第21話 宇宙でも保険金が下りない理由はだいたい書類の不備だ
武器って言うと、もう少しかっこいいものを想像していた。
銃とか剣とか、せめて工具箱とか。
現実は違う。
付箋、スキャナ、コンビニのコピー機、充電ケーブル、安い配信用ライト。あと冷めたコーヒー。俺たちの反撃準備は、だいたいそんな感じで始まった。
場所は真壁さんが押さえた会議室。正確には、監査補助名目で借りた空き室。長机三つ、ホワイトボード一枚、空調は強すぎ、蛍光灯は容赦ない。創作物なら秘密基地っぽさが欲しいところだが、現実の秘密基地はたいてい会議室である。
机の上には、左から順に山ができていた。
相談票。
番号札。
写真。
録音。
搬送ログ。
「地味だな」
俺が言うと、九条さんは即答した。
「地味なものほど消されやすいです」
「名言っぽい」
「現場です」
この人、たまに台詞だけ主人公みたいになる。
俺はスマホを三脚に固定し、配信準備をした。ただし公開はしない。限定保存。時刻と手元が映ればいい。誰が何をいつ並べたか。それを残すための配信だ。
「今日はバズ狙いじゃないんですね」
真壁さんが書類を仕分けながら言う。
「たまには社会の役に立つ配信者になろうかと」
「たまに、ですか」
「毎日は疲れるので」
マックスがホワイトボードに意味不明な記号を書いている。あとで翻訳対応表だとわかったが、見た目は宇宙語の落書きだ。
「観光客側の事故コードと地球側の再分類コード、対応がある」
「早く言えよ」
「今言ってる」
腹立つが有能だ。
俺たちは役割を分けた。九条さんが過去案件の文言整合。真壁さんが監査ログと搬送記録。マックスが観光客側のコード変換。俺は証言と現場の時系列を一本にまとめる。
俺も自分の前にノートを開いた。ただ気合いで働くのは今日でやめる。苦情処理は、怒鳴られながらでも順番を守ったやつが最後に勝つ仕事だ。だからまず列を作る。被害内容、最終確認時刻、最後に接触した窓口、消えた番号、残っている証拠。項目を固定すると、昨日までバラバラに見えていた案件が、急に同じ机の上へ乗ってくる。
「名倉さん、それ何です」
九条さんがのぞき込む。
「聞き取り票の簡易版です。相手に最初から全部しゃべらせないためのやつ」
「最初から全部しゃべらせない、ですか」
「はい。説明させればさせるほど、疲れたほうが負けるんで」
言ってから、自分でも少し驚いた。これまで俺はこの手の技術を、生活のための小手先みたいに扱っていた。でも今は違う。疲れた人間を途中で落とさないための手すりとして、ちゃんと使うべきものに見えていた。
苦情処理って、派手な説得術じゃない。相手が途中で諦める仕組みに、せめて一か所でも逆向きの段差をつくる作業だ。そんな地味なものが、今夜はたしかに武器になりつつあった。
前の俺なら、ここで全部自分で抱えようとしただろう。いや、たぶん今でも半分くらいそうしたい。人に任せるのが苦手というより、途中で失うのが怖いのだ。小さい頃からそうだった。手放した瞬間、自分の番がなくなる気がする。
でも今は、手放さないと間に合わない。
列は一人では作れないから。
俺は出張所に並んだ相談者たちの特徴を、ノートに書き起こしていく。母親と娘。杖の老人。咳き込む若者。みんなの証言を仮名で並べ、対応する番号札と相談票を結ぶ。すると見えてくるものがあった。
消された案件は、完全に消えていない。
受理前取消のあとに、別の場所で仮番号が振られている。仮番号が消えたあと、搬送記録だけ残る。搬送記録のあと、観光客側の事故コードに薄く接続する。一本一本は細い。でも束ねると、堂前の“誤差”が誤差じゃなくなる。
「ここです」
九条さんが紙を差し出した。
古い内部通達。文面は硬い。
《高負荷相談案件については二次案内経由を原則とする》
「二次案内って」
「左から二番目です」
やっぱりか。
「しかも文案作成者が、当時の私です」
