第23話 世の中の「隠された真実」は大抵誰かの入力ミスから始まってる
苦情は一人で受けるな。
言葉だけなら新人研修で百回は聞く。実際の現場では、だいたい百一回目から破られる。手を挙げたやつに案件が寄るし、寄った案件はそのまま人生に住みつく。俺なんかまさにそれで、気づけば借金とクレームだけが同居人だ。
だから、この当たり前を自分で守るのが一番難しい。
「俺が地下の配線図を見ます」
反射で言った瞬間、九条さんと真壁さんがほぼ同時に俺を見た。二人とも、よくない犬を見つけた飼い主の顔をしている。
「名倉さん」
「はい」
「今のは“また一人で走り出します”の宣言です」
九条さんの指摘は的確すぎて痛い。
真壁さんまで珍しく続いた。
「今夜は、あなたが一番走ってはいけない人です」
「そんなに信用ないですか」
「あります。だから止めています」
正論で殴るのやめてほしい。効くから。
俺は椅子に座り直した。残り時間は一時間半を切っている。ここで拗ねてる暇はない。拗ねるのは人間の権利だが、たいてい締切の前では贅沢品だ。
「わかりました。分担します」
「本当に?」
「その聞き方だと今までの俺がよほど信用ないみたいじゃないですか」
「事実確認です」
ひどいが事実だ。
俺はホワイトボードを消して、役割を書き直した。
九条さんは庁舎改修記録と旧案内系統の移設申請。真壁さんは入退館ログと物品管理。マックスは保険約款にあるL-2中継先の英語版・多言語版照合。俺は通話録音と案内音声、それから相談者の証言の言い回しを洗う。
「苦情の現場って、みんな最初に同じことを言うわけじゃないんです」
俺は説明した。
「でも、たらい回しの案件は途中から言い回しが揃う。案内された側が同じ文句を覚えさせられるから」
マックスがうなずく。
「観光客も同じだ。『現地で対応済み』と言わされる」
「そう。それです」
人間は自由に怒るくせに、疲れると定型文になる。そこが逆に痕跡になる。
作業を始めて二十分ほどで、俺は録音群の中に妙な揃い方を見つけた。相談者が地下窓口へ回された時、案内の最後に同じ一言を足されている。
《そのまま奥の保管口までお進みください》
保管口。
普通、窓口案内でそんな言い方はしない。冷蔵庫の搬入口かよ。
俺は該当時刻を抜き出し、真壁さんに送った。
「この“保管口”って、庁舎内にあります?」
数分後、返事が来る。
《現行図面にはありません。旧物品搬入口に近い表現です》
嫌な感じがした。苦情を受ける場所の名前じゃない。物をしまう場所の名前だ。
「人を物みたいに扱う時の語彙ですね」
九条さんが低く言った。
彼女は改修申請の束をめくっている。高速だが雑ではない。紙をめくる音が、会議室の空気を削っていく。
「三年前、地下多文化窓口の一部機材が“災害備蓄倉庫横の仮設案内設備”として移設されています」
「災害備蓄倉庫?」
「名目上は、夜間の外国人対応強化です」
「便利だな、その言い訳」
「便利だから乱用されます」
ほんとに役所の怖いところはそこだ。嘘をつく時ほど、公的に正しい文章を使う。
マックスがケースの底を探り、また妙なものを出してきた。観光保険会社の緊急連絡カード。地球向け注意事項の欄に、日本語訳と英語が並んでいる。
《In case of complaint escalation, follow local Left-2 routing and proceed to secondary holding intake.》
「二次保管受付」
俺は読んだ。
「受付って書いてあるのに、保管なんだな」
「苦情の受理ではなく、一時保留の意味だろう」
マックスが言う。
「保留って、都合いい言葉だな」
「地球語で最も便利な逃げ道の一つだ」
そこは否定できない。
俺は相談者たちの証言を見直した。『左から二番目へ案内された』『閉まっているのに職員がいた』『奥へ行けと言われた』『番号札を渡したら戻ってこなかった』。これまでバラバラだった違和感が、急に倉庫っぽい輪郭を持ち始める。
