第20話 人類滅亡のピンチよりWiFiが急に繋がらない方がパニックになる
列を見ると、その街の性格がわかる。
テーマパークの列は浮かれているし、役所の列は疲れている。コンビニの列はだいたい無言で、ラーメン屋の列は妙に前向きだ。じゃあ、存在しないはずの夜間案内所にできる列は何か。
答えは簡単だった。
救われそこねた人の列だ。
L-2。荷重記録のコードをたどって、俺たちは本庁舎から二駅離れた雑居ビルへ来ていた。表向きは観光案内の出張所、夜間はシャッター半分閉め。こんな時間に観光案内へ来る人間がいるわけない、と言い切れないのが最近の世の中だが、それでも看板は白々しい。
「地味ですね」
俺が言うと、真壁さんは腕を組んだ。
「派手な不正は続きません」
「俺の配信もそう言われたい」
「あなたは先にサムネの反省を」
今日は真壁さんまで辛辣だ。
マックスは自販機の横で缶スープを振りながら、軽い調子で言う。
「観光案内で夜中に泣き顔の人間が並ぶ星は、そう多くない」
「比較対象が宇宙規模なんだよなあ」
ビルの二階、細い外階段の先に、列があった。
十二人。
母親と中学生くらいの娘。スーツの男。杖をついた老人。若いカップル。みんな静かだ。怒っていないというより、怒る段階を何周かして、いったん黙るところまで来ている顔だった。
学生みたいな細い男、作業着のままの女、子どもの上着を抱えた父親もいる。共通点は一つだけで、みんな“ここへ来るはずじゃなかった顔”をしていることだった。テーマパークの行列より沈んでいて、役所の福祉窓口より諦めている。人生の寄り道にしては、空気が重すぎる。
しかも誰も、列そのものには文句を言わない。待つのが当然みたいに、手元の紙だけを何度も確かめている。怒る気力まで受付で回収されると、人間はこんなふうに静かになるのかと、見ていて嫌な勉強になった。
列って本来、前へ進むから我慢できる。でもここは違う。進んでも受理へ近づく気配がなくて、ただ待ち方だけが上手くなっていく。その感じが、いちばん嫌だった。希望まで整列させられているみたいで、本当に。
入口の横には、小さな立て札。
《案内整理 左列二番へ》
あまりに露骨で、逆に笑いそうになった。ここまで来ると怪談の看板じゃないか。
「ずっと、看板だったんですね」
俺はつぶやく。
反復句じゃない。動線そのものだ。困った人間を、左から二番目へ寄せる。その列は、進んでいるようで進んでいない。受理の手前で何度も足踏みさせるための通路。
俺たちは離れた場所から列を見る。今は下手に騒がないほうがいい。
先頭近くにいた初老の男が、咳き込む若者へ順番を譲った。その自然さがかえってつらい。みんな慣れているのだ。ここで並び直すことに。消されないよう、怒らせないよう、丁寧に待つことに。
「俺、ずっと勘違いしてました」
「何をです」
真壁さんが聞く。
「この言葉、何かの暗号だと思ってた。実際はもっとひどい。生活の癖にされてたんですね」
苦情は左から二番目へ。
一回言われたら、次からもそこへ行ってしまう。そうやって人は、自分が後回しにされる導線へ自分の足で並び直す。制度ってすごい。悪い意味で。
俺は列の最後尾へそっと近づき、後ろにいた女性へ声をかけた。
こういう時、苦情処理で最初にやるのは“本題の前に、相手がどこで削られたか”を確かめることだ。怒っているのか、疲れているのか、もう諦めているのかで、聞き方が変わる。俺は名乗る前に、順番待ちが長いですね、とだけ言った。
「すみません。ここ、何の案内列ですか」
女性は疲れた顔でこちらを見て、少し迷ってから答えた。
「ちゃんと聞いてくれるところ、です」
その一言で、胃の奥が重くなる。
ちゃんと受理するところ、じゃない。ちゃんと聞いてくれるところ。つまり、それまで誰も聞かなかったってことだ。
女性は続けた。
