第26話 宇宙人にもマナー講師をつけた方がいいと思うぐらいにはマナーが悪い
世界でいちばん嫌いな脅し文句は、たぶん『大ごとになるぞ』だ。
いや、もう大ごとだろ。
人が消えて、怪我して、苦情が受理されず、保険と行政と口コミ管理が手をつないでいた時点で、だいぶ終わっている。そこへ来て「国際運用に関わるため」とか言われても、知らんがな、である。こっちは昨日まで家賃の振込日すら危うかった人間だ。世界が大きくなっても胃痛の質は変わらない。
会見後、俺たちは庁舎裏の古い打ち合わせ室に籠もっていた。窓のブラインドは半分壊れているし、椅子は一脚だけやたら低い。こういう部屋、秘密の相談には向いているようで、実際には腰を痛めるだけだ。
「堂前さん、いま完全に“それ知ってると困る”顔でしたよね」
俺が言うと、九条さんはうなずいた。
「ええ。あの人は困るほど声が丁寧になります」
「嫌な特技だな」
「敵としては非常に厄介です」
真壁さんが持ってきたのは、別棟Bの端末保守記録だった。型番が古い。地球庁舎の窓口端末というより、空港か港の旧型案内機に近い規格らしい。
マックスはそこへ、例の銀色の旅行ケースから一冊の薄いマニュアルを出した。
「それまだ入ってたのか」
「旅慣れた客をなめるな。俺は説明書を捨てない」
その一点だけは心から尊敬する。俺なんか炊飯器の説明書すら二日で失うのに。
表紙には、軌道観光港向け多言語苦情受付ユニット、とある。嫌に大げさだが、中身はとても地味だった。受付番号の振り方、再案内時の導線切り替え、緊急案件の外部監査転送。
そして、そこにあった。
《緊急転送時は第二桁ルート値を変更し、Left-2 relayへ送ること》
俺はページを二度見した。
「第二桁?」
「番号札だ」
マックスが即答する。
「旧規格では、受付番号の左から二番目が導線コードになっている。地球ローカルの案内文は、そこを雑に翻訳しただけだ」
一瞬、部屋の音が全部引いた気がした。
左から二番目。
窓口の位置じゃなかった。
番号札だった。
俺はすぐに被害者たちから預かった控えの写真データを開いた。擦れた紙、折れた紙、雨でにじんだ紙。そこに印字された番号を並べる。
2148。
2281。
2413。
2269。
本当だ。
左から二番目が、全部2だ。
「うわ」
情けない声が出た。
「うわ、で済ませていい話じゃないけど、うわ」
九条さんがすぐ隣へ来る。
「通常案件は?」
真壁さんが庁内受付ログの一般相談番号を出した。こっちは違う。第二桁が0、1、3、ばらばらだ。被害者側控えだけが、異様なほど2に揃っている。
俺はぞくっとした。
何度も見てきた番号札。ぞんざいに渡され、ポケットで折れ、机の上で丸まり、誰も大事にしなかった紙切れ。あれ自体が、行き先の設定票だった。
「つまり、“苦情は左から二番目へ”って……」
「本来は、緊急案件を外部監査系へ飛ばすための操作指示です」
九条さんがマニュアルの該当箇所を押さえた。
「事故隠蔽や現地職員の握り潰しを防ぐため、現場の判断を飛び越えて上位系統へ送る非常ルート」
「まともな安全装置だったのか」
「ええ。本来は」
そこへ真壁さんが、別棟Bの端末設定画面の写真を並べた。
旧規格のルートテーブル。
通常なら、第二桁2は《External Oversight Relay》に向く。だが、地球圏ローカル設定だけが書き換わっていた。
《L-2 -> Secondary Holding Intake》
保留受付。
つまり堂前たちは、安全装置を逆向きに使っていた。
本来は“現場で潰されそうな苦情を外へ逃がす”ためのルートだったものを、“表の窓口から外して見えなくする”ために反転させていたのだ。
よくできている。腹が立つくらい実務的に。
