第22話 最後に笑うのは強い奴じゃなくて締切をギリギリで守る奴だ
残り一時間五十七分、とかいう数字は、人間の判断力をじわじわ腐らせる。
爆発まであと五秒、みたいな派手さはない。ないくせに、やたら嫌だ。電子レンジの残り時間が長いと腹が立つのと同じで、こっちはログ削除まで二時間弱あるせいで、逆に全部自分でやれそうな気がしてくる。
その感覚が一番危ないと、今夜だけで三回は学んだ。
「名倉さん、顔が『俺が徹夜で全部なんとかする』の顔です」
九条さんが言った。
「そんな顔、免許制にしてほしいですね」
「もう取得済みです」
嫌な国家資格だな。
俺は冷めたコーヒーを流し込み、机の上の列を見た。相談票、番号札、搬送記録、仮番号の控え、観光客側の事故コード一覧。紙と画面の境目がだんだんなくなってきて、会議室全体が巨大な苦情箱みたいになっている。
マックスはいつもの銀色の旅行ケースを開けていた。相変わらず荷札だらけだ。国際便を三回くらい乗り継いだスーツケースみたいな顔をしているが、中身はもっとひどい。保険認証票、旅行会社の事故通達、レビュー補償規定、現地サポート履歴。宇宙観光、夢はあるが書類は一切かわいくない。
「では説明する」
「その言い方、だいたい長いんだよな」
「短くもできる。地球の役所と同じだ。事故は隠す。保険は分類する。レビューは薄める。以上」
「最悪の要約ありがとう」
でも本質ではあった。
マックスが取り出したのは、薄い透明シートに印字された事故コード表だった。地球側では『案内ミス』『未受理』『搬送遅延』『接触事故』みたいな味気ない名前で記録されている案件が、観光保険側では別の名義に変換されている。
《旅行満足度低下事象》
《移動導線上の一時的混乱》
《現地処理による補償不要案件》
腹が立つくらい綺麗な言い換えだった。
「苦情じゃなくて満足度低下」
俺は声に出した。
「怪我じゃなくて導線上の混乱。補償を払わない理由が先に書いてある」
「はい」
九条さんが淡々とうなずく。
「行政側で受理されなかった案件が、観光客側では“受理不要だったことにされる事故”として処理されています」
「言葉だけ磨いて地獄を出してくるな」
真壁さんがモニターを二枚並べた。一枚は庁内の搬送ログ。もう一枚は、マックスから受け取った保険事故照合画面。名前は当然一致しない。だが、時刻と場所と人数を重ねると、綺麗すぎるくらい同じ列が出る。
午前一時十四分、二名搬送。
午前一時二十七分、未受理取消。
午前一時三十一分、旅行事故コードL-2付与。
その並びが、一件だけじゃない。何本もある。
俺は思わず笑ってしまった。
「笑うところですか」
九条さんが言う。
「いや、笑わないと机をひっくり返しそうなんで」
ほんとにそうだった。
苦情処理の現場って、怒鳴る人が一番怖いわけじゃない。いちばん怖いのは、怒鳴らせる前に名前を変える連中だ。苦情を苦情じゃない箱へ入れ替えた時点で、その人間は“文句の多い客”じゃなく“統計処理のノイズ”になる。そうやって、痛い目に遭った人間の言葉はぜんぶ薄まる。
俺は相談票の端を指で押さえた。
あの夜、案内所に並んでいた人たちの字。震えた字、崩れた字、他人に書いてもらった字。あれが今、観光保険の画面の向こうでは《一時的混乱》になっている。
ふざけるな、と思う。
ただ、怒る順番を間違えると負ける。
「マックス、L-2ってなんだ」
「正式名称は長い」
「短く」
「地球圏臨時苦情迂回経路」
部屋が少し静かになった。
俺は聞き返した。
「迂回?」
「そうだ。正規受理が難しい案件を、観光客保護の名目で別系統へ送る仕組みだ。地球ローカルの運用として登録されている」
「難しい案件って、誰にとって」
マックスは珍しくすぐ答えなかった。
代わりに、ケースの底から古い約款の写しを出した。端が擦り切れている。付箋だらけだ。こいつ、クレーマーというより訴訟準備室だな、と改めて思う。