番号札を受け取る。
案内する。
奥へ通す。
本窓口では受理せず、別系統へ回す。
つまり地下窓口は、駅で言えば改札じゃない。乗り換え通路だ。
その瞬間、真壁さんが入退館ログを投げてきた。
「見つけました」
画面には、深夜帯だけ不自然に出入りしている業者コードが並んでいた。清掃、設備点検、備蓄管理。肩書きは地味だ。でも地味な肩書きほど人を運べる。台車一つで怪しまれないから。
「行き先が全部、別棟Bの備蓄倉庫横通路です」
「地下じゃなくて別棟」
「ええ。地下窓口の機材移設先とも一致します」
九条さんが続ける。
「しかも改修図では、そこだけ監視カメラ更新が遅れています。古いアナログ系統が一時的に残されていた」
古いアナログ。
俺はその単語で、嫌な記憶が蘇った。あの地下のモニターから流れた機械音声。あの喫茶店で聞いた録音の“閉じているのに生きている”気配。あれは終わってなかった。終わったふりをして、場所だけ変えていた。
前の俺なら、この時点で一人で走ったと思う。別棟B。備蓄倉庫。夜間通路。いかにも潜入向きの単語が並びすぎている。底辺配信者の悪い血が騒ぐ。
でも今回は違った。
「俺、行きません」
自分で言って、自分で少し驚いた。
九条さんも一瞬だけ目を上げた。
「珍しいですね」
「自分でもびっくりしてます。でも、今ここで俺が走ると、また全部台無しになるんで」
苦かった。正しいことを言っているのに、負けを認めるみたいで。
たぶん今までの俺は、“自分で行かない”を臆病と同じ箱に入れていた。でも違う。行かないことで残る証拠もある。任せることで進む列もある。
しかも、一人で抱えないと決めた瞬間、案件の見え方まで変わる。俺が聞き逃していた言い回しを九条さんが拾い、俺がただの設備名だと思った語を真壁さんが入退館記録に繋ぎ、マックスは保険の文言を人間の悪意へ翻訳してくる。苦情って、怒っている人間が一人いるだけの出来事じゃない。受ける側が何人で立つかで、潰されるか残るかが決まる。
苦情を一人で受けないのと同じだ。
一人で背負うと、相手の怒りと自分の失敗が全部くっつく。そうなると、整理できない。誰が何を言ったかも、どこでズレたかも、最後にはぐちゃぐちゃになる。
「だったら私は現場写真を取りに行きます」
真壁さんが立ち上がった。
「入退館許可は私の方で通します」
九条さんも即答する。
マックスまで手を挙げた。
「俺は保険側コードの正式名称一覧を出す。L-2を公文書に近い表現で固定できる」
なんだこれ。急にチームっぽい。
気恥ずかしくなって、俺はわざと軽口を叩いた。
「じゃあ俺は会議室担当です。地味で似合う」
「重要です」
九条さんが真顔で言う。
「名倉さんがここで時系列を崩さないのが、今夜いちばん大事です」
こういう時だけちゃんと褒めるの、ずるいんだよな。
一時間後、真壁さんから写真が来た。
別棟B、備蓄倉庫横通路。灰色の金属扉。上には小さく《仮設夜間受付資材室》と貼ってある。資材室。いよいよ人間を通す場所の名前じゃない。
だが決定打は、扉のガラスの向こうに映っていた。
古い乳白色の案内端末。
そして、その横にぶら下がった、見覚えのある小さな札。
《苦情は左から二番目へ。》
地下窓口じゃない。
本当に生きていたのは、こっちだ。
俺は写真を拡大した。端末の脇に、番号札の束まで映っている。
「見つけた」
喉がひりついた。写真一枚でここまで決まるのは、たぶん今まで積んだ全員分の手間があったからだ。
移設先は、別棟Bの備蓄倉庫横。
閉鎖中の地下窓口は囮で、本命は最初から別の場所で動いていた。
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※作品への苦情につきましては、新宿駅地下、左から2番目の窓口までお願いいたします。