しかも、このやり方が嫌なのは、現場の末端にいる職員ほど意味を知らなくて済むことだ。番号札を出す。決まった案内文を読む。別の端末へ回す。それだけで、本人は“丁寧に案内した”つもりのまま、人の訴えを沈める側へ立てる。悪意の総本山が一人でも、途中の手足はたいてい善意っぽい顔をしている。だから長持ちするし、被害者の側だけが『考えすぎでは』と言われ続ける。
観光客が大事故に巻き込まれた、違法ツアーがあった、地球側市民も被害に遭った、なのに地元で炎上されたら困る。そんな案件だけを、第二桁2の番号札で“特別扱い”にする。
相談者には『左から二番目へ』と言う。職員は意味を知らなくても動ける。番号札が出た時点で、もう行き先は決まっている。地下窓口でも別棟Bでも、最後は保留箱へ落ちる。
「最低だな」
俺は言った。
「でも、最低なだけじゃない」
紙を見ながら、頭のどこかが妙に冷えていく。
この仕組み、悪用しやすいのは、仕組みそのものが優秀だからだ。番号札、受付時刻、導線コード。感情を挟まない。だから誰が触っても同じ処理になる。
そして同じ処理になるということは、逆向きにも使える。
マックスも同じことを考えたらしい。
「元の転送先へ戻せばいい」
「簡単に言うなよ」
「簡単ではない。だが理屈は簡単だ。第二桁2の案件は、本来なら外部監査系へ飛ぶ。地球ローカル設定だけが乗っ取られているなら、設定を書き戻すか、上位側へ直接叩く」
九条さんが息を詰めた。
「そんなことをすれば、本当に国際問題になります」
「でしょうね」
俺は笑った。
笑うしかなかった。
今さら“揉めるからやめよう”は通らない。だってこの仕組みのせいで、もうずっと揉める権利すら奪われてきたんだから。
俺は番号札の写真を一枚ずつ見た。手垢のついた小さな紙。二番目の桁だけが、やけにくっきり見える。今まではただの受付の名残にしか見えなかったのに、意味がわかった瞬間から、全部が命令書みたいに見えた。紙切れ一枚で人の訴えの行き先が変わる。そんな冗談みたいな話を、俺たちはずっと本当にやられていた。
あの人たちは、自分が握り潰される番号を渡されていた。
でも同時に、それは本来、いちばん上へ届く番号でもあった。
そこが救いだ。
しかも救いって、たいてい綺麗な顔で来ない。今回は薄汚れた番号札の控えで、しかも被害者本人たちは自分が救いの鍵を持っていたことすら知らなかった。腹立たしい話だ。でも逆に言えば、向こうは仕組みを盗んだだけで、仕組みそのものを作り替えたわけじゃない。本来の流れはまだ残っている。ねじ曲げられているなら、元へ戻せる余地もある。
奪われたものの中に、まだ元の用途が残っている。
「名倉さん」
九条さんが低く呼ぶ。
「顔」
「今度はどんな顔ですか」
「悪いことを思いついた顔です」
たぶん当たっている。
俺はホワイトボードに大きく書いた。
第二桁2=本来は外部監査。
その下に、さらに書く。
再受理。
「堂前たちは“左から二番目”を保留行きの合図に変えた」
俺は言った。
「だったら逆にする。番号札の元の意味で、全部上へ通す」
沈黙のあと、真壁さんが先に口を開いた。
「件数は二十七件では済みません」
「わかってる。だから一件ずつじゃなく、一斉にやる」
「そんなこと、前例がありません」
「前例がないのは、今まで誰も通させてもらえなかったからです」
自分で言って、少し震えた。
でも間違っていない。
左から二番目の本当の意味がわかったなら、次は簡単だ。少なくとも、もう黙って騙される理由はない。こっちは意味まで掴んだ。あとは使い方を戻すだけだ。
通してしまえばいい。
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※作品への苦情につきましては、新宿駅地下、左から2番目の窓口までお願いいたします。