「でも、最近は戻されることが多くて。番号だけもらって、あとで連絡しますって」
「連絡は」
「来ません」
当たり前みたいに言うなよ。
俺は列を見渡した。ここにいる全員が、別々の事情を持っている。でも堂前たちにとっては違うのだろう。“高負荷相談者”。“処理保留”。“観光誤差”。雑に束ねられる側の共通点なんて、本当はたった一つだ。困っていること。
他にも少しずつ話を聞いた。列の人間は、最初こそ警戒する。だが“最初から全部説明しなくていいです。消えた番号だけ確認させてください”と言うと、顔つきが変わる人が多かった。
それは俺にとって、かなりきつい変化だった。感謝されたからじゃない。そんな一言だけで、みんな少し楽そうな顔をしたからだ。つまりここへ来るまで、誰もその言い方をしてこなかった。
番号札の控え、手書きの地図、スマホの録音、診断書の写真。形はばらばらなのに、相談の芯はどれも似ていた。見た、ぶつかった、消えた、でも受理されなかった。俺はそれを一件ずつ“俺のネタ”としてではなく、列の共通項としてメモしていった。たぶん、その時からだ。俺が自分だけのスクープを追う姿勢を、少しずつ手放し始めたのは。
その時、背後から九条さんの声がした。
「名倉さん」
振り向く。彼女は息を切らしていた。珍しい。いつも温度の低い人が、今夜は明らかに急いでいる。
「ここに来ると思いました」
「怒るならあとで聞きます」
「怒りません」
さらに珍しい。
九条さんは封筒を差し出した。中にはコピー資料が数枚。削除依頼、再分類指示、搬送経路変更。どれも事務文書の顔をしているのに、内容は最悪だった。
一番下の決裁欄に、堂前透の名前がある。
はっきりと。
俺は封筒を握りしめた。
「どうやって」
「昔の伝手です。今晩限りしか持ち出せません」
「これ、決定打じゃ」
「端緒です」
現実的な人は、希望にすぐブレーキをかける。
でも今夜は、それがありがたかった。
真壁さんも資料を覗き込む。
「削除対象一覧に、佐野さんの仮IDがあります」
「じゃあ生きてる?」
「断定はまだ」
マックスが小さく舌を鳴らした。
「だが“処理済”じゃない」
その言い方に、わずかな救いが混じる。
列の先頭が少し進んだ。看板の奥から、案内係の声がする。
「お困りの内容を簡潔に。長くなる案件は左から二番目へ」
聞いた瞬間、俺の中で何かが切り替わった。
今までは、俺がどう勝つかばかり考えていた。どう撮るか、どう晒すか、どう堂前に言い返すか。もちろんそれも必要だ。でもそれだけだと、また俺ひとりの戦いになる。
違う。
守るべきなのは、この列だ。
ここに並んだ人間が、次もまた左から二番目に追いやられないこと。それを証明する並び方を、こっちで作ること。
俺は九条さんを見る。
「やり方、変えます」
「やっとですか」
「嫌味が早い」
「待ちくたびれましたので」
少しだけ、いつもの調子が戻っていた。
俺は封筒を胸ポケットへ入れ、列の端から端まで視線を走らせる。顔を覚える。靴を覚える。持っている紙の色を覚える。配信者の悪癖でもあるが、今夜は役に立つ。
誰を何回並ばせたのか、列ごと残す。
それができれば、堂前の“誤差”は誤差じゃなくなる。
その時、案内所の窓ガラス越しに、こちらを見ている男がいた。スーツ、柔らかい笑顔、感じのいい頷き。
堂前透だ。
距離があるのに、目が合ったのがわかった。
堂前は表情を崩さず、口だけでゆっくり形を作る。
――遅い。
腹が立つ。
だが今度は、腹が立つだけで終わらない。
俺は胸ポケットの封筒を叩いた。
堂前の名前が入った紙が、そこにある。
そして列の前方で、若い母親が案内係に紙を突き返されていた。
娘が泣きそうな顔で、母親の袖を握る。
俺は一歩前へ出る。
次は俺の番じゃない。
あの列の番だ。
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