その声が少しだけ低かった。
俺は顔を上げる。
「責任感じてます?」
「感じています」
すぐ答えた。
「でも今は、その文言がどう使われたかを止めるほうが先です」
強い。こういうところ、腹が立つほどちゃんとしている。
俺は笑った。
「じゃあ俺は、その文言がどれだけ人を疲れさせたかを見せます」
「適任です」
「褒めてる?」
「半分」
最近みんなそればっかだな。
夜が更けるにつれ、机の上の山は列になった。紙の列。番号の列。証言の列。全部ばらばらだったものが、同じ方向を向き始める。こういう瞬間だけ、事務仕事は少しきれいだ。
俺は限定配信の概要欄に、時刻と作業内容を書き足していく。
《23:14 案内所列の証言七件整理》
《23:48 搬送L-2と仮番号群の対応確認》
《00:11 堂前決裁文書の写し確認》
再生数はほぼゼロだ。
でもいい。今夜の視聴者は未来でいい。今この場で拍手される必要はない。消したかった側があとで困る形で残れば、それで十分だ。
そのとき、真壁さんのノートPCが鳴った。普段温厚な人が一番嫌な顔をする時って、だいたい“新着通知”の時だ。
「来ました」
「何が」
「ログ保全停止命令です」
部屋の空気が変わる。
真壁さんは画面をこちらに向けた。内部システムの通知欄。短い文面が並ぶ。
《定期保守に伴う旧ログ整理》
《不要データの一括削除》
《対象:未照合案件群/二次案内関連履歴》
堂前め。
「いつから」
「午前三時」
時計を見る。あと二時間ちょっと。
「ふざけんな。こっちは今から人間の睡眠時間を削って戦うんだぞ」
「向こうは昔からそうしてきたのでしょう」
九条さんが静かに言う。
確かにその通りだ。眠れないまま並ばされた人間の時間を、あいつらは削ってきた。
マックスが立ち上がる。
「なら対抗は速さだ。俺は観光客側ログを複製する」
真壁さんも言う。
「私は監査経由で一時停止を要求します。ただし通る保証はない」
九条さんは封筒の束を持ち上げた。
「私は二次案内の原文系統を押さえます」
三人がそれぞれ動く。
俺だけ一瞬、立ち尽くした。
前ならここで、自分も全部やると言ったかもしれない。でも違う。俺にしかできないのは、列の意味を言葉にすることだ。
誰がどこで、何回、左から二番目へ送られたか。
それを一本の話にする。笑えないところを、笑えないまま届く形にする。
実際、その前に小さな訓練もした。相談者役をマックス、窓口役を九条さんにして、俺が聞き取りの順番を決める。
「まず何を見たかじゃなく、最後に正式番号を見たのがいつか。次に、誰に別窓口を案内されたか。感想はあと。怒りもあと」
「感想は重要では?」
九条さんが言う。
「重要です。でも最初にそこへ行くと、向こうは“混乱している相談者”って札を貼りやすい」
マックスが手を挙げた。
「では観光客側の保険事故でも同じか」
「同じです。先に事実、次に処理、最後に感情。感情を無視するんじゃなくて、切り捨てられない位置へ置く」
口に出してみて、ようやくわかった。俺が共有したかったのは情報だけじゃない。握り潰されにくい話し方そのものだった。
俺はスマホのカメラを自分へ向けた。限定配信のまま、深呼吸する。
「こんばんは。いや、おはようの手前か。名倉巡です。今から、消される前の記録を残します」
喉が少し震えた。だが続ける。
「これ、いつもの都市伝説動画じゃありません。もっと地味です。番号札と紙の話です。でも、紙は人を消すし、残しもする。だから今夜は、残すほうをやります」
言ってしまうと、少しだけ腹が据わった。
画面の隅で、削除管理画面が開く。
《旧ログ整理 開始まで 01:57:42》
カウントダウンが、秒単位で減っていく。
時間切れまで、二時間弱。
つまり、やっと本当の仕事が始まるってことだ。
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