第19話 宇宙人と友達になるより上司と飲みに行く方がよっぽどハードルが高い
どん底には床がない、というのは比喩だと思っていた。
違った。俺の生活を見る限り、どん底は更新制である。
潜入失敗の翌々日、俺は家賃督促の紙を前に正座していた。正座する意味はない。だが、紙を前にして足を崩していると、人として終わる速度が上がる気がする。
スマホには警告通知、未払い通知、コラボ依頼ゼロ。チャンネルのコメント欄には《最近ガチすぎて笑えない》と《でも続きは気になる》が並んでいた。視聴者は勝手だ。だが、気になると思わせてるだけまだましなのかもしれない。人生において“気になる”は、“完全に見捨てられた”より上だ。
インターホンが鳴った時、ついに退去通告かと思った。
ドアを開けたら、マックスだった。
銀髪にサングラス、季節感を無視した派手なジャケット。相変わらず、日本で生活していること自体が軽い犯罪みたいな見た目をしている。こいつを初対面で信じる人間がいたら、その人は壺も買う。
「生きてるか、ミノル」
「巡です」
「そうだった。きょうのおまえ、名前より先に生活が死にそうな顔だな」
失礼なやつだが、否定できない。
マックスは勝手に上がり、テーブルの督促状を一目見て口笛を吹いた。
「地球の赤い紙は、だいたい友だちじゃない」
「色で判断してるあたり雑だな」
「だが当たる」
それもそう。
マックスはコンビニ袋から缶コーヒーと、見覚えのない記録チップを出した。
「慰問と土産だ」
「慰問で済む部屋じゃないですけど」
「だから土産を重くした」
俺はチップを受け取る。
「何これ」
「観光客側の事故対応ログ。正規品じゃない」
「どこから手に入れた」
「聞くな。その代わり、聞いて驚け」
マックスは笑った。嫌な方向に自信満々だ。
ノートPCに変換アダプタをつなぎ、データを開く。文字化けみたいな記号列が並んだあと、自動翻訳が走った。翻訳精度は雑だが、意味は十分わかる。
《接触案件は地球側クレーム処理系統へ移送》
《観光客保護を優先》
《高負荷相談者は二番動線に集約》
《記録衝突時は人類側ログを揺らす》
人類側ログを揺らす。
「すごい表現だな」
「向こうの言い方を直訳すると、もっとひどい。地面の文句は柔らかくするとか、そんな感じだ」
地面の文句。地球人の苦情が、地面の文句扱い。
俺は笑った。笑うしかない時のやつだ。
「つまり俺ら、地球の土ぼこりみたいな扱いですか」
「だいたい」
「すごいな。わざわざ宇宙まで進出して、差別の解像度だけ上げるんだ」
マックスは缶コーヒーを開けた。
「だが面白いのはそこじゃない。向こうは地球の窓口を“便利な緩衝材”として扱ってる。つまり、堂前みたいな連中と利害が合ってる」
俺は画面をスクロールする。
事故の種類、移送先、要注意相談者リスト。そこに、自分の名前を見つけた。
《名倉巡/夜間配信者/騒音増幅型/継続処理適性あり》
「うわ」
「評価されてるな」
「全然うれしくない」
継続処理適性あり。言い換えれば、現場で使い潰すのに向いているってことだ。
しかも、その評価のいやらしいところは、半分くらい当たっている点だった。怒ってる相手の話を切らずに聞ける。面倒な現場へ行かされると、文句を言いながら結局行く。給料が安いから辞めても惜しくない。俺の人生のしみったれた長所が、そのまま“消耗前提の便利さ”に変換されている。
そう考えた瞬間、潜入で失った証拠より、自分の見積もられ方のほうがきつかった。努力とか根性とか以前に、最初から交換可能な雑巾みたいな位置へ置かれていたのだ。笑える。笑えるけど、こういう雑な見積もりをする連中は、たいてい同じところで手を抜く。
雑巾にもせめて置き場はあるのに、俺にはそれすら怪しい。権限停止中、家賃未納、動画は半炎上。社会のどこに置いても景観を悪くする家具みたいな状態だ。ここまで来ると、人生のインテリア性が低すぎて泣けてくる。
