。
俺はそのまま言った。
「別棟Bの旧式端末に残っていた案内音声です。同じ文言は地下窓口、保険約款、多言語緊急カードにも出ています。受理されなかった案件二十七件が、この導線で別名義処理されていました」
記者たちが一斉に手元を見る。資料をめくる音。タイピング音。ざわめき。会見ってほんと現金だ。匂いが変わると、全員の目の色まで変わる。
堂前はなおも笑顔を保とうとしていた。
だが、今までみたいな余裕の角度じゃない。
「音声ファイル単体では、運用の実態は断定できません」
「だから資料を揃えて来ました」
俺は言った。
「受理番号、搬送ログ、別棟Bへの移設記録、L-2付与案件一覧、保険側用語照合。順番に見れば、誰でも同じ結論に辿れます」
“誰でも同じ結論に辿れる”。
その言い方は、たぶん堂前がいちばん嫌う。感情論じゃなく、実務の話になるからだ。
記者の一人がすぐに食いついた。
「その“左から二番目”とは具体的に何ですか。案内文ですか。コードですか」
別の記者も重ねる。
「未受理案件との関連は」
「保険会社との接続は」
「地球側被害者も含まれるのか」
一斉だった。
いいぞ、そのまま行け。
火消しの舞台は、火元の説明会に変わり始めていた。
堂前が水に手を伸ばした。初めて見た。こいつが時間を買う動作を。
しかもその手つきが、妙に丁寧だった。丁寧に蓋を開け、丁寧にグラスを持ち、丁寧に一口だけ飲む。時間稼ぎまで感じがいいのかよ、と内心で毒づく。だがそういう整い方が崩れた瞬間は、逆に目立つ。会場の記者たちも、いまこいつが答えではなく間を飲み込んだと理解したはずだ。
それだけで充分だった。
完全勝利なんかじゃない。まだ意味は割れてないし、相手の逃げ道も残っている。だが少なくとも、“解決済みのいい話”では終わらなくなった。
この会場で、あの文言が公に鳴った。
しかも厄介なのは、あの一文が意味不明なくせに、妙に耳へ残ることだ。『苦情は左から二番目へ。』たったそれだけなのに、会場にいた全員が“普通の案内じゃない”とわかってしまう。意味を知らない人間まで違和感だけは共有できる。火消しって、その違和感がいちばん嫌いだ。説明の外に残る焦げ跡だからだ。
それはでかい。質問の順番すら、もう向こうのものじゃない。それが会見では致命傷になる。壇上の主導権が落ちた証拠だ。
堂前はグラスを置き、静かに言った。
「ご質問の趣旨は理解しました。ただし、その文言の意味については、国際運用に関わるため——」
国際運用。
出た。
都合が悪くなると、急に世界が大きくなるやつだ。
会場のざわめきはさらに強くなった。
俺はマイクを握り直した。次に来るのは、たぶん脅しだ。
そして脅しが出るということは、その文言に本当の意味があるということでもある。
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※作品への苦情につきましては、新宿駅地下、左から2番目の窓口までお願いいたします。




