第14話 コンプラを律儀に守って世界を滅ぼすのが一番の贅沢だ
深夜二時に本庁舎へ来いと言われて、本当に行くやつはだいたい二種類だ。
公務員か、追いつめられた一般人。
俺はもちろん後者だった。しかも家賃滞納つき。日本の行政にそんな属性欄があったら、俺の整理番号はたぶん最初から赤い。
本庁舎の側入口は、昼間なら搬入口にしか見えない場所だった。巨大な庁舎の裏手、自販機が二台、照明は半分切れ、コンクリ壁だけが無駄に立派。だが今夜は違う。薄い列ができている。
十人ほど。
スーツの女、作業着の男、病院帰りみたいな老夫婦、制服姿のままの若い警備員。みんな手に紙か端末を持ち、眠そうというより、もう眠る段階を過ぎた顔で並んでいた。
「夜間窓口、やってるんですね」
俺が言うと、横にいた九条さんが短く答える。
「表向きにはやっていません」
「やってないのに列があるの、怪談より怖いんですけど」
真壁は入口脇で端末を操作している。今日はいつもの穏やかスマイルが薄い。かわりに、役所の偉い人が予算折衝でだけ使う顔になっていた。
「監査権限の照会を掛けていますが、時間を稼がれています」
「もう始まってるってことですか」
「ええ。受理戦争です」
戦争という単語を、こんなに湿気た場所で聞くと思わなかった。
「もっとこう、派手な感じじゃないんですか」
「日本では書類が飛びます」
最悪に納得できる返事だった。
列の先、半地下みたいな入口に仮設受付があった。昼の窓口をそのまま縮めたような机が三つ。右は申請受理、左は照会確認、そして中央が空席――いや、空席に見えるだけで、そこへ行く人だけ妙に戻ってこない。
左、真ん中、右。
俺は嫌な笑いがこぼれそうになった。
「まさか……」
九条さんが言う。
「ええ。左から二番目です」
やっぱりか。
中央机の前だけ、列が自然に割れている。誰も案内していないのに、困っている人ほど真ん中へ寄せられていく。老人は年金停止の相談で、若い母親は事故補償で、作業着の男は労災と失踪届の板挟み。どう見ても“いちばん揉める案件”が、きれいに真ん中へ集められている。
「人の不幸を分別ゴミみたいに仕分けるなよ……」
俺は首の仮身分証を握った。微熱みたいにぬるい。
そのとき、中央机の奥から女が出てきた。
五十代半ばくらい。髪はまとめられ、ベージュのスーツは皺ひとつない。姿勢が良すぎて、逆に人間味が薄い。名札はつけていないのに、九条さんの肩が一瞬だけ固まったのでわかった。
こいつだ。
昔の上司だ。
「お久しぶりですね、九条さん」
声まで整っている。冷蔵庫の取説みたいに感情がない。
「……城戸管理官」
九条さんが言った。
真壁が一歩前へ出る。
「真壁です。監査補助の名目で夜間運用を確認したい」
「補助の方に運用の全体像はお見せできません」
一言で切った。強い。嫌な方向に。
城戸管理官は列へ一瞥をくれる。すると不思議なことに、みんな少しだけ静かになった。怖い先生が教室に入ってきた時の空気に近い。人を黙らせる訓練を受けた人の目だ。
「ここは未整理案件の一時受けです。騒ぎ立てると、本来受けられる支援も遅れます」
「遅らせてる張本人が言うなよ」
思わず出た。
城戸管理官の視線が俺へ向く。
薄い。人を見る目じゃなく、伝票を見る目だ。
「その方ですか」
「どの方だよ」
「夜間配信者」
言い方が雑な予言者みたいで腹が立つ。
「勝手に肩書きを増やさないでください。底辺YouTuberで十分です」
「観測上、十分ではありません」
観測って言うな。動物園のパンダじゃないんだぞ。
だがここで怒鳴っても勝てない。俺は列を見る。困ってる人たちは、内部の因縁なんて知らない。ただ、自分の紙を受け取ってほしいだけだ。
だったら、机をひっくり返すより順番をひっくり返したほうが早い。
俺はスマホを取り出し、配信用の簡易マイクを差した。
九条さんが低く言う。
「何を」
「いつものです」
「最悪の答えですね」
「でも効く」
俺はライブを開始した。限定公開。通知先は、高城案件の関連証言を送ってきた連中と、最近やたらDMの早い視聴者だけ。タイトルは三秒で決めた。
《深夜行政、真ん中の席だけ様子がおかしい》
バズらせる気満々の題だが、今はそれでいい。
「こんばんは、名倉巡です。今、某所の夜間窓口に来てるんですが、ここ、真ん中の席だけ行った人が帰ってこないんですよね」
城戸管理官の眉が、初めてほんの少し動いた。
「撮影はご遠慮ください」
「顔映してません。事実しか言ってません」
そして俺は列の人間に向けて、配信というより実況みたいに話し始めた。
「たぶんですけど、真ん中って“後回し用”です。急ぎの人ほどそっちへ寄せられる。だから、今いちばん大事なのは、先に右か左で正式番号をもらうことです。番号が出れば消されにくい」
根拠は半分勘だ。でも半分はここまで見てきた実感だ。受理前は霧、受理後はしぶとい。だったらまず番号を出させる。
列の先頭にいた老夫婦が、不安そうに顔を見合わせた。
「真ん中じゃ、だめなんですかね」
「だめです。たぶん一番だめです」
断言すると、人は意外と動く。
老夫婦が右机へ向かい、つられて作業着の男も左へずれる。列が崩れた。中央へ吸われていた流れが、横へ散る。
城戸管理官が初めてはっきり不快そうな顔をした。
「運用妨害です」
「市民への案内です」
「あなたにその権限はない」
「そっちはあるんですか。消す権限」
いい返事だ、と自分で思った。こういう時だけ語彙が働く。普段の確定申告でもこれくらい回れ。
真壁がその隙に監査端末を差し込む。九条さんは別系統から旧記録の照合を掛けた。城戸管理官は止めようとしたが、その前に高城悠衣さんが前へ出た。保護室から連れてこられていたらしい。顔色は悪いが、目はさっきより強い。
「私の弟の事故番号は、これです」
彼女は紙を机に叩きつけた。
「何度も回されました。でも、今ここで受理番号をください」
列の人たちが一斉に見る。
空気が変わった。待っているだけの列から、見届ける列へ。
城戸管理官は冷たい声で言った。
「確認に時間が掛かります」
「掛けてるのはそっちだろ」
俺が被せる。
「右でも左でもいい。とにかく番号を出してください。出せない理由があるなら、配信で言います」
いやな脅しだ。でも合法寄りの嫌さは、こういう場所でよく効く。
数秒の沈黙のあと、右机の職員が震える手で端末を叩いた。プリンタが鳴る。
B-441。
高城案件、正式受理。
その紙が出てきた瞬間、俺は変な達成感で膝から力が抜けそうになった。勝利条件が小さい。小さいけど、こういう小さいやつが一番現実を動かす。
「やった……」
高城さんが泣きそうな顔で番号札を握る。
だが、喜んだのは一秒だけだった。
俺の首に下げた仮身分証が、急に熱くなる。
「うわっ」
液晶に文字が走った。
《継続処理者 登録完了》
《担当案件:保険不払い/失踪照会/未受理群》
《処理者:名倉巡》
「は?」
九条さんがカードをひったくる。
「まずい」
「何が」
「あなたが窓口側へ認識された」
「嬉しくない採用通知なんですけど」
真壁も顔をしかめた。
「城戸さん、何をした」
城戸管理官はもう感情を隠さなかった。薄く笑っている。
「自分で受けたのでしょう。継続処理者は不足していたんです」
「人材募集を地獄でやるな」
配信コメント欄が荒れていくのが見える。
《なにそれ》《受付怖》《名倉逃げろ》《でも続き見たい》
最後のやつ、視聴者って本当に好き勝手だな。
そのとき、庁舎内の搬送口が開き、古びた段ボール箱が台車で運ばれてきた。宛名ラベルが貼ってある。
《継続処理者 名倉巡 様》
嫌な予感しかしない。
いや、もう予感じゃない。嫌な現実だ。
箱の中身は、黄ばんだ相談票の束だった。
何十件、いや百件近い。全部、消えたはずの未受理案件。
一番上の票には、古い筆跡でこう書いてあった。
《未了の苦情は、担当者へ返送する》
そして差出人欄には、見覚えのある名字があった。
《九条》
俺は票の束を抱えたまま、ゆっくり九条さんを見た。
彼女は青ざめていた。
つまり次は、俺の採用通知じゃない。
彼女の未払いだった過去が、まとめて俺のところへ届いたってことだ。
もし少しでも「名倉、頑張って家賃払えよ」と思っていただけたら、下の**【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして「受理(ポイント投入)」**していただけると、筆者の手取りが……あ、いえ、執筆のモチベーションが上がります!
評価、ご感想などお待ちしております。
※作品への苦情につきましては、新宿駅地下、左から2番目の窓口までお願いいたします。