俺は椅子にもたれた。
「主人公でも何でもなかったな、俺」
せいぜい、都合のいい消耗品だ。替えが利くから前へ出され、壊れたら処理票だけ残して終わる。そういう棚に自分が並んでいたと知ると、笑いより先に妙な寒気が来る。
「安心しろ。最初からそんな顔じゃない」
「慰め方がへたくそか」
マックスは肩をすくめた。
「主人公じゃないのは悪いことじゃない。雑に使われる側だとわかったなら、雑に使う側の癖も見える」
癖。
その言葉に、少しだけ頭が冷えた。
堂前たちは、証拠を全部消しているわけじゃない。選んで揺らす。急ぐ相談者、怒る相談者、説明が長い相談者。つまり、処理しやすい形へ押し直している。だったら逆に、あいつらが嫌がるのは“処理しにくい並び方”だ。
俺は床のメモ束を並べ替えた。相談内容、受付時刻、再分類理由、削除処理担当。並べていくと、再分類理由の語尾だけが妙に揃っている。
《安全配慮上の再案内》
《本人保護のため保留》
《混乱防止の観点から未受理》
全部、親切っぽい。親切っぽい言葉は厄介だ。怒鳴ってくる相手より、心配してますの顔で入口を閉じる相手のほうが、苦情処理ではずっと手強い。
俺は赤ペンで丸をつけ、表向きの理由と実際の被害を左右に分けた。事故。失踪。健康被害。風評被害。並べ直すと、連中が隠しているのは事件の種類じゃない。受理した瞬間に責任が生える案件だけだと見えてくる。だったら、責任が一目で逃げられない並びに変えればいい。
「左から二番目に集めるのも、同じ理屈か」
「たぶんな。列は管理しやすい」
「散らすと追えない」
「そうだ」
俺はテーブルの相談票束を見る。個別に見れば重い。だが重いからこそ、まとめると効くのかもしれない。
一人ずつじゃなく、列として見せる。
そこまで考えたところで、インターホンがまた鳴った。今度こそ大家かと思って身構えたが、ドアの前にいたのは真壁さんだった。
「入っても?」
官僚っぽくない遠慮の仕方だった。
「どうぞ。今、国際的に最低な資料を見てました」
「それは興味深い」
真壁さんは部屋を見回し、督促状を二秒見てから見なかったことにした。優しさか、行政の処理能力かは判断が難しい。
「九条さんから聞きました。権限停止中でも、頭まで止まるわけではないと」
「褒めてます?」
「半分」
真壁さんはUSBを差し出した。
「佐野さんの件です。失踪として処理されていません」
「え」
「もっと悪い。入退館ログ上は、最初から入っていない」
それは知っていたつもりだったが、改めて言われると腹の底が冷える。
「ただし、例外が一つあります」
USBの中身を開く。地下搬送ラインの荷重記録だ。人の名前じゃなく、重量だけが残るシステムらしい。
午前零時十七分。予定外搬送、一件。重量は八十二キロ。
佐野さんの体格に近い。
搬送先コードは短い。
L-2。
「また左から二番目かよ」
俺は思わずつぶやいた。
真壁さんがうなずく。
「ええ。左列二番経由。人でも荷物でも、厄介なものはそこを通る」
マックスがサングラスの奥で笑う。
「いいじゃないか。導線が見えてきた」
俺は深く息を吐いた。
一人で突っ込んで失敗したばかりだ。なのに、また心が少し動いてしまう。
ただ今度は、前と違う形だった。
単独で正解を引きに行くんじゃない。
列の流れそのものを、こっちで掴む。
そのためにはまず、消された人間が一人じゃないと証明しなきゃならない。
真壁さんは帰り際、玄関で振り返った。
「名倉さん。次は一人で行かないでください」
「努力します」
「信じていません」
「ですよね」
即答だった。
ドアが閉まったあと、マックスが缶を振る。
「で、どうする」
俺は荷重記録のL-2を見つめた。
「並んでるやつらを、見に行く」
次は棚じゃない。
列だ。
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