第18話 地下通路で迷子になるのは人生の進路に迷ってる証拠だ
俺が人生で学んだことの一つに、こういうのがある。
「今ならいける」は、だいたい罠だ。
でも人間は、学んだことを毎回守れるほど賢くない。少なくとも俺は違う。
その夜、俺は本庁舎の裏搬入口から地下二階へ降りていた。理由は簡単。銀色の旅行ケースに貼られていた番号、B2-17が気になったから。相談せず、共有せず、連絡もせず。最悪の三点セットだ。もしこれで成功したら英雄、失敗したらばか。たいていは後者になる。
地下通路は、表の庁舎より新しかった。無機質な壁、床の案内線、温度だけ一定に保たれた空気。行政の裏側って、もっと埃っぽいと思っていたのに、ここは逆だった。清潔すぎて嫌だ。汚れを外へ捨ててる場所は、中がきれいになる。
B2-17の前には電子錠。
俺は昼間、継続処理者カードの仕様をこっそり調べていた。こいつ、夜間の仮保管庫なら一部通る。採用通知が嬉しくないと言いながら、利用する気満々のあたり、自分でも節操がないと思う。
カードをかざす。
ピッ。
開いた。
うわ、開くんだ。
成功した瞬間に不安が増すことってあるんだな、と実感しながら中へ入る。室内は思ったより広い。ラック、封印箱、簡易金庫、保管タグ。荷物ラベルには“観光客遺留品”“演出機材”“回収品”などの曖昧な語が並ぶ。曖昧な言葉は便利だ。何でも隠せる。
中央の机に、起動したままの端末があった。信じられないほど不用心だ。いや、違う。これは餌だ。
そう気づくべきだった。
俺は気づかなかった。
端末には一覧が開いていた。
《分類変更ログ》
《事故→観光誤差》
《失踪→本人都合》
《受理前取消→未照合》
さらに下には、相談者の反応まで雑にタグ化されていた。
《怒声多》
《説明反復》
《長期化懸念》
《二次案内推奨》
人の人生を在庫管理みたいに並べるなよ。
下へスクロールすると、見覚えのある案件番号が並ぶ。高城。佐野。歩道橋の失踪。町工場の接触。全部ある。しかも変更承認者の欄に、堂前透の関連IDが見えた。略号でごまかしてるが、もうわかる。俺は慌ててスマホで撮る。震える手で何枚も。
一枚だけ、反射的に画面録画も回した。静止画は切り取られる。だったら、操作の流れごと残す。苦情処理でよくあるのだ。言った言わないになる前に、順番を残す。こんな場所で職業病が役に立つの、うれしくない。
そのとき、背後で扉が閉まった。
振り向く。誰もいない。
なのに、室内のスピーカーが鳴った。
『単独行動は感心しませんね、名倉さん』
堂前の声だった。
胃がきゅっと縮む。
「録音ですか」
『安心してください。会話は成立します』
最悪だ。
壁の一部が暗転し、監視カメラ映像が映る。そこにいる俺は、完全に侵入者だった。フードを被り、こそこそ区画へ入り、端末を触る男。切り取り次第でどうにでもなる絵面だ。しかも俺、実際に侵入して端末を触っている。言い逃れの余地が少ない。
『君は目立ちたがりのわりに、自分がどう見えるかには無頓着だ』
「今それ言います?」
『今だからです』
端末画面が切り替わる。さっきまでのログ一覧が消え、《証拠物持出申請》のフォームになる。申請者欄には、名倉巡。
は。
「ふざけんな」
『ふざけていません。手続きです』
手続きで人を殺せるタイプの職場だな、ここ。
俺は端末を引き抜こうとしたが、固定されていた。ならせめてと表示内容を動画で撮る。すると警報が鳴る。室内灯が赤に変わる。
『証拠物持出しを検知しました』
してねえよ。
叫びたかったが、叫んだところでログは修正されない。俺は周囲を見回し、机脇の記録媒体ケースをひったくった。小型端末ごとは無理でも、複製媒体なら持ち出せるかもしれない。走り出した瞬間、通路の向こうから足音。複数。
来るの早すぎるだろ。
俺は逆方向へ走った。保管庫の奥に非常用シャッター。脇に手動解除レバー。引く。重い。こういう時だけ現実的な重量が襲ってくる。