「保険会社にとっては、高額補償と口コミ悪化が同時に起きる案件だ。旅行会社にとっては炎上案件だ。行政にとっては外客受け入れ失敗の統計になる。だから、全員が“正規窓口の外で丸めたい案件”だ」
「利害一致、最悪のやつか」
「そう」
真壁さんが画面を指さした。
「見てください。L-2付与案件だけ、庁内の位置情報欄が空欄です」
俺たちは一斉にモニターへ寄った。
通常の搬送ログには、受付ブース番号や対応室番号が出る。地下窓口経由の案件ですら、少なくとも建物コードは残る。だがL-2だけが違った。
《受付地点:----》
《処理地点:----》
《参照窓口:L-2》
番号だけある。場所がない。
「これ、入力漏れじゃないですよね」
「同じ欠損が二十七件連続です。もはや様式です」
九条さんの言い方は冷静だったが、眼鏡の奥の目は完全に冷えていた。
俺はホワイトボードに書いた。
行政。
保険。
口コミ。
そして三つを線で結ぶ。
事故が起きる。相談者が来る。左から二番目へ送られる。行政の正規記録から落ちる。保険では別名義の事故になる。レビュー統制側で“現地対処済み”として薄められる。
やってることは、洗濯だ。
しかも白くするんじゃない。何が汚れだったか見えなくするための洗濯。
「堂前の仕事、ほんと見えなくすることなんだな」
「はい。しかも彼一人ではありません」
九条さんが言う。
「制度が共犯です」
重い一言だった。
でも、妙に納得もした。感じのいい敵が一人いるだけなら、こんなに長く続かない。窓口の書式、保険の約款、口コミの補償規定、搬送の処理順。全部が少しずつ同じ方向を向いていたから、ここまで人が消えた。
俺は相談票と事故コード表をさらに突き合わせた。被害者のうち何人かは、観光客本人じゃない。巻き込まれた地球側の店員、通行人、バイト、配送員。なのに観光保険側で案件管理されている。つまりこれは“観光客のための非常ルート”ですらない。
「保険の利用者じゃない地球側被害までL-2に入ってる」
「巻き添えはまとめて現地処理扱いだ」
マックスが肩をすくめた。
「旅行は思い出が大事だからな」
「最悪の観光標語やめろ」
笑えないのに、少し笑ってしまう。そうしないと胃が持たない。
その時、限定配信のチャット欄に一件だけ通知が出た。視聴者一。無言。昔の俺なら、こんな夜中に一人見てくれるだけで泣いたかもしれない。今は違う。誰が見ているかより、あとで誰が消せなくなるかの方が大事だ。
俺はカメラに向かって、机の上を映した。
「記録します。地球側未受理案件と、観光保険側L-2案件の時刻一致を確認。対象二十七件。たぶんまだ増える」
自分の声が、少しだけ仕事っぽい。
その直後だった。
真壁さんが別窓を開き、息を止めた。
「名倉さん。これ」
そこには、L-2参照窓口の詳細欄が表示されていた。期待した住所や部屋番号はない。代わりに、短い記号だけがある。
《Route Ref: LEFT-2 / relay only》
「リレーのみ?」
「窓口じゃないのか」
俺は言った。
九条さんがすぐに続ける。
「少なくとも、本拠ではありません。地下窓口は終点ではなく、中継点です」
背筋が冷えた。
あの閉鎖中なのに生きていた窓口。あれは秘密の部屋じゃなかった。もっと嫌なものだ。ただ渡すだけの口だった。
つまり、肝心の“行き先”はまだ別にある。
しかも住所がない。
残り時間は、一時間三十二分。
俺はホワイトボードの『左から二番目』の横に、大きく書き足した。
本体は別。
やっと繋がったのに、いちばん大事な場所だけ、まだ地図に載っていなかった。
しかも、向こうはそれを知った上で隠している。だったら次は、地図じゃなく扉を探す番だった。
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※作品への苦情につきましては、新宿駅地下、左から2番目の窓口までお願いいたします。




