第16話 「やる気があります」と言いながらスマホをいじる奴のやる気はマイナスだ
午前零時前の資料倉庫なんて、まともな人生を送っている人間なら近づかない。
俺はまともな人生を送っていないので、普通に向かった。
北棟の裏通路は、庁舎のくせに学校の旧校舎みたいな匂いがした。湿気た紙、古いワックス、眠ってる蛍光灯。俺はスマホのライトを消したり点けたりしながら進む。ホラーで先に死ぬ役の行動を、自覚的にやっている気はある。でも、ここで引き返したら家に帰っても待ってるのは督促状だけだ。だったらせめて、怖いものの質ぐらい選びたい。
「名倉さん」
後ろから声がして、心臓が二回くらい余計に働いた。
九条さんだった。黒のジャケット姿で、夜の廊下に妙に溶け込んでいる。
「ついてくるなら、先に言ってください」
「あなたこそ、単独行動するなら隠す努力をしてください」
「してますよ。かなり」
「配信のサムネに“今夜、庁舎の裏で会う”と入れておいて?」
しまった。限定公開でも煽り癖は消えない。
「集客です」
「破滅のです」
正論だった。
倉庫前には、配送用の台車が一台。積まれたファイル箱の陰から、小柄な男が顔を出した。三十代くらい、痩せていて、作業着の肘が擦り切れている。名札はない。だが目だけが異様に落ち着かなかった。眠れていない人の目だ。それも長いこと。
「名倉……さん?」
「そうです」
「動画、見てます。コメントはしてません」
「健全な視聴者だ」
男は笑えない顔で言った。
「佐野です。倉庫管理の外注」
外注。便利な言葉だ。責任の所在が曖昧な場所には、だいたい外注がいる。責任を持たないために必要な責任者みたいなものだ。
佐野は扉を開けた。中は棚だらけだった。天井まで積み上がったファイル箱、封印ラベル、処理済みの印。だが違和感がある。左から二番目の列だけ、棚の色が新しい。
俺は足を止めた。
「見るな、って書いてありましたよね」
「ええ」
「でも、見るんですね」
「見ないと寝覚めが悪いので」
「見ても悪くなります」
それはそう。
佐野は棚の一段を外し、奥から透明な保存ケースを引っぱり出した。中には紙束と小型端末、そして記録媒体が数本。
「未受理案件の原本です。全部じゃないけど」
「なんで残ってるんです?」
「残したからです」
言い方が静かすぎて怖い。
佐野は続けた。
「毎週、再分類が来ます。“観光誤差”“民間騒音”“本人都合による取下げ”。事故でも失踪でも、厄介な案件ほど別名になる。紙を抜いて、ログをずらして、相談者がまた最初から説明するうちに疲れて諦める」
その説明には、妙な手慣れがあった。何度も心の中で繰り返した人の言い方だ。
俺はケースの上の紙をめくる。見出しはどれも地味だ。地味なくせに、読んだ瞬間に喉が乾く。
《夜間落下物による接触》
《観光客による仮装接触》
《記憶錯誤扱い》
《受付不能:証拠不鮮明》
証拠が不鮮明なんじゃない。見えなくした結果、そう見えるだけだ。
「誰の指示です」
「最初は管理官クラス。今はもっと上と、外の会社が混じってる」
「堂前透」
佐野はためらって、うなずいた。
「名前は出ます。直接じゃなくても」
九条さんが一歩近づく。
「あなたは、なぜ今」
「昨日、古い未受理案件が一括で動いたからです。あれ、通常運用じゃない。誰かが焦ってる。だから今なら、外に出せるかもしれないと思った」
外に出す。
俺はスマホを握り直した。生配信は好きだ。正確には、数字が跳ねる瞬間が好きだ。惨めな現実に釣り針を刺して、ちょっとだけ価値あるものに見せかけられるから。でも今のは、それだけじゃない。たぶん。
「顔を映さない。声も加工する。限定公開で、アーカイブは複製」
「何をする気です」
九条さんが聞く。
「見えなくしてるなら、見える場所を増やす」
俺は配信を立ち上げた。今回は公開範囲をさらに絞る。信用できる視聴者、証言を送ってきた関係者、そして記事化しそうな弱小ウェブ媒体の連絡先。大手じゃない。大手は正しいけど遅い。今必要なのは、正しくなくても早いやつだ。
サムネはただの倉庫棚。タイトルは《消えた相談票の複製、残ってました》。地味だが、こういう時に必要なのは煽りより保存だ。
配信が始まる。
「こんばんは、名倉巡です。今日は心霊じゃありません。もっと嫌なやつです」
我ながらひどい導入だと思う。でもコメント欄は一気に動いた。
《なにそれ》《逆に怖い》《また行政か》
俺は佐野の顔が映らない角度で、ケースの中身を順番に示した。紙、記録媒体、棚番号。九条さんが時刻と位置を読み上げ、真壁さんから回ってきた監査メモの断片を俺が補足する。配信というより、雑な証拠保全作業だ。
十五分ほどで、弱小ニュースサイトの編集者からDMが来た。
《実物確認したい》
食いついた。早い。こういう時だけネット社会を愛してしまう。普段は俺の動画に「声が不安定」とか書くくせに。
佐野も、少しだけ顔色が戻ったように見えた。
「これで……何か変わりますか」
「すぐには無理です」
俺は正直に言った。
「でも、何も残ってないよりはましです。ゼロと一の差は、こういう仕事だとだいぶでかい」
言いながら、自分でも不思議だった。昔の俺なら“バズる”って単語を先に出しただろう。今は先に“残る”が来る。
成長なのか、疲労なのかは微妙なところだ。
そのとき、倉庫の警報灯が一度だけ赤く点滅した。
佐野の肩が跳ねる。
「やばい」
「何が」
「棚移送の権限呼び出しです。こんな時間に来るはずがない」
廊下の向こうで、車輪の音がした。複数。静かな場所で聞くと、台車の音って棺桶っぽい。
「複製を持って移動します」
九条さんが即座に言う。
「名倉さん、配信は維持」
俺はうなずき、スマホを胸ポケットに固定した。視点が揺れる。たぶん見てる側は酔う。だが今は我慢してくれ。こっちだって人生に酔ってる。
倉庫奥の非常階段へ向かおうとしたところで、佐野が立ち止まった。
「俺、原本の置き場所をもう一つ――」
言い終わる前に、奥の補助灯が一斉に落ちた。
真っ暗。
誰かが小さく舌打ちした。俺だ。
次に明かりが戻った時、佐野がいなかった。
「は?」
ほんの数秒だぞ。
通路は一本、階段は閉鎖、音もしなかった。九条さんが周囲を見回す。俺は佐野のいた場所へ駆ける。足元に社員証ホルダーだけが落ちていた。ストラップが切れている。故意なのか、慌ててちぎれたのか、それすらわからない。
棚のケースも消えていた。
いや、全部じゃない。
棚の奥に、銀色の旅行ケースだけが残されている。つや消しのアルミ。観光客が持ち歩くには無駄に重そうで、業者が使うには妙にきれいな箱だ。
「これ、前にも……」
高城案件の映像で見たケースに似ていた。宇宙観光客の移送荷物に紛れていたやつだ。
俺はケースに触れた。冷たい。
鍵は開いている。中身は空だった。
空っぽのくせに、紙片が一枚だけ貼りついていた。
《処理済》
最低の二文字だ。
配信コメントが流れる。
《いま消えた?》《やば》《映画かよ》《佐野さんどこ》
現実が映画みたいになる時って、BGMがないぶんだけ笑えない。
九条さんが社員証を拾い、低くつぶやいた。
「間に合わなかった」
俺は空のケースを見つめた。
証拠を消すんじゃない。証人ごと、最初からいなかった形にする。
その手口のいやらしさに、背中が冷える。
俺のスマホに、さっきの編集者から新しいDMが届いた。
その前に、配信の保存通知がまとめて震えた。限定公開の複製先が三つ、視聴者側の画面録画報告が二件、弱小媒体のアーカイブ取得完了が一件。全部小さい。だが小さい保存先が散るほど、消す側は面倒になる。そう思った瞬間だけ、喉の奥に残っていた敗北感が少し薄れた。ゼロじゃない。まだ、完全には取られていない。
《確認したい。今すぐ会えるか》
その下に、見知らぬ別アカウントからの短文が重なった。
《会うな。次はおまえの番だ》
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