「名倉さん!」
九条さんの声がした。
一瞬、助かったと思った。
その一瞬が一番ださい。
彼女はシャッターの向こうにいた。顔色が悪い。たぶん俺より先に異常を察して来たのだろう。
「何を持っていますか」
「説明はあとで――」
「今です!」
きつい声だった。信頼してない人間に向ける声だ。
そりゃそうだ。単独で潜って、警報鳴らして、手にケース。外から見れば泥棒である。
「ログです。たぶん」
「たぶん?」
「まだ確認は――」
その瞬間、横の補助通路から警備がなだれ込んできた。俺は反射でケースを九条さんへ投げた。
「持ってってください!」
彼女は受け損ねた。
いや、正確には、別の手が先に触れた。
堂前だった。
いつの間にいたんだよ。瞬間移動か。
「危ないですね」
そう言って、きれいにケースを拾い上げる。スポーツかよ。
警備が俺を取り囲む。
「証拠物持出しの疑いがあります」
「疑いじゃなく仕立ててるだろ!」
「名倉さん」
堂前は穏やかな声で言う。
「君は善意で急ぎすぎる。だが、善意は手続きの代わりにならない」
殴りてえ。
俺は一歩踏み出しかけ、九条さんに腕をつかまれた。
「やめてください」
小声だった。
止めるためというより、これ以上悪くしないための声。
その手を振りほどけなかった時点で、俺の負けだった。
結局、俺は厳重注意と権限停止。継続処理者カードも一時没収。保管区画への立入禁止。ついでに配信アカウントには、庁舎内撮影に関する警告通知まで来た。仕事も信用も、まとめて削られた感じがする。
しかも始末書の文面が最悪だった。《規定外区域への無断侵入》《証拠物持出未遂》《業務妨害の恐れ》。やっていないことまで、やりそうな顔つき込みで盛られている。俺は自分の署名欄を見つめた。ここに名前を書いた瞬間、堂前の都合のいい物語へ加担する気がした。
「事実と違います」
言うと、書類を持ってきた総務の男は困った顔で笑った。
「異議は正式窓口へ」
その窓口を消してる側が言うな。
結局、俺は署名の横に小さく《内容不服》と書き足した。みみっちい抵抗だ。でも、何も書かずに飲み込むと、本当に俺がただの泥棒で終わる気がした。
しかも通路へ出た瞬間、見回りの職員ふたりが、俺を見てすぐ視線をそらした。ああいうのが一番効く。怒鳴られるよりましな顔で、面倒なやつ認定だけは済ませてある目。失敗って、だいたい空気から先に広まる。
外へ出た頃には、夜明け前の空が白んでいた。最悪な朝は、だいたい空だけきれいだ。
庁舎前のベンチで、九条さんが立ち止まる。
「どうして相談しなかったんですか」
返す言葉は、いくらでもあった。
時間がなかった。焦っていた。被害者を待たせたくなかった。どれも半分本当で、半分言い訳だ。
俺は結局、一番みっともない本音を言った。
「俺がやれば早いと思ったんです」
九条さんは黙った。
その沈黙だけで、だいたい答えはわかる。
「そうやって、一人で正解を引こうとする癖」
彼女はゆっくり言う。
「それ、敵には一番ありがたいです」
痛い。
痛いけど、正しい。
俺は笑った。乾いたやつを。
「説教される筋合い、あるんでしょうね。今回は」
「ええ」
即答だった。
「でも今は説教より先に、あなたを表から外します」
「外す?」
「狙われていますから」
それだけ言って、彼女は去った。
追いかける気力はなかった。
スマホを開くと、通知が三十件。配信の視聴者、ニュースサイト、知らない番号、そして家主から。
《今月中に払えなければ退去相談》
宇宙規模の陰謀と家賃督促が同じ画面に並ぶの、やめてほしい。スケール感がバグる。
その一番下に、短いメッセージがあった。マックスからだ。
《飲むか。あと、おまえ向きの最低な情報がある》
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