第24話 手取り十八万で救える世界は思っている以上に狭い
人はだいたい、片づける時に本性が出る。
机の上を綺麗にするか、見えない引き出しへ全部押し込むか。俺の人生は後者寄りだった。郵便物は積むし、家賃の督促は見なかったことにするし、動画のコメント欄は都合の悪い意見から先に閉じる。
だからこそ今、苦情の行き先を取り戻す作業が、妙に骨身にしみた。
隠された声って、派手に奪われるわけじゃない。
だいたいは、ちょっと横へずらされる。
正規の列から外されて、別の箱に入れられて、その箱のラベルだけ綺麗に貼り替えられる。そうして最後には、最初から存在しなかったみたいな顔をされる。
「受理番号ごとに束ねます」
俺は言った。
「相談票、搬送ログ、保険コード、口コミ統制依頼、監視映像の時刻。全部、同じ列に戻す」
「“戻す”が大事ですね」
九条さんがうなずいた。
「新しい物語を作るんじゃない。消された順番を元に戻す」
その言い方がよかった。
陰謀を暴くとか、闇を討つとか、そういう大げさな単語は今の俺にはいらなかった。必要なのは、受理されるべきものを受理の列へ戻すことだけだ。苦情処理って、突き詰めればそこに尽きる。
別棟Bで撮れた写真、旧式端末の接続記録、地下窓口の旧案内音声、L-2表記の入った保険約款、多言語緊急カード、そして被害者の相談票。机の上に並べると、世界でいちばん陰気な宝探しの成果みたいだった。
マックスは銀色の旅行ケースから、今度は保険会社の認証記録を出した。こいつの旅行ケース、もはや手荷物じゃない。訴訟の胚だ。
「これでL-2が社内俗称ではないと証明できる」
「ありがとう。観光客のくせに資料持ちすぎだろ」
「苦情を軽く見られた客は、だいたい書類が増える」
名言みたいに言うな。妙に真理だから困るけど。
真壁さんは監視映像の抜き出しを終えていた。別棟Bへ台車が出入りしている。深夜。備蓄管理名義。だが台車の上には、明らかに窓口端末のサイズの箱が積まれている。
「移設時の映像です。地下多文化窓口閉鎖の翌週」
「閉鎖してないじゃん」
「閉鎖したことにしただけです」
そこへ九条さんが、庁内通知の控えを出した。
《夜間多言語苦情対応の効率化に伴い、臨時整理導線を設置する》
導線。ほんと便利な日本語だ。
人を連れていく時も、責任を逃がす時も使える。
俺はホワイトボードに一本の線を引いた。
事故。
相談。
左から二番目。
L-2。
保留。
別名義事故。
口コミ統制。
未受理確定。
線は真っ直ぐだった。綺麗すぎるくらい。
「こんなの、ずっとやってたのか」
自分で書いておきながら、胃が沈んだ。
一件だけなら揉み消しだ。十件なら組織ぐるみ。二十七件を超えると、もう運用思想になる。
堂前透が嫌なのは、こいつが悪人っぽく振る舞わないところだ。謝罪もするし、説明も丁寧だし、論点の交通整理までうまい。たぶん本人の中では、本当に“必要な調整”なんだろう。
受理しない方が混乱は減る。
炎上しない方が街のためだ。
観光客の機嫌を損ねない方が経済にいい。
そうやって、たぶん一件目を通してしまった。
一件目を通した人間は、二件目から急に上手くなる。
「名倉さん」
九条さんが俺を見た。
「顔」
「どんな顔ですか」
「殴り込みを考えてる顔です」
バレるの早いな。
「考えるだけなら自由ですよ」
「今日は自由を制限します」
「強権的だなあ」
「ええ。あなたがまた単独で飛び出さないように」
まったくもってその通りなので、反論できない。
代わりに俺は、作業へ逃げた。
受理番号ごとにファイルを作る。相談者の名前は伏せる。だが内容はぼかさない。どういう事故で、どこで受理から外され、何という名目に薄められ、どの映像・音声・約款がそれを裏づけるか。一本の案件ごとに、誰でも辿れる形へ直していく。
苦情処理の仕事って、怒ってる人をなだめるだけだと思われがちだ。
違う。
たとえば相談者が泣きながら十分しゃべったとして、その十分をそのまま制度へ入れても、制度の方は平気でこぼす。要点がずれていた、記録様式に合わない、裏づけが足りない、その一言で終わる。だから受ける側は、感情を薄めるんじゃなく、消されない形へ組み替えなきゃいけない。誰が、いつ、どこで、何を言われ、どの番号で外され、どの文言で別名義になったか。冷たい作業だ。でも、その冷たさがないと、あの人たちの熱は“取り乱した訴え”として片づけられる。
本当に大事なのは、あとから来た人間でも同じ結論に辿れるよう、順番と論点を残すことだ。
つまり記録だ。
記録があれば、感じのいい嘘は剥がれる。
配信画面にも、その整理済みファイル名だけを映した。内容までは出さない。けど、件数が増えていく様子は隠さない。視聴者は相変わらず多くない。でも今はそれでいい。派手に燃やすより、消せなくする方が先だ。
夜が明けかけた頃、最後の線が繋がった。
旧案内音声のファイル名に残っていた《LEFT-2》。
別棟Bの端末接続ログ。
保険側緊急カードの《secondary holding intake》。
口コミ統制会社が旅行会社へ返した報告書の一文。《対象案件は現地一次処理完了》。
全部同じ意味だった。
受けないことを、受けたことにする。
俺はペンを置いた。
「行ける」
真壁さんが息を吐く。
「はい。これなら再受理の根拠になる」
九条さんも、短くうなずいた。
その瞬間だった。
彼女の端末が震えた。庁内一斉通知。
嫌な予感しかしない音というのは、だいたい高級感がある。無駄に澄んだ電子音が部屋に鳴った。
九条さんが文面を開き、数秒だけ黙った。
「どうしました」
「先に打たれました」
画面をこちらへ向けられる。
《本日正午、地球圏夜間観光安全対策に関する記者会見を実施します。登壇:統括調整官 堂前透》
俺は思わず天井を見た。
「うわ、やると思ったけど、いちばん嫌な形でやるな」
「事故収束の成果発表でしょう」
真壁さんが言う。
「先に“もう解決済み”の空気を作るつもりです」
そうだろう。被害者が何を言おうが、正面の会見で“安全は確保された”“不安を招く誤情報に注意してほしい”とやられたら、世論は簡単に持っていかれる。
火事の時に大事なのは水より先にマイクを握ることだ、とでも思ってる連中のやり口だ。
だが一方で、俺たちにも意味はあった。
堂前が公の場に出る。
つまり、こっちの証拠を公の論点へ刺せる。
逃げ場のない壇上に、あの文言を持ち込める。
それは少し怖かった。裏で証拠を積む作業には、まだ逃げ道がある。机の上で失敗すれば、ファイルを閉じてやり直せる。でも会見場は違う。言った言葉は戻らないし、噛んだ沈黙まで誰かのメモになる。俺みたいな元しょぼ配信者が、感じのいい公務用の壇上へ出ていくのは、正直かなり場違いだ。
それでも行くしかない。今ここで尻込みしたら、あの人たちの相談票はまた“確認中”とか“調整中”とかいう綺麗な墓標の下へ埋まる。苦情の行き先を取り戻すってことは、最後には人前で『そこへ返せ』と言うことなんだ。要するに、感じよく黙るのをやめるってことでもある。俺はその練習を、たぶん今まで一度もしてこなかった。だが今回は逃げる方が高くつく。そういう計算だけは、もう嫌というほど覚えた。
「名倉さん」
九条さんが静かに言った。
「もう裏だけでは終わりません」
俺は通知画面の時刻を見た。正午。あと数時間。
眠気はあったが、それより胃の奥が変に冷えていた。
正面からやるしかない。
敵が会見場を押さえたなら、こっちはその会見を苦情窓口に変えるまでだ。
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評価、ご感想などお待ちしております。
※作品への苦情につきましては、新宿駅地下、左から2番目の窓口までお願いいたします